梃子(てこ: lever)は、小さな運動を大きな運動に変えることができる単純機械のうちの一つです。小学校では支点 (fulcrum)・力点(effort)・作用点(load)の3点セットで教わります。これが大人になると、株での信用取引や外貨でのFX(外国為替証拠金取引)で使い、少ない自己資本でそれよりも大きな他人資本を動かす金融上の仕組を梃子(レバ)になぞらえレバレッジと呼ぶようになるのです。それは個人や組織という小さな枠組で見るならウエルカムかもしれません。しかし、社会経済という大きな枠組で見るなら、他人資本を使うことで、自己資本に対する利益率を高めるゲームに人々を狂乱させる麻薬です。Lever という仕組の実用性に囚われた私たち民衆は、今のところ、レバレッジを不必要とする社会を顕現する教育の必要性に意識が通じていません。意識が通じたとき、真実を知らされるのですが、”時既に遅し”とならないことを願います。今私たちは、民衆の願いや日本の国益を実現するはずの政治(家)が、多国籍企業の利益のOptimizer(密通者・功績者)に成り下がってしまった環境にいます。このような時代には、個々の意識が唯一のミディアム(Medium)であり、真実伝(電)送源です。生彩ある人生の必要条件として、そのMediumは輝きを放つのです。

さあ、大きな笑顔で明るく輝きましょう。 感謝

(追記)
ミディアム(medium)はメディア(media)単数形です。私たち個々の感覚は常時、住環境(衣食住)と共鳴・相似しています。環境の変化に鈍感となるのは、私たちの感覚器の不具合による場合もありますが、その多くが感覚器を鈍感にすることで現状を維持・肯定させる機能を発動させたのです。ゴミ屋敷の住人はその好例です。鼻を鈍感にさせ、悪臭をも感じさせません。感覚器自体を正常に保ちたいのなら、住環境を整理整頓しましょう。そして、ざわめきを回避した静寂で穏やかな住環境に感覚器を涵(ひた)し養い、共鳴・相似させるます。生まれながらに備わった medium (意識)を取り直す、必要十分条件です。
fuji77