生彩ある人生

蒼き淵の彼方よりあふれ出づる光の泉。内なるしじまと向き合いて 輝きは聖となり私(わたくし)と成す。

2017年12月

言挙げしない

大晦日になりました。
残すところあと30分です。
みなさまは、いかがお過ごしでしょうか。

ネガティブ・ケーパビリティ(negative capability)という言葉を尊敬する草苅氏から教えていただきました。「目的意識はもちつつ、宙ぶらりんで持ちこたえて、まさに流れのままにいき、その先のゴールにいく、そんな感じの能力をいうようです」と。氣が楽になる、力を抜いて、調和を導くありがたい言葉だと思いました。

調べてみますと、英国の詩人ジョン・キースさんがこの言葉の生みの親でした。キースさんの次の詩からもnegative capabilityのエッセンスが伝わってきます。
In drear-nighted December
12月のわびしい夜

STANZAS - John Keats
I.
In drear-nighted December,(12月のわびしい夜でも)
Too happy, happy tree,(幸せにいられる木は)
Thy branches ne'er remember
Their green felicity:(盛りの頃の枝振りを覚えているわけではないが)
The north cannot undo them,
With a sleety whistle through them;(力いっぱい吹きつける北風に飛ばされずに)
Nor frozen thawings glue them
From budding at the prime.(凍てつく寒さにも芽生えを妨げられることもない。)

II.
In drear-nighted December,(12月のわびしい夜でも)
Too happy, happy brook,(幸せにいられる小川は)
Thy bubblings ne'er remember
Apollo's summer look;(夏の盛りの頃のように泡立ち流れることはないが)
But with a sweet forgetting,
They stay their crystal fretting,(それでも時折は思い出して水晶のような輝きを見せ)
Never, never petting
About the frozen time.(凍てつく寒さの中でも決して我を忘れることはない。)

III.
Ah! would 'twere so with many
A gentle girl and boy!(多くの優しい少年少女たちにもそうあってほしい)
But were there ever any
Writh'd not of passed joy?(しかし過ぎ去った日を惜しんで悲しくなることもあるでしょう)
The feel of not to feel it,(感じたくないものを感じることは)
When there is none to heal it,(誰にも止めることができず)
Nor numbed sense to steel it,(他の感覚でも置き換えることもできないのだから)
Was never said in rhyme.(わざわざ言挙げしないでも良いのですよ。)

熱田神宮ご神木
いかがでしたか。お楽しみいただけましたか。

今年も「生彩ある人生」をお読みいただき、ありがとうございます。
みなさまの平成30年が更に佳い年でありますよう、祈願して止みません。  感謝

機縁

今年は特に、時間の流れが非常に速く感じられ、あっと言う間の師走です。
みなさん、お元氣でしょうか。

何故でしょうか、自らの生き方に対し今まで以上に責任を感じるようになりました。
意識の変化があったようです。

ブリュージュ

最近、フト、想いだすことがあります。それは、ベルギーの瀟洒な都市・ブリュージュでの30分ほどの運河クルーズのことです。数分間、私が乗る小舟に寄り添いながら流れを共にする花束がありました。花束の流れに小舟が従っているのか、小舟の流れに花束が従っているのか分からなくなってきました。花束と小舟はソフトに優しく寄り添っています。すると、同行者の友人が言いました。

"You, to me you're a precious person". 
The bouquet of roses and this boat open their hearts to each other.

(「あなたは、私にとって大切な人です」と互いに語り合っています)


花鳥風月そして私たちは皆、何かしらひとつの大切な役割を果たしています。全体とうまく調和して、全体にうまく溶け込むこと、又は全体(周囲)から包み込んでもらうことを機縁に、ソフトに優しく開花(自分らしさを発揮)して責務を果たすことができるようになっていくのかもしれません。


閑話休題(それはさておき)


とある会席で、白川伯王家の伯家神道が話題となりました。1025年から800年間ほど宮中で「祝(はふり)の神事」)の神事」と呼ばれる行法を行っていた方々がいらっしゃいました。それは皇太子が天皇となられるための修行でした。現在は、先代の天皇が崩御した後、皇太子が新たな天皇になられるために大嘗祭(だいじょうさい)の儀式のみを行います。それによって皇太子は「国の体」となられるため、これを国体修行と呼んだようです。明治天皇まで行われ、大正天皇以降はこの行法は実施されていません。伯家神道には、「大祓(中臣祓)」「三種祓(さんしゅのはらひ)」「身禊祓(みそぎはらひ)」「一二三祓(ひふみのはらひ)」の四つの祓詞があります。シンプルであり、パワフルな三種祓(さんしゅのはらひ)には興味が絶えません。

とほかみえみため
とほかみえみため
とほかみえみため
祓(はら)ひ給(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ


私たち人間の心身には過去世から現世に至るまで、さまざまな罪・科(とが)・穢れが蓄積されています。仏教の煩悩(ぼんのう)です。混同される方々がいらっしゃいますが「靈」ではありません。この罪・科(とが)・穢れ、そして煩悩は私たちを苦しめますが、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)のように禊祓いをすれば、それが消滅して大変に精妙な意識状態となり、葛藤や不安、苦しみがなくなるという信仰は昔からあったようです。

自らが小さな石となり、及ばずながら人々の苦しみや過去からのしがらみを取り除き、自分も含めたこの世のすべての人々を幸せにしたい。いかなる小さな争いごともなく、富者(ふしゃ)も貧者(ひんじゃ)もいない、この世の天国である高天原の実現を目指したい、と祈願して止みません。

そのためには、まだまだ己の内側と外側を祓い清めて、細石(さざれいし)の巌(いわお)となるまで(小さな石が長い年月をかけて大岩になるまで)、この小さな石を磨き続けようと望みながら、ソフトに優しく「詞」を奉る(たてまつる)のが理想だと考えます。

祓い詞などを活用した結果、自分の身魂を木か草と間違えて、蝶が指先や肩に止まり、鳩が近づいて来たら、理想的です。なぜなら、意識が進化して身魂が自然に調和(同化)し、樹木や草と同じようになっているからです。

小さい頃から親しんだ「祈念詞」です。三回繰返須(クリカエス)。

遠祖神(トオカミ) 恵美給米(エミタメ)
祓比給比(ハラヒタマヒ)清米給比(キヨメタマヒ)
幸御魂(サチミタマ)奇御魂(キシミタマ)
守利給比(マモリタマヒ)幸比給比(サキハヒタマヒ)
有難度御堅比奉須(アリガトウゴザヒマス)



大きな笑顔の佳き師走を。  感謝
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斉藤雅紀プロフィール
函館市天神町生まれ。
『心に願へ お蔭は 吾が心に在り』を信条に。
http://www.way6.com
masanoriSaito
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