早いですね。今年は、もう半年が過ぎ去り、新たな半年が始まります。

今日7月1日は、電子工学技術者の佐々木 正博士(1915年生)のお話を楽しみましょう。彼は「ロケット・ササキ」の異名を持つ方で、シャープ元副社長でした。ポケットに入る超小型電卓の開発はこの方の仕事です。現在101歳でいらっしゃる彼は矍鑠(かくしゃく)として頭脳明晰。生彩ある人生をまい進されていらっしゃる。素的ですね!
ジョブズが憧れた日本人――電卓生みの親・シャープ“ロケット佐々木”伝説
“電卓生みの親”と呼ばれ、シャープを世界的企業に育てた元副社長の佐々木正さん(100)が、ジョブズとの出会いを振り返った。
 パソコンやiPhoneにiPad、iPod…。誰もが世界のネットワークにアクセスできる時代が到来したその陰には、アップル創業者の一人、スティーブ・ジョブズ(1955〜2011年)の計り知れない功績がある。彼の半生を描いた映画「スティーブ・ジョブズ」(ダニー・ボイル監督)が公開中だ。日本で知らない者がいない“伝説の男”。尊敬する歴史上の人物のアンケートをとると常に上位にランクされるが、彼が若い頃に憧れ、海を渡って会いに来た日本人がいたことを、どれほどの人が知っているだろうか? “電卓生みの親”と呼ばれ、シャープを世界的企業に育てた元副社長の佐々木正さん。間もなく101歳となるが、いまだ発明家として研究の日々を送る佐々木さんがジョブズとの出会いを振り返った。(戸津井康之)

アポなしで突然会いに来た眼光鋭きヒッピー、その正体は?
 「髪の毛が伸び放題で、Tシャツにジーンズ姿。まるでヒッピーのようでしたね」
 佐々木さんは、アポイントもなしに、突然、自分に会いに来たという米国人の若者を見たときの第一印象を笑いながらこう振り返った。当時、佐々木さんはシャープの東京支社長。どう見てもビジネスマンらしからぬ怪しいその姿に、「礼儀知らずの格好だな」と驚いたというが、佐々木さんは応接室へ若者を招き入れ、真剣に話を聞いた。
シャープ佐々木正
「若きジョブズの目は輝いていた」と振り返る佐々木正さんは今も新たな研究を続けている

 「アイデアを求めて私は太平洋を越え、日本にいるあなたに会いに来たんです」。若者は佐々木さんの目を見つめながら、こう熱く語り始めたという。
 若者の名前はスティーブ・ジョブズ。彼はアップルの創業者の一人だが、創業から数年後、新製品のマッキントッシュの販売不振の責任を取らされ、自分の会社を追放されていた。佐々木さんにアイデアを求めて会いに来たのは、ちょうどその頃だった。
 「彼の瞳はきらきらと輝き、物事の本質を見極めようとするかのように、じっと見つめる強い“目力”が今でも強く印象に残っています」と佐々木さんは語る。

ジョブズへ与えたアドバイス
 パソコンだけでなく、すでに新たな携帯デバイスに興味を持っていたジョブズに、佐々木さんはこんなアドバイスをしている。
 「ソニーのウォークマンは携帯型の音楽プレーヤーとしてはまだまだ大きい。もっと小さいものでなければいけない」と。
 この佐々木さんのアドバイスと、映画で描かれるあるシーンとが重なった。
 劇中、ジョブズの娘がウォークマンを首からぶらさげ、ヘッドフォーンで音楽を聴いているとき。彼は娘にこう言う。「そんな大きく重い物をよく持ち歩いているな。将来、もっと小さくなるよ」
 ジョブズは佐々木さんのアドバイスを忘れていなかった。その後、ポケットに隠れてしまうほど小さな携帯型の音楽プレーヤー「iPod」を彼は開発、世界中に広めてしまうのだ。
 佐々木さんはこう強調した。
 「私が若い人を見る基準は服装などの見かけではありませんよ。目です。目力があるかないか。それが一つのポイントですね」
シャープ佐々木正2
スティーブ・ジョブズが憧れた佐々木正さん。「ジョブズの目は輝いていた」と振り返った

もう一人の「弟子」はアノ人
 世界的な“ITの革命児”といえば、ジョブズの他に、佐々木さんを師と公言する男がもう一人いる。
 ソフトバンク創業者の孫正義さんだ。
 大学時代、孫さんは自分が発明した自動翻訳機のソフトを持って、佐々木さんの元へ相談に来た。「他の企業を回ったが、まったく相手にされませんでした」と説明する孫さんの目を見て、佐々木さんはそのソフトに約1億円を支払うことを即決したという。
 「そのときの孫さんの目力はジョブズに勝るとも劣らなかった。この青年の力になろう、信用しよう、そう思わせた。私は一切迷いませんでした」
 その後、ソフトバンクを創業した孫さんは、今でも佐々木さんを恩人、そして師として敬い続けている。

米技術者が認めた“ロケット佐々木”
 若きエンジニア時代、佐々木さんはシャープと半導体の開発で技術提携していた米ロックウェル社に出向き、共同研究を行っていた。
 半導体をいかに小さくできるかに心血を注いでいた佐々木さんのLSIの小型化の技術に、ロックウェルの技術者たちは驚愕し、これにNASAが注目。ロケットに搭載するコンピューター技術で応用され、アポロ計画に採用されたのだ。
 「当時のロケット内部の大部分が、大きなコンピューターで占領されていました。私は何とか宇宙飛行士の居住空間を確保したいと考えていた。それにはコンピューターの小型化しかなかったんです」
 NASAが認めた佐々木さんのこの“ロケット技術”が、シャープのある製品で生かされている。
 世界初の小型電卓だ。
 当時、研究機関や大企業などでしか導入されていなかった高額な電子計算機を、小型で低価格の個人でも所有できる製品へと普及させた背景には、佐々木さんの功績が大きく絡んでいる。“電卓生みの親”といわれる所以(ゆえん)だ。

戦闘機も追いつかない発想のスピード
 「ロックウェル社のエンジニアたちが、私に贈ってくれた、あだ名があるんですよ」
 その異名は“ロケット佐々木”だった。
 「私が理由を聞くと、彼らは笑いながらこう教えてくれました。『あなたが話すアイデアの数々、その発想のスピードは戦闘機でも追いつかないからですよ』と…」
 ロケットにまたがって宇宙を目指す佐々木さんのイラストを示しながら、「これはロックウェル社のエンジニアたちが私にプレゼントしてくれたペットマークなんですよ」と佐々木さんは笑った。
 国境を越えた“規格外の日本人エンジニア”に触発されたジョブズがアップルを創業。スランプ時には憧れの人にアドバイスを受けるため、日本に会いに来て、その後、iPhoneにiPad、iPodなど規格外の新製品を開発し、伝説を築く−。伝説の男、ジョブズが師と仰ぐ“日本が生んだレジェンド”、佐々木さんの功績を、私たち日本人は忘れてはならない。
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http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/01/news085.html


全力を尽くして叡智に至った佐々木博士に乾杯!
サムスンに半導体技術を供与した彼を経済産業省は「国賊」と罵ったことがありました。にもかかわらず、博士は超然飄々としていました。「技術者は会社のために働くのではない。国のためでもない。人類の進歩のために働くのだ」ということです。彼は、世界中の技術者が手を携えてイノヴェイションを起こす「共創」を唱えました。しかしながら、「この青年の力になろう、信用しよう」と思った孫正義氏は、「共創」ではなく、現代版の錬金術師になってしまいました。にもかかわらず、反面教師たる人物をこの日本に登場せしめた佐々木博士に、やはり乾杯!

大きな笑顔の佳き日々を    感謝

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