生彩ある人生

蒼き淵の彼方よりあふれ出づる光の泉。内なるしじまと向き合いて 輝きは聖となり私(わたくし)と成す。

2017年09月

ソーシャル・キャピタル

尊敬する草苅健氏のホームページの「鹿追モデルの源泉を探って」に、生彩ある人生のエッセンスを覚えました。
■9/6 鹿追モデルの源泉を探って
(雑木林&庭づくり研究室  日々の迷走 2017年9月6日)

今週早々、鹿追町にお邪魔していました。地域力の一つのとらえ方であるソーシャル・キャピタルの源泉を探るものでした。というのも、アンケートをしてみると、鹿追高校の生徒がほかの道内10校に比べて明らかに高い地域愛着度を示し、鹿追のマチの人に恩返しをしなくちゃ、みたいなことを考えているのです。人口減少と高齢社会に悩む今、地域に戻って恩返し!。この自然な発想がどこから来るのか。町長、教育長、高校関係者のほか、社会教育の関係者に聞いてみる絶好の機会でした。子育てまっさい中のお母さんたちも集まってくれました。もちろん、それぞれ別々の場ですから二日にまたがり丸一日がかり。ピュアモルトクラブという写真のこの施設も、若者がのびのびと地域で生きるための示唆に富む取組でした。やはり女性が元気であることの意味は予想外に大きいことを改めて知ります。(共著:『これからの選択 ソーシャル・キャピタル』をご参照ください)

これからの選択 ソーシャル・キャピタル
(単行本: 249ページ; 出版社: 北海道開発協会; ISBN-10: 4938843196;ISBN-13: 978-4938843199; 発売日: 2011/11/10)
第6章「3.女性が開く地域新時代」(219〜236頁)と「4.地域事例を串刺しする視点の試論」(236〜247頁)を興味を持って読ませていただきました。本書のような良書には、良質の索引が付いていた方が自然だと思いました。
是非、本書を紐解いてください。おススメします。


閑話休題(それはさておき)


社会のために役立ちたい、社会とつながりたい、という気持ちの若者たちは多いと思います。しかしながら、役立つには何をすべきなのかが分かりません。自分の頭で、自分の気持ちで、本物だと思える人やものに出会うのは容易ではありません。自分の人生を通じて、これだ!と直感できる「お役目」(価値または天職)と「場」を探しているのです。加えて、シニア世代もまた同様に、お役目と場を探し求めているはずです。理屈ではなく、生きる「場」または生きがいを発揮できる「場」を自分が暮らすコミュニティ・町内会・市町村・地域・国家に見いだせるなら、こんな幸せなことはありません。自分は人々の役に立っていて、自分の言動が人々の喜びに繋がっているという自覚と自信。これはリーダーという立場でも、フォロワーという立場でも同じことです。ソーシャル・キャピタルの必要条件は、自分たちが価値としてのお役目を共有していることだと思います。

最近、私が暮らす町内で、ゴミ・ステーションがリニューアルされました。旧ステーションの時は、町内会長さんが雪の除雪してくれいました。しかし、彼は会長職をリタイヤしました。先日、新しい町内会長さんとこの件で少しばかりお話ししました。これからやってくる雪の季節に、除雪のお役目をどうするか。現場の環境を整える人的資源は私たち一人ひとりのお役目です。行政の出る幕ではありません。今まで以上に、ご近所のコミュニケーションと連携が求めらることになります。私見によれば、コミュニケーションは対面と紙媒体に加えて、メールや町内会SNSなどへとイノベートしていく時代です。願わくば、年長者のみではなく、10代〜30代の若い世代の人々が、この小さな「ゴミ・ステーション」活動にかかわり、この場をツール(足がかり)として地域コミュニティーに対して発言する能力を開発できるなら、なんと素敵なことでしょう。住む地域=公的空間を、さも自分の家=私的的空間でもあるかの如く調和する喜び。生活に直結するものごとに携わる人は、地に足をつけた実現可能性の高いビジョンを持って発言ができるようになるものです。加えて、場の問題も。現在は町内会の集まりは近所の総合病院の会議室を借りています。近くにはお寺がります。お寺という場の力を借りて、一度集まりを持ってみたという気がしています。ゴミ・ステーションから話題が、地域の経済や開発へとシフトしていくなら、場にかかわる人材のポテンシャルが高まっていくに違いありません。同時に、町内会という組織が大きくイノベートされいくことになるでしょう。このダイナミズムは想像するだけで、笑みがこぼれますね。

参考:サロベツ原野の保全活動
参考: 流れのままに 「大局を知る」(2005年07月25日)


秋の香りと虫の音に心躍らす深夜に。   感謝

アナログという生き方

おはようございます♪

9月の中旬、いかがお過ごしですか。
早朝の氣温が下がり、めっきりと冷え込んで参りました。

下旬には、常緑の木々の合間に紅色や黄色が顔を見せてくれます。
わが家の背後の藻岩山と前面の円山の秋の彩が楽しみです。

さて、今朝は藤井尚治博士の『アナログという生き方』についてお伝えします。感銘を受けた本のひとつで、良書です。

藤井博士は、ストレス学の始祖、ハンス・セリエ博士を日本に初めて招聘した人物で、銀座内科を主宰されていた博学の紳士。

最終章第3章「人生、楽しんだ人が最後は勝ち」に、彼は次のように書いている。
自分の人生は渦中にいて、どっぷり浸かっていると、よく見えない。遠くから離れてみると、よく観える。もし、うまく行かなかったら、離れて見るか、他人の意見を聞いてみる。カミサンはしょっちゅう、あなたのことを見ているから、よくわかっている。カミサンの話を聞いて、微調整する生き方もアナログ的でいい。男はとかくロジック(論理的)でデジタルな世界に入りがちだから、女性の見方が必要になるのである。

最後に、アナログという生き方の根幹をまとめておきたい。

まず第一に、人生のできごとを大局観で見て、考えること。些細なことは氣にせず、何が大事か、考えてみることだ。自ずとやることが観えてくる。

第二に、一生新手である。新しいことは面白いし、面白いことでないと、一生懸命やることはできない。新手はいつも少数意見だから、発揮するのは力がいる。

第三は、他人から信頼されると。ここではセリエの愛他敵的利己主義が役立つ。「自分の楽しみ」を「他人に役立とう」という2つの観点で生きることだ。

第四は、知と情のバランスをとること。知に傾けば冷たい人間になるし、情に溺れれば面倒な事態を引き起こす。中庸という生き方ができれば、一番である。

最後の最後に、もうひとつ。いまは民主主義の世の中だから、味方の多い方が勝つ。カミサンも含めて、味方を作る努力をしたい。まあ、アナログという生き方の根幹の第一から第四までをきちんとやっていれば、味方もできるだろう。

人生、そんなに深刻なものではないから、楽しんだ奴が勝ちに決まっている。

大正10年(1921年)生まれの極めて聡明な老紳士は、本書が出版された翌年の誕生日の4月19日に昇天なさった。76歳であった。
アナログという生き方
その最期の日々にも入院先の病院で、痴呆症状の強い多くの患者たちの話しに耳をかたむけ、「先生」と慕われていた。平成9年4月19日、博士のベッドは、そうした患者たちからの、誕生日を祝う赤い花に囲まれていた。赤い花は、そのまま旅立ちへの手向けとなった。

彼は医師としての姿勢を次のように要約している。
医師は、検事的立場をとりがちである。客観性偏重、証拠主義で、患者の心身の悪いところを探し出し、検査で証拠だて、断罪しようとする。これに対して、ストレス理論にたつ医師は、いわばハイゼンベルグの不確定性原理の応用者たらんとする。つまり、客体としての患者ではなく、クライアント(依頼者)と共に立つ「医界の弁護士」たらんとするのだ。


木曜日の朝に。  感謝
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斉藤雅紀プロフィール
函館市天神町生まれ。
『心に願へ お蔭は 吾が心に在り』を信条に。
http://www.way6.com
masanoriSaito
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