70dca46f[1]
四国地方の一部では「ごゆっくりしてください」という意味で、
「ゆだんなされ」と言うらしいです。
ゆったり、のんびりの古語「寛に(ゆたに)」の音変化だそうです。
いゃ〜 実に、言葉は興味深いですね。


閑話休題(ソレハサテオキ)。


札幌に暮らし始めて、来月2月から24年目がスタートします。

1987年1月に日本を発ち、カンタベリー(英国)、バッファロー、タスカルーサ(アラバマ州)、マンハッタン、ロングアイランドで遊学して帰国したのは、1997年2月です。出発当時、「ノストラダムス」がブームで日本語訳の予言を信じた人々が多数いました。火付け役は、函館出身の作家・五島勉氏(1929年11月生)。中学3年時のクラスメイトで私の隣席にいたY・Sさんの伯父さんです。友人のひとりから「1999年には地球は亡くなってしまう、日本に帰ってくるな。思う存分遊んでこい!」とユニークなアドヴァイスをもらったものでした。あれから34年、時が経つのはあっと言う間です。

約10年ぶりに帰国し、間もなく専門学校で教壇に立ちました。聞きなれない「ゼンセイ(前世)」という言葉に触れたのはその時です。学生たちが、教えてくれました。「前世」に、現在の幸・不幸や納得できない境遇の原因を求めることができると。現実を直視して問題の原因が今の自分にあるという現実(苦痛)から開放される効能が「ゼンセイ」にはあったようです。

前世と未来は、いずれもこの世に存在しませんが、そのようなことがらに依存しながら、「今」を生きるのはユニークなアイディアです。今の自分が不安だから、見えない存在(=前世)に期待する氣持ちを強めていこうという知恵の働きでしょうか。もちろん、未来に希望を持つことは、今を充実させるための必要条件ですが、「今」という瞬間に対する不満解消の処方箋ではありません。

また、前世を知ることは今を理解するために意味のあることかもしれませんが、「今」起きていることの原因ではりません。今、目の前にある現実は、すべて現世に生み出されたもので、自分とその環境がつくり出したことです。前世の因縁などではないと捉えた方がベター。自分の責任から逃れるために前世を活用するのはユニークですが、素直(シンプル)ではありません。

この世に生を受けた私たち人間のひとり一人の人生を遡って行くと、その行き着く先は神話の世界。アダムとイブや、イザナギの命(みこと)とイザナミの命(みこと)にたどり着きます。『ひとつ(Oneness)』という言葉が説得力を持つ所以。自分の前世をはるか大昔まで遡り、人類はみなひとつだと覚(さと)るなら、自分の頭の中で世界は秩序を以って広がって行(生)きます。

最後に。2010年前後のことでしたが、若い学生の中で霊能力(?)を得た方数人と出逢いました。「自分はキリストかブッタの生まれ変わりではないか?」と思い込んでいましたが、それは宗教的無知から来たもの。キリストはゴルゴダの丘で13日の金曜日に総監ピラトに刺し殺されて後、復活してから今も生きていらっしゃいます。一方、ブッタは「悟りを開いた者」ですから二度とこの世に生まれてくる必要のないお方。ですから、お二方の生まれ変わりは存在しえないのです。霊能力に関しては、お金といっしょで、振り回されない力を身に付けることが大切。霊視やヒーリング(癒し)中毒者にはならないでほしいと助言させてもらいました。

来世や前世よりも自分が参加できる今、「現在(the present time)」を大切にしましょう。
それは神さまから「贈られた時(the present time)」なのですから。

淡々(タンタン)と清々(スガスガ)しく生きて参りましょう。

ゆだんなされ。

生彩ある人生@下段の注意20200103