ac5f0bff[1]松本清張氏(1909年12月〜1992年8月)は、『実感的人生論』(中公文庫・2004年)で次のうに語っています。
私は世間の主婦の方にお願いしたい。どんなに下級の人でも、たとえば、あなた方の台所を訪問して品物を配達でもしたような場合、それが商売上の当然の行為であっても、その人間にやさしい犒い(ねぎらい)の言葉一つでもかけてやっていただきたいのである。その人間はその一言でどんなに元氣づけられ、希望を与えられるか分からない。それはあなた方の想像以上かもしれないのである。相手方が人間的に認めてくれたことであり、差別的な観念を持たれなかったことへの喜びである。

氏は尋常小学校を卒業し、給仕や印刷工など下積みの苦労を長らくされました。それ故、社会の虐げられた人、弱い立場にある人への暖かい眼差しがどの小説にも感じられます。これは彼が下積み生活を振り返り書いたものでした。

チャリティ(Charity)は、Christian love(キリスト教的慈愛)から来た言葉でよく知られています。750年前に道元禅師(1200年1月〜1253年9月)が『正法眼蔵』菩提薩四摂法の中で「愛語」ということをいわれたのも良く知られています。
愛語といふは、衆生をみるに、まづ慈愛の心をおこし、顧愛(こあい)の言語(ごんご)をほどこすなり。おほよそ、暴悪(ぼうあく)の言語なきなり。世俗には、安否(あんぴ)をとふ礼儀あり、仏道には、珍重(ちんちょう)のことばあり、不審の孝行(こうこう)あり。慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)<衆生を慈愛すること、猶(な)お赤子(しゃくし)の如くす>おもひをたくはへて言語するは、愛語なり。徳あるは、ほむべし、徳なきは、あはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられず、みえざる愛語も、現前するなり。現在の身命(しんみょう)の存せらんあひだ、このむで愛語すべし、世世生生(せせしょうしょう)にも、不退転ならん。怨敵(おんてき)を降伏し、君子(くんし)を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝(きも)に銘(めい)じ、魂(たましい)に銘ず。しるべし、愛語は、愛心よりおこる、愛心は、慈心(じしん)を種子(しゅうじ)とせり。愛語、よく回天(かいてん)のちからあることを、学すべきなり、ただ、能(のう)を賞するのみにあらず。


今風に言い表すと・・・

愛語というものは、衆生をみるにあたって、まず慈愛の心を起こし、相手を思いやる言葉を与えることです。何事によらず、乱暴粗悪な言葉は使わないことです。世間には、相手の安否をたずねる礼儀があります。仏道の世界には、「珍重(おだいじに)」という挨拶があります。「不審(ごきげんいかがですか)」という師をいたわる言葉があります。「人々を慈しみ思うこと、母親の赤子に接すると同じ」の思いを、わが内に一杯にして、口にする言葉は愛語です。徳のある相手はほめて、徳のない相手には、あわれみをもって接する。愛語が身に付くことを念じるうちに、次第に内に愛語が育っていきます。そうしていくうちに、日頃人にも知られず、表に出ることのなかった愛語も、わが身から現実に現れ出でます。この身の、命のある限りは、好んで愛語することが大切です。そうすると、生まれ変わり死に変わりする幾多の生涯にあっても、愛語は不退転のものとなります。恨みある敵も屈服せしめ、国と国の争いを和解せしめることも、みな愛語を用いることを根本とするのです。面と向かって愛語を聞けば、自然と顔もほころび、心をたのしくするものです。面と向かわずして、愛語を聞けば、肝に銘じ、魂に刻みつけられるものです。お分かりください、愛語は、愛心より起きます。愛心は、慈悲心を種子として発生します。愛語は、よく世界を一変させる力を持つことを知っておきましょう。愛語ということは、ただ、優れた力のある者をほめるといった程度のことではありません。

愛語はまた「言葉ならざる言葉」の形をとることもあります。道元禅師をこよなく敬慕した良寛(1758年11月〜1831年2月)は、弟の嫁から息子に意見をしてくれと頼まれました。息子が放蕩に身を持ち崩しているといいます。呼ばれて三晩泊まったのですが、良寛は一向に甥っ子に説教をしません。彼は説教、先生らしく振舞うことをなさらなかった方でした。ついに、帰る日がやって来ました。良寛は玄関で甥っ子にゾウリのひもを結んでくれと言います。甥は叔父が妙なことを言うと思ったのですが、結んでいると上から襟元にポトリと冷たいものが落ちてくるではありませんか。見上げると、良寛が目いっぱいに涙を溜めています。そして良寛は黙って去ったのでした。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり

と、道元禅師は詠まれました。慈悲の心は、大自然が織り成す四季の移ろいを豊かに感じる心と深く響きあっているのかもしれません。

生まれながらに自分にそなわった神仏の心を言葉にして、
いつも笑顔であたたかく、優しく語りかけ、
この人生を大いに楽しみ、味わいましょう♪


大きな笑顔の佳き日々を。