生彩ある人生

蒼き淵の彼方よりあふれ出づる光の泉。内なるしじまと向き合いて 輝きは聖となり私(わたくし)と成す。

2017年09月

相続と持ち家

日本の住宅政策は1950(昭和25)年の住宅金融公庫設立(2007年3月廃止)の年頃から機能し始めます。1945(昭和20)年の敗戦直後、住宅数は世帯数に対して20万戸も不足していました。先の大戦前から借家が大半を占めていたことに加え、合衆国軍の空襲で多くの住宅が焼失したために、日本の民衆の相当数が家族みんなで親戚や知人の家に身を寄せていました。それらの家自体も借家が多かったと思います。東京湾岸や大阪湾岸などでは船上生活者も多く見られました。私たち日本の民衆の住環境を満たすべく、不足住宅の大部分は公営住宅建設により賄い、経済的に困窮していない層には自助努力で持ち家を持ってもらうために資金面で公庫融資を供給しました。加えて、住宅の質の面では最低の基準を定めた技術法令である建築基準法を施行し、最低限の防災性能を確保しました。1955(昭和30)年には日本住宅公団(現都市再生機構)設立により、都市部への勤労者の流入に対応した郊外型住宅団地の建設も始まります。これらの施策によって住宅供給という目的を達しました。しかし、持ち家は高額な商品であるにもかかわらず、間取りや給排水の変更などのリノベーションを行う再生プランが皆無で、その寿命を延ばすことがライフスタイルに組み込まれることはありませんでした。結果、2033年には空き家率が30.2%(2150万戸)に達するということです。

今朝は、これから大量相続時代を迎える日本で、住宅は資産になりうるのかについて考えてみたいと思います。それでは、野澤千絵女史のお話に耳を傾けてみましょう。以下、現代ビジネスから転載させていただきました。
日本の住宅が「資産」ではなくなる日 〜空き家急増という大問題
いよいよ大量相続時代を迎えて…
(野澤千絵 現代ビジネス 2016.12.29)
人口が減少してゆく日本にあってなお、住宅は無計画につくられ、空き家は増加し、「まち」の秩序が崩れてゆく――。
話題書『老いる家 崩れる街――住宅過剰社会の末路』の著者・野澤千絵氏が、空き家が急増する地方都市の実状をレポートする。


15年後、約3戸に1戸が空き家に
 空き家になった住宅が取り壊されたり、住宅用途以外にでも有効に活用されたりしていかなければ、2033年、空き家は約2150万戸、空き家率は30.2%に達すると予測されている。(1)
 ――これは要するに、あと15年も経てば、日本の全住宅の約3戸に1戸が空き家になってしまう危険性があるということである。
 この背景にあるのは、今後、空き家化に関わる二つの動きが同時進行していくことだ。ひとつは、団塊世代が相続した実家の空き家化。もう一つは、団塊ジュニア世代(団塊世代が後期高齢者となる2025年頃から急激に増える)が相続する実家の空き家化である。
 つまり、日本は近い将来、大量相続時代を迎えることになるのだ。
 実家を相続した世代は、すでに実家を離れ、それぞれ自分の家を持っていることも多く、相続した実家に住むというケースは少なくなっている(ただし、住宅の立地やタイプによる)。
 加えて、団塊世代が所有する戸建てやマンションは、築40年以上も経過した老いた家である場合が多いため、そのままの状態では中古住宅として売却したり、賃貸に出したりするほどの資産価値がなくなった「負動産」(2)になっているケースも多い。
 実家の管理・売却・賃貸がこのまま進まなければ、近い将来、全国どこでも、まちのあちらこちらで、放置された空き家・空き地がまだら状に点在して、人口密度が低下し、スカスカしていく。つまり、「まちのスポンジ化」という時限爆弾を抱えているのだ。
 大量相続時代を迎えつつある今、「空き家率」のみならず、空き家が増える「スピード」がますます加速するというリスクに備えるべき時期にきていると言えるだろう。

住宅は資産になりうるのか?
 私はこのたび、都市計画の研究者として、こうした現状が全く止まる兆しが見えないことに危機感を抱き、こうした実態や問題構造、そして解決方策を一般の方にも知ってほしいと、『老いる家 崩れる街――住宅過剰社会の末路』(講談社現代新書)を刊行した。
 「住宅過剰社会」とは何か?
 私はそれを、世帯数を大幅に超えた住宅がすでにあり、空き家が右肩上がりに増えているにもかかわらず、将来世代への深刻な影響を看過ごし、居住地を焼畑的に広げながら、大量に住宅をつくり続ける社会と定義している。
 ここで重要なことは、住宅過剰社会の深刻さを理解するには、空き家率(空き家数/住宅総数)だけでなく、空き家の量が増加する「スピード」に着目することである。なぜなら、市内で新築住宅が大量に建てられ、住宅総量が増加すると、空き家の量が増え続けるとしても、空き家率は低めに算定されてしまうからである。
 そこで本稿では、『老いる家 崩れる街』ではあまり触れられなかった空き家の量が増加する「スピード」に着目し、これから大量相続時代を迎える日本で、住宅は資産になりうるのかについて考えてみたい。

特例市の空き家率ランキング
 長期的に見て、人口規模がそれなりにある市町村の中で、まちがスポンジ化するリスクを私が感じるのは、空き家の量が増加するスピードが非常に早いにもかかわらず、立地に関係なく開発規制の過度な緩和を行い、農地エリアへと居住地を拡大し続けている地方の産業都市が多い。
 例えば、人口規模がそれなりにあるまちとして、全国の特例市37市(2014年法改正で施行時特例市と呼ばれている)の空き家率を調査してみると、平成25年の空き家率(図表1)は、全国平均が13.5%である中で、1位が甲府市(20.8%)、2位が松本市(16.4%)、3位が太田市(16.1%)、福井市(16.1%)、水戸市(16.1%)である。逆に、空き家率が低いのは、所沢市(9.6%)、茨木市(9.7%)、加古川市(10.1%)である。
空家率@政令指定都市
 ひと口に空き家といっても、様々なタイプがあり、国の住宅・土地統計調査では、「賃貸空き家」「売却用空き家」「二次的住宅」「その他空き家」という4つの類型があるが、これらの中で、空き家の量が増加するスピードとして着目すべきは、「その他空き家」である。
 「その他空き家」は、転勤・入院などにより居住世帯が長期にわたって不在の住宅や、建て替えなどのために取り壊す予定の住宅、空き家の区分の判断が困難な住宅のことで、相続後にきちんと引き継がれずに放置されるなど、いずれ周辺の住環境に影響するような「問題空き家」へと発展する危険性があると考えられている。
 そこで、空き家率が上位5市の「その他空き家」に着目して、詳細に分析していこう。

甲府市と太田市の共通点
 空き家率が上位5市のうち、平成20〜25年(3)の5年間の「その他空き家」の量が増加するスピード(図表2)を見ると、福井市以外は総じて、「その他空き家」の量が増加しており、その増加スピードが顕著に早いのが、甲府市と太田市である。

空家率@増加スピード
 また、5年間の市全体の住宅総数の増加率(図表3)を見ても、太田市は1.10倍、甲府市は1.06倍と、両市ともに住宅総量が5年間で約1割も増加しており、新築住宅の開発圧力はそれなりにあると見てよい状況だ。
空家@その他空家増加率
 しかし、両市は、全国的に見ても、空き家率が高く、かつ「その他空き家」が早いスピードで増加していることから、これまで多額の税金を投入して整備してきたような、古くからあるまちでは――老いた住宅・老いた居住者が多いこともあり――「その他空き家」が急増、「まちのスポンジ化」が今、まさに進行していることが推測される。
 これら2つの市には共通点がある。
 太田市も甲府市も、平地で郊外には農地が広がっており、自家用車の依存率が高い。そのため、住宅を買う側も、自家用車を利用すれば、買い物、通勤、通院といった生活に支障がないと判断するため、だらだらと広く薄く居住地が拡大しやすいという点だ。
 そして、両市ともに、条例で開発規制の緩和を行い、農地関連等の法規制や各市の開発許可の要件を満たせば、市街化調整区域(都市計画法で原則として市街化を抑制すべき区域)に指定されている農地エリアでも新築住宅の開発を許容している。

 その結果、どうなったか。
 甲府盆地では、市街化区域(市街化を促進すべき区域)等の人口密度は低下しているのに、郊外の農地エリアの市街化調整区域等で人口密度が上昇したのだ(4)。
 太田市でも、市街化区域よりも地価が安く、都市計画税も不要ということもあり、市街化調整区域の農地エリアに、虫食い状に多くの住宅が建ち並んだ。
 太田市といえば、自動車産業をはじめとする産業都市であり、産業立地のニーズが高いまちだが、農地の中に虫食い状に住宅が立地し、営農環境だけでなく、自動車産業を支えてきた既存の工場の操業環境(騒音・振動や大型車両・フォークリフトの往来)にも影響を与えている。
 また、虫食い状に住宅の立地が進んだため、産業立地の受け皿となるまとまった土地が少なくなり、せっかくの産業立地の需要を取り込めないというもったいない状況も生み出している。
 この背景には、農地エリアにある既存集落の活性化や農業の後継者不足・耕作放棄地の増加といった問題や、開発規制が緩い他市への人口流出を食い止めるために、市街化調整区域での開発規制を緩和せざるを得なかったという面もあり、本稿は、甲府市や太田市に対する批判を意図しているわけではない。
 なぜなら、こうした市街化調整区域の開発規制の緩和は、何も甲府市や太田市だけが特別なわけではなく、他の多くの自治体でも行われているからだ。

新築の価格は安いが、長期的視点で見ると……
 少し専門的になるが、太田市では、甲府市のタイプとは少し異なり、「居住者の条件」(「属人性」という。太田市では市内に10年以上居住したことがある者)に基づいて、市街化調整区域の新築住宅に対する開発規制の緩和を許容している。
 ところが逆に、市内に10年以上居住したことがある者という「居住者の条件」が、(詳細に開発データを検証しなければ正確な実態はわからないため、あくまで推測だが)市内の市街化区域から市街化調整区域へと開発意欲をシフトさせ、市内での人口の奪い合いを引き起こし、市街化区域内の空き家を増やしている可能性もある。
 また、資産という側面から住宅を考えてみよう。あまり一般には知られていないが、先の「居住者の条件」で開発規制の緩和を利用して新築住宅を建てた場合、将来、これを中古住宅として売却する際には、かなり面倒な開発許可手続きが必要になるのだ。
 さらに、場合によっては、売却する対象者が同じ市内10年以上の居住者に限定されてしまう可能性が生じたり、中古住宅として売却できない場合でも、市街化調整区域内にあるために、現行の開発許可の要件では他人に賃貸することができないといった問題も想定される(ただし、市街化調整区域の全ての住宅が該当するわけではない)。
 このように、新築住宅として買う時には、物件価格が安くて良いのかもしれないが、長期的に、中古住宅としての流通性や世代交代の可能性を考えた場合、現状のままだと、将来、空き家となる住宅が続出するリスクを抱えているように私には見えてしまうのだ。
 ちなみに、空き家予備軍となる危険性がある、65歳以上の者のみの世帯が住む一戸建て住宅だけでも、太田市で1万1440戸、甲府市で1万4920戸(平成25年「住宅・土地統計調査」による)と大量に控えており、相続が発生した際に、「資産」としてきちんと引き継がれない場合には、近い将来、これまで公共投資をして整備をしてきたまちのスポンジ化がいよいよ深刻化してしまう危険性がある。
 ただし、ここで強調しておきたいのだが、住宅過剰社会だからといって、新築住宅をつくること、購入すること自体が悪いのではない。
 新築住宅は、たとえ人口減少社会でも、空き家増加社会でも、住宅を新たに購入したい人、住み替えたい人、古くなった住宅を建て替えたい人などのために、これからも必要不可欠だ。
 問題なのは、新築住宅が「立地に関係なく」野放図につくり続けられ、インフラや公共施設等の維持管理コストや行政サービス(例えば、防災対策や災害時の対応・ゴミ収集など)を行うべき居住地エリアの拡大が止まらないことだ。
 そして、こうした状況が続けば、今後、人口も世帯数も減少していく中で、将来世代に多大な負担を強いることにつながることにも目を向けてほしい。
 要するに、住宅過剰社会から本格的に転換しなければ、まちのスポンジ化が深刻化するだけでなく、住宅の立地やタイプにもよるが、これまでに建てた住宅だけでなく、これから建てる住宅も、安心して所有できるような「資産」となりうる可能性も狭めてしまいかねないということだ

川越市、習志野市、浜松市……まちづくりの先進事例
 では、大量相続時代を迎える日本で、住宅やまちを、将来世代に「資産」として引き継いでいくためにできることは何か?
 それは、自分たちの住宅の資産価値や将来世代の税金等の負担増に大きな影響を及ぼす都市計画・まちづくりに対して、これまで以上に目を向け、その本質を見極める目を持つことだ。
 拙著では、たとえば、以下のように、先進事例として様々な自治体のまちづくりを紹介した。

◎開発規制は一旦緩和するとそれを強化することは政治的にも難しい中で、市街化調整区域で無秩序に進む宅地開発への規制緩和を全面的に廃止する、という英断をした川越市(埼玉県)

◎多くの自治体が棚上げしている公共施設の再生・再編を、公民連携といった画期的な手法を盛り込みながら真摯に取り組む習志野市(千葉県)

◎超高齢化した住宅団地のリノベーションによって、世代交代に積極的に取り組む神戸市(兵庫県)

◎南海トラフ巨大地震規模の津波被害に備えた防潮堤や津波避難タワー等の整備など、災害がおきる「前」の段階から、市民の安心安全のために、具体的な減災対策に積極的に取り組む浜松市(静岡県)

◎日本で初めて、条例で活断層の真上にある土地利用の規制・誘導に取り組む徳島県

 いずれの自治体も、近視眼的な視点ではなく、将来世代にツケを残さないまちづくりをしていこうという、長期的な視点を重視した取り組みに本格的に着手している。
 私たちは、都市計画やまちづくりは行政がするものと考え、無関心を決めたり、行政任せ・他人任せにしたりせず、自分のまちの首長や自治体の都市計画行政に対して、きちんと目を向けることが必要不可欠な時代に突入している。
 そして、もう一つ重要なことがある。
 それは、住宅単体だけの視点ではなく、その住宅が立地する「まち」が、将来にわたって大幅に悪化せずにそれなりに暮らしが維持される見込みがあるのか、そして、もし相続する世代が売ることになった場合に買い手がつく可能性があるのか? といった、これまでよりも「更にもう一歩先の将来リスク」まで見極めるという「新しい価値観」がみんなの常識になることだ。
 そんなことは当たり前ではないか……そう思われる方も多いと思う。
 しかし、私たちが新たに住宅を購入する際、住宅単体のメリットや物件価格の安さなどについつい心を奪われ、そこに営業マンの巧みなトークが加われば、買おうとする住宅やまちの将来リスクを見極めようという長期的視点がおろそかになってしまいがちなのも、れっきとした事実である。
 こうした価値観がみんなの常識になれば、これまで整備していたまちを中心に、中古住宅をリノベーションで質を向上させて住宅市場へ流通させたり、空き家を解体してその土地で新築住宅を建てることに軸足が置かれるなど、住宅市場も変化していくのではないだろうか。
 大量相続時代を迎え、人口だけでなく、世帯数も減少し始めるという折り返し地点が見えてきた今、これからの日本で、住宅が「資産」となりうるためには、住宅という単体の要素だけではもう解けない。
 既にある住宅やまちを、将来世代も暮らしやすいものへと改善し、きちんと「資産」として引き継いでいくためには、まるで連立方程式を解くように、災害リスク、インフラや公共交通・生活利便サービスの維持、公共施設の再編・統廃合、地域コミュニティ、ライフスタイルや暮らしやすさといった生活環境、産業や農業政策……といった多元的要素を、都市計画・まちづくりの中で、横断的・複合的に解いていくことが必要不可欠なのだ。
<出典・補注>
(1)野村総合研究所NewsRelease(2015年6月22日)
(2)吉田太一『あなたの不動産が「負動産」になる』、ポプラ新書、2015年8月
(3)平成15年の住宅・土地統計調査は、市町村合併前の時期でもあり、市町村合併した人口規模が小さな町村は調査対象外であったことから、市町村合併後である平成20年から平成25年の増加率に着目した(図表3)
(4)山梨県都市計画マスタープラン委員会第1回資料(2016年11月8日)

老いる家 崩れる街
野澤千絵野澤千絵女史のプロフィール
兵庫県生まれ。1996年、大阪大学大学院環境工学専攻修士課程修了後、ゼネコンにて開発計画業務等に従事。その後、東京大学大学院都市工学専攻博士課程に入学、2002年、博士号(工学)取得。東京大学先端科学技術研究センター特任助手、同大学大学院都市工学専攻非常勤講師を経て、2007年より東洋大学理工学部建築学科准教授。2015年より同教授。共著に『白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』(学芸出版社)、『都市計画とまちづくりがわかる本』(彰国社)ある。


「住宅ローン」という名の足枷により、知らず識らずに移動する自由を奪われ定住化を余儀なくされたことで、私たち日本の民衆は労働資源として日本型資本主義に貢献してきました。交通手段の発達と企業の競争原理により、個人の移動距離が低価格で拡大している今、旅行に留まることなく、住環境を移動する自由を手にしたいものです。そのためには、借金して購入したものが富であるという錯覚から解放される必要がありそうです。


大きな笑顔の佳き日々を。  感謝

天たかく空たかく@Marcelino Pan y Vino

 高校1年生の今時期のことでした。通学用にと両親から買ってもらった自転車を盗まれたのです。それは人さし指一本で持ち上げることができるステンレス製のFujiの自転車。高校の自転車置き場から消え去りました。私はどこのだれかは知らないが盗んだ者を責めたのです。その時、母は「持って行った人は必要があったのだから、きっと何かに使っているのよ。気にしない、気にしない。」と私を宥(なだ)めてくれました。父は「姿・形ある物は必ずこの世からなくなるもの。」と私を諭すのでした。結局、私が失った物は何もありませんでした。そして、徒歩での通学を始めたのです。

 それから間もなく、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆した『レ・ミゼラブル』を知りました。1815年10月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男、ジャン・ヴァルジャンが訪れます。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年間、服役していました。司教は、それまで行く先々で冷遇された彼を暖かく迎え入れます。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまいます。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免します。そればかりか、彼に2本の銀の燭台をも与えるのです。結果、彼の行為と氣持ちがヴァルジャンに回心(Conversion)をもたらします。それまで人間不信と妬みの塊であった彼の魂は、愛(humanity)と許し(慈悲)を覚え、未来を決めるのは自分の意志なのだと知るのでした。

 被害者意識と唯物とに耽(ふけ)る直線的思考は、頭と身体の老化を促進させます。ノンリニア編集(Non-linear editing)のように、自由自在に、即座に環境を追加・削除・修正・並べ替えることができる頭と心の軟さが必要です。


閑話休題(それはさておき)


 最後の晩餐でイエスは、パンを取り、「これがわたしのからだである」と言い、杯をとり「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与えました。伝統的なカトリックと正教会のキリスト教徒たちはこの聖餐をサクラメント(秘跡)として受け取り、教会は「聖体拝領(ユーカリスト)」として儀式化しました。この「イエスから与えられるパンとワイン」を、ノンリニア(非直線)的に「イエスへ与えるパンとワイン」として描いたのが映画『汚れなき悪戯』(1955年・スペイン)です。

 6歳に成る主人公・マルセリーノは、ある日、二階の納屋奥で壁に取り付けられた十字架に等身大のキリスト像を見つけます。彼は小窓を開け、明るい中でよく見つめるのでした。茨の冠を被ったキリストは痩せ細り、空腹に見えます。少年は可哀想にと思い、一階の台所から一切れのパンを拝借し、「食べて」とキリスト像へ与えます。すると、ゆっくりと静かにキリスト像の右手が動き、マルセリーノからパンを受け取りました。
 それからのマルセリーノは、飢えと寒さに悩むように見えるキリストの許(もと)へ、無心にパンとワインを繰り返し運びます。キリストは、十字架から降り、マルセリーノが準備した古椅子へ座って、パンを食べながら彼に優しく話しかけるのでした。



 この小さなマルセリーノを心から慈しむ12人の修道士たち、十字架のキリストを可哀想に思う少年のあるがままの思いやり(humanity)、彼が抱く己が母とイエスの母への憧憬(しょうけい)の念、そしてキリストの愛(humanity)が渾然一体となって、死んだら終わりではないという場(この世)を形成しています。サソリに刺され死線を彷徨いながらも修道士たちの献身により復活した少年は、イエスへのパンとワインそしてイエスの導きにより永遠の生命(いのち)を与えられたのです。

 最後の審判の時が来ること、死者の魂とのコンタクトができること、死んだら終わりではないことの三つのことを知らせる作品なのだと心得ました。

 死後の世界を知ることなく、死んだら終わりの唯物論を信じて自分の欲望達成のみを人生のゴールにしてはいないでしょうか。このように最後の審判(Last Judgement)又は最後の一厘の仕組みというものは、私たち一人ひとりの魂のレベルで始まります。この神知の仕組みを知り、あの世とこの世の関係を見極め、自分がどこから来てどこへ行くのかを知って、この人生がスタートした地点よりも進歩したところで、創造的に人生を終えたいと願っています。


大きな笑顔の佳き月曜日を。  感謝

Professor Peter Kwong @ You're very kind.

ニューヨーク州立大学時代の恩師ピーター・クウォン教授のことは、「One Day at a Time」(流れのままに2010年02月12日)に一度記したことがありました。 今朝、フト、この記事を再度読む機会がありました。先生は今どうしていらっしゃるのだろうかと検索して目にしたのは、教授との別れを惜しむ記事の数々。奇しくも、今日9月17日は教授が他界なさってから6ヶ月目です。
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March 19, 2017

Dear Members and Friends of the Urban Policy and Planning Community:
I write with deep sorrow to inform you of the passing of Professor Peter Kwong, who died of cardiac arrest on Friday, March 17th.

Professor Kwong had been a member of the Hunter faculty since 1993, where he was a Distinguished Professor in the Urban Policy and Planning Department and a Professor of Asian-American studies. He was also a member of the doctoral faculty in Sociology at the CUNY Graduate Center. In our department, he regularly taught a workshop for incoming students in the graduate program in Urban Policy and Leadership, and courses on immigration and the gentrification of Chinatown. Over his career, he taught as a Visiting Professor at Fudan University in Shanghai, the City University of Hong Kong, and the People’s University of China, as well as Princeton, Oberlin, Yale, Columbia, Berkeley, and UCLA.

Peter Kwong was born in China in 1941. He came to this country to attend Whitman College in Walla Walla, Washington, where he received a B.A. in math and physics. He subsequently earned a B.S. in Civil Engineering at Columbia University before enrolling at Columbia to get a certificate in East Asian Studies and a Ph.D. in political science.

Peter had a passionate commitment to issues of social justice and a long record of activism concerning conditions in the Asian-American community. His career spanned the fields of scholarship, journalism and film-making, all directed to improve the lives of people who were marginalized by discrimination or social deprivation. A recent article in New York Magazine referred to him as the “Dean of Chinatown Studies.”

He was the author of five books and hundreds of articles. Among his books were Chinese America: The Untold Story of America’s Oldest New Community, which he co-authored with his wife, Dusanka Miscevic, a historian and frequent collaborator; Forbidden Workers: Illegal Chinese Immigrants and American Labor; and The New Chinatown. Kwong challenged the notion that Asians are a model minority, revealing in his research widespread class divisions, poverty, exploitation, drug abuse, and organized crime — all of which were exacerbated by decades of discrimination by a majority white society. At the time of his death, Peter and his wife were completing a history of Chinese immigration in the western United States, and he was beginning to work on an autobiography.

Peter’s journalism appeared in such outlets as The Nation, Village Voice, International Herald Tribune, and Philadelphia Inquirer. He was frequently interviewed by the New York Times and other major news outlets. His essay on multi-cultural race riots in Los Angeles, published in the Village Voice in 1992, merited the Sidney Hillman Foundation Prize, the George Polk Award, and was nominated for the Pulitzer Prize. His 1990 article in the Village Voice on Chinese drug cartels, co-authored with Dusanka Miscevic, was also nominated for a Pulitzer.

As with his scholarship and journalism, Peter’s filmmaking always delivered a strong social message. His 1980 PBS film, Third Avenue: Only the Strong Survive, documented steep class divisions along Manhattan’s East Side, and won him an Emmy Award. His HBO documentary, China Unnatural Disaster, co-produced with Jon Alpert, was nominated for an Academy Award in 2010. The heart-wrenching film highlighted corruption, incompetence and neglect by the Chinese government that became apparent as a result of the catastrophic earthquake of 2008 in Sichuan Provence that killed 70,000 people, including 10,000 children. The Chinese police detained Peter and Jon Alpert during the course of the filming.

Peter Kwong enjoyed an international reputation as an activist, scholar, journalist, and film-maker. He was a personal friend of the Dalai Lama, who, because of Peter’s good graces, has visited Hunter College on two occasions. Peter and his wife “Douska” reciprocated in 2011 by accepting an invitation from the spiritual leader to visit his residence in India.

Our community will dearly miss Peter’s irreplaceable presence. A memorial service celebrating his extraordinary life and achievements will be held at Hunter College later this spring. Details will be posted on both the college and department websites when final arrangements are made.

With Sincere Regrets,

Joseph P. Viteritti
Thomas Hunter Professor of Public Policy
Chair, Urban Policy and Planning Department


NYC: Leading Asian-American Studies Scholar Peter Kwong Dies
(Democracynow Mar 21, 2017)
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And Peter Kwong, a leading scholar of Asian-American studies and immigration has died. Born in Taiwan in 1941, Kwong was a distinguished professor of urban affairs and planning at Hunter College and a professor of sociology at the Graduate Center of the City University of New York. His work was twice nominated for the Pulitzer Prize. In 2010, Kwong appeared on Democracy Now! to talk about his Oscar-nominated film, "China’s Unnatural Disaster: The Tears of Sichuan Province." This is Kwong speaking about how the Chinese government was seeking to suppress information about the earthquake, which killed 80,000 people.
Peter Kwong: "So, ironically, ours is the only document of history. This is the only thing that’s left. And so, it is therefore very, very important for us to continue to push. People in China are pushing, but we have to do our task. This is really very important, because the parents knew, we’re the only ones could let the rest of the world know."



Peter Kwong
参考:Celebrating Peter Kwong, Asian American Studies Pioneer, Immigration Scholar, Award-Winning Journalist and Filmmaker March 19, 2017 ~ Lia Chang

ピーター・クウォン教授のスピーチを聴くと、涙が止まりません。

教授、ありがとうございます。   感謝

知識 見識 胆識

英国政府は先月26日に、2040年までにガソリン車やディーゼル車の販売を全面的に禁止すると発表しました。電気自動車(EV)にしましょう、ということです。オランダやノルウェーでは、25年以降のディーゼル車やガソリン車の販売禁止を検討する動きもあるようです。ドイツは昨秋に30年までにガソリン車などの販売を禁止する決議が国会で採択されています。インド政府は今年4月に30年までに販売する車をすべてEVにする目標を表明し、中国も類似の政策導入を試みる様子です。日本のように早期から真摯に環境対策をしてこなかった欧州各国は一気に脱石油であるEV化を目指します。世界の石油消費の7割弱は自動車など輸送用が占めていますから事情は理解できますが、ハイブリッド車も禁止するなら、それは日本車を自国のマーケットから締め出す政策だと言われても言い訳はできそうにありません。

でも、ヘッチャラです。大丈夫です。日本の電池技術は世界の最先端ですから・・・。





閑話休題(それはさておき)


マツダの小飼社長の見識と胆識には脱帽です。
マツダ流 割り切り戦略、あえてディーゼル
12月に新型SUV、「エンジン残る」技術に磨き
(2017/9/15付日本経済新聞 朝刊)
 マツダは14日、世界展開を視野に入れた新型の多目的スポーツ車(SUV)を発表した。動力は電気でもガソリンでもなく、あえてディーゼルエンジンだけとした。自動車業界では折しもディーゼル規制が強まり、電気自動車(EV)シフトが一段と加速している。逆張りにみえる経営判断の裏には、マツダ流の「割り切り」がある。
マツダの小飼社長 「環境負荷を低減する技術開発を進めながら、走る喜びを訴求していく新しいチャレンジだ」。マツダの小飼雅道社長は同日、東京都内で開いたSUV「CX―8」の発表会でこう強調した。
 CX―8は3列シートの大型SUV。2017年度中に撤退するミニバンに代えて12月に発売し、多人数で乗る顧客を取り込む。「1人の時でもドライブに行きたくなる車に仕上げた」(小飼社長)という旗艦車種だが、EVやプラグインハイブリッド(PHV)のモデルは用意しない。
 しかし、世界ではディーゼルなどエンジン車への逆風が強まる。英仏は40年をめどにエンジン車の販売を禁止する方針を決め、中国もガソリン車の製造を禁じる検討に入った。12日から開いている「フランクフルト国際自動車ショー」では世界大手が電動化を競う。
 「ディーゼルで世界の環境規制に対応できるのか」。発表会では報道陣からこんな質問が相次いだ。ただ、マツダは「現時点では大型SUVでは力強く、長距離を走れることが特徴のディーゼルエンジンが欠かせない」と説明する。
エンジンを使う車増加 理由は2つある。1つはエンジン車への根強い需要だ。英調査会社IHSマークイットの17年春のまとめでは、ハイブリッド車を含むエンジンが必要な車の世界販売は25年、16年比で約15%増える。ディーゼル車は17%減るが、それでも約1500万台の需要がある。
 もう1つはエンジン技術へのこだわりだ。マツダのディーゼルエンジンは窒素酸化物(NOx)の規制値を特別な処理装置を付けずに実現した実績があるなど、世界的に定評がある。小飼社長も発表会で「国内ディーゼル市場をけん引してきた」と自負をみせた。
 小飼社長は一方で、規制対応のため「PHVやEVも開発する」と明言した。8月には、トヨタ自動車とEVを共同開発する提携を決めた。電動化技術はトヨタを頼みとし、自らは車両設計に集中するシナリオを描く。
 販売台数が年間155万台のマツダは世界的にみると中堅メーカー。ネットと「つながる車」や自動運転など技術課題は山積するが、全方位の開発は難しい。ある国内証券アナリストは「エンジン技術を磨くことは強みを生かす戦略だ」とマツダの選択に理解を示す。
 とはいえ、世界各国の環境規制や自動車大手の電動車戦略はこの数カ月で劇的に進んでいる。「エンジン技術は自ら磨き、EVはトヨタと協力する」という青写真は正しいのか。答えはまだ見えない。(湯沢維久)


秋の夜長を大きな笑顔でお楽しみください。  感謝

アナログという生き方

おはようございます♪

9月の中旬、いかがお過ごしですか。
早朝の氣温が下がり、めっきりと冷え込んで参りました。

下旬には、常緑の木々の合間に紅色や黄色が顔を見せてくれます。
わが家の背後の藻岩山と前面の円山の秋の彩が楽しみです。

さて、今朝は藤井尚治博士の『アナログという生き方』についてお伝えします。感銘を受けた本のひとつで、良書です。

藤井博士は、ストレス学の始祖、ハンス・セリエ博士を日本に初めて招聘した人物で、銀座内科を主宰されていた博学の紳士。

最終章第3章「人生、楽しんだ人が最後は勝ち」に、彼は次のように書きました。
自分の人生は渦中にいて、どっぷり浸かっていると、よく見えない。遠くから離れてみると、よく観える。もし、うまく行かなかったら、離れて見るか、他人の意見を聞いてみる。カミサンはしょっちゅう、あなたのことを見ているから、よくわかっている。カミサンの話を聞いて、微調整する生き方もアナログ的でいい。男はとかくロジック(論理的)でデジタルな世界に入りがちだから、女性の見方が必要になるのである。

最後に、アナログという生き方の根幹をまとめておきたい。

まず第一に、人生のできごとを大局観で見て、考えること。些細なことは氣にせず、何が大事か、考えてみることだ。自ずとやることが観えてくる。

第二に、一生新手である。新しいことは面白いし、面白いことでないと、一生懸命やることはできない。新手はいつも少数意見だから、発揮するのは力がいる。

第三は、他人から信頼されると。ここではセリエの愛他敵的利己主義が役立つ。「自分の楽しみ」を「他人に役立とう」という2つの観点で生きることだ。

第四は、知と情のバランスをとること。知に傾けば冷たい人間になるし、情に溺れれば面倒な事態を引き起こす。中庸という生き方ができれば、一番である。

最後の最後に、もうひとつ。いまは民主主義の世の中だから、味方の多い方が勝つ。カミサンも含めて、味方を作る努力をしたい。まあ、アナログという生き方の根幹の第一から第四までをきちんとやっていれば、味方もできるだろう。

人生、そんなに深刻なものではないから、楽しんだ奴が勝ちに決まっている。

大正10年(1921年)生まれの極めて聡明な老紳士は、本書が出版された翌年の誕生日の4月19日に昇天なさいました。享年77歳。
アナログという生き方
その最期の日々にも入院先の病院で、痴呆症状の強い多くの患者たちの話しに耳をかたむけ、「先生」と慕われていたそうです。平成9年(1997年)4月19日、博士のベッドは、そうした患者たちからの、誕生日を祝う赤い花に囲まれていました。赤い花は、そのまま旅立ちへの手向けとなりました。

彼は医師としての姿勢を次のように要約しています。
医師は、検事的立場をとりがちである。客観性偏重、証拠主義で、患者の心身の悪いところを探し出し、検査で証拠だて、断罪しようとする。これに対して、ストレス4月19日、76歳の誕生日 に、この世界から旅立たれた。 理論にたつ医師は、いわばハイゼンベルグの不確定性原理の応用者たらんとする。つまり、客体としての患者ではなく、クライアント(依頼者)と共に立つ「医界の弁護士」たらんとするのだ。


木曜日の朝に。  感謝

farewell TOYS“Я”US

ドラッカー教授(Peter Ferdinand Drucker:1909年11月19日〜2005年11月11日)は、企業の目的は顧客創造であり、その目的を達成するための機能としてマーケティングとイノベーションがあると言いました。この「顧客創造」の原文は”create a customer”です。言葉を大切にする彼は、敢えて”create customers”を使いませんでした。「一人の顧客を創造する」のが企業の目的だと言うのです。これは、ドラッカー教授の「人間を中心にして見る」というモットーが”create a customer”という言葉で現れたのだと思います。市場をmarketとして見るのではなく、市場の構成員である一人ひとりのa customer(人)としてを見よ、というのです。市場をマーケットとして分析していたのでは、新しい商品やサービスの開発は叶いません。

現代日本の優良企業とされるニトリは、ローコスト・オペレーションが成功の要因だと見られがちですが、安さのみで勝負を挑んでいるのではありません。日本のa customerが潜在意識としてイメージしてきた欧米並みの住まいの豊かさを提供する、というゴールがあるのです。ここが成功の主たる要因だと思います。加えて、家具は購買頻度が低いことを前提に、購買頻度の高いホームファッション商品も取り揃えたのでした。

ドラッカー教授は、マネジメントとは企業の方向付けを行い、ミッションを決め、その上で目標を定めて「資源を動員し」、成果に責任を持つことだとしました。企業のStrategic Apex(戦略トップ)が利益最大化にのみフォーカスしたり、「顧客創造」のために経営資源を総動員できない時には、企業は淘汰される運命をたどるのです。

ニューヨークで暮らしていた1987年から1997年の間には、TOYS“Я”USに遊びに行ったものでした。数々の楽しい想い出が心に残っています。ありがとうございます。それが、いつのまにかロゴがToys“R”Usになっていて、今は破産検討かと言われる経営状態の様子。残念です。
米トイザラス破産検討か
(共同 2017/9/7 06:17)
安売り、ネットに苦戦
【ニューヨーク共同】米CNBCテレビは6日、米玩具大手トイザラスが破産手続きも選択肢の一つとして経営再建策を検討していると報じた。約4億ドル(約440億円)の債務が2018年までに返済期限を迎えるため、再建を支援する法律事務所と契約した。
 米小売り大手ウォルマート・ストアーズの安売り攻勢や、米インターネット通販大手アマゾン・コムとの競争激化で経営環境が厳しくなっている。
 これまでは投資ファンドの支援を受けて資金繰りをこなしていたが、小売店の倒産増加で、借り換えが難しくなっているという。


米トイザらス、本社で15%のレイオフ実施 「経験重視」戦略展開へ
(Forbs 2017/02/21 15:00)
トイザらス
 米玩具大手トイザらス(TRU)は長年、子どもたちを喜ばせるための最も信頼できるブランドの一つとして、その地位を維持してきた。だが、その足元はぐらついている。
 TRUは2月17日、ニュージャージー州ウェインにある本社従業員の15%近くをレイオフ(一時解雇)したことを明らかにした。約250人の雇用が失われたことになる。
 同社幹部はこれについて、「…費用抑制だけが目的ではない。わが社の成長計画のためには、事業を変革し、財務における目標を達成するための適切な体制と人材、決意が必要だった」と述べている。同社の経営不振は、もう何年も前から続いている。
 それには複数の要因がある。消費者が主にオンラインで買い物をするようになる中、その他の小売業者と同様、同社も新たな経営方針を固めることができずにきた。玩具チェーンの販売にとっては消費者がショッピングモールに足を運んでくれることが不可欠だが、モールへの客足は減少している。
 さらに、ウォルマートやターゲットのような知識の豊富なライバル企業との競争もある。各社は玩具の売り場面積や、休暇シーズンに合わせて季節ごとに提供する商品を3倍に増やしており、消費者は買い物に行きたい店の候補リストから、TRUを除外するようになっている。
 一方、主要な競合他社から売り上げを奪うアマゾンの存在もある。特にその打撃を受けているのが、従来から商品の在庫管理に問題を抱えるTRUだ。同社は2015年、店頭での在庫切れが問題化。在庫管理のための新たなアルゴリズムを導入したが、休暇シーズンの需要を低く見積もるなど、E−フルフィルメントに関する問題が残された。フォーチュン500企業の最高経営者(CEO)の任期は平均9.4年だが、同社はここ十数年で、少なくとも4人がCEOに就任している。

変化と生き残りのために─
 TRUのデービッド・ブランドン現CEOは、こうした問題を抱える中でも業績改善は可能だと考えている。主要な戦略の一つに掲げているのが、店舗を「楽しい場所」にすることだ。
 ブルームバーグの報道によると、誕生日パーティーなどのイベントの開催を請け負ったり、親子で楽しめる遊び場を提供したりするなど、ブランドンは店舗を「経験ができる」場所にしたい意向だという。
 そのほか、店舗の新設にも積極的だ。投資に回せる資金が限られている企業の戦略としては理屈に合わないとも思えるが、小規模店舗をニューヨークなどの都市部に複数開設することで、TRUを利用できる消費者が増え、同社の存在感を増すことができるとの考えだ。それらが来店者と売上高の増加につながると見込んでいる。一方、オンラインでの存在感を高めることの重要性も認めており、その実現も目指している。 編集 = 木内涼子
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