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  スティーヴンソン博士の前世研究は、まず厳密な面接調査から始まり、前世の記憶を語る子供がいるとの情報が入れば、さっそく現地に出向いて面接調査を開始しました。子らの語る話の内容が、他人や社会から入手されたものでないことをチェックし、さらに、その内容が事実であるかどうかを確認。そして、子らの語る話が事実であることが明らかにされると、次にその情報自体をさまざまな角度から分析しました。
  潜在意識による記憶のいたずらも見逃しませんでした。子らが何年か前に聞いた話や、他人から読んでもらった本の内容や、また、ずっと以前に見たテレビの内容が潜在意識の中に置かれことがあります。その後、本人はそうしたことがあったことさえも忘れてしまうのですが、何かの拍子にそれが顕在意識に出てくることがあります。これを前世の記憶が蘇ってきたと錯覚してしまうケースが。このような潜在意識が関与した記憶は、前世の記憶とは言えません。また子らが、テレパシーによって「前世の人格」を知る人からその情報を取り入れるという可能性も考えられます。よって、サイキック・霊的能力が認められる子らの記憶は、前世のケースから除外されました。また、憑依現象が起こり、あの世の霊の記憶が子らを通して語られるということも考えられます。このケースも、当然、前世を思い出したことにはならないので除外されたのです。(「ブライディー・マーフィーの前世の記憶」(※1)を博士は憑依のケースと認めました。)
  彼の調査と分析は細心・厳密を究(きわ)めています。彼が前世の研究対象を子らに限定したのは、前世の記憶を語るという子らの大半が10歳までにその記憶を失うという事実を基にしていたのです。また、社会と触れ合う時間が多ければ多いほど、外部から、前世とは無関係なこの世の情報が潜在意識にインプットされる可能性が大きくなることも理由のひとつでした。だから、スティーヴンソン博士は、大人が何らかのきっかけで前世の記憶を思い出したというような情報はそれほど重要視しませんでした。(残念なことですが、博士は子らのように無垢なこころを持った大人の存在を捨象(しゃしょう)してしまいました。)
  厳格な研究方法を確立していた博士は、退行催眠による前世の記憶を信頼できないものとしました。彼自身も自ら退行催眠を行い、その体験をふまえて、退行催眠の問題点を明らかにするのです。これは『前世を記憶する子どもたち』第3章に詳しいです。
  催眠下では、被術者の精神は極度に集中状態におかれ、施術者の指示に反抗しがたくなります。「あなたの症状の原因となっている前世に帰りなさい」とか、「もっともっと時代をさかのぼりなさい」といった指示が与えられると、潜在意識は何とかして指示に従った答えを導き出さなければならない状態に置かれます。結果、潜在意識に諸々の情報を総動員し、それらしい「前世の人格」を作りあげてしまいます。施術者の指示に合わせて、想像によって実際にない話や事がらをつくってしまう。これが退行催眠の特色である創作性であり、施術者の指導に従いストーリーを語ってしまう演出性です。
  例えば、「あなたは『蝶』になりました」と強く暗示をかけられると、被術者は自分の両腕を蝶の羽のように動かし、「今、花畑の中を氣持ちよく飛んでいます。幸せです」などと言うようになります。実際に、催眠下の本人は自分が蝶であるかのような氣分に。このような創作性と演出性が増強されるわけです。だから、退行催眠により導き出された創作物語を現実と照らし合わせ、事実かどうかを確認することが必要です。

  私も目撃したことが複数回あるのですが、退行催眠によって語られる過去世の情報の多くが確認不可能でなものです。それが「私は20年前、北海道の札幌市に住み、北海桃太郎という名前で、交通事故で死にました。そして今、この家の子として再生しています。私の前世は、20年前に死んだ北海桃太郎です」と言ってくれたら、簡単な調査により事実か否かが明白となります。ところが、それが「200年前のパリでダンサーでした」ということになると、有名人でもない限り、この情報を確認することは不可能に近いです。

  スティーヴンソン博士は、退行催眠下で過去世を語る人にさらに催眠をかけ、いっそう深い催眠意識状態に誘導。そして先の退行催眠下での前世像は、書物やテレビや他から取り入れた情報をもとにして作り上げられたものであることを明らかにしました。こうして創作された人格は、語る本人自身にもそれらしく思え、その場面にふさわしい怒り・悲しみ・喜び・泣き叫びなどを引き起こし、人格の一貫性を示すのでした。催眠状態に置かれると、繰り返し幾度も、その人格を再現することができました。潜在意識の能力について現代科学では十分に解明できませんが、催眠下での潜在意識に人格を創作・維持する能力があることは明らかにされました。

(※1)http://www.genpaku.org/skepticj/bridey.html
参照:The Skeptic's Dictionary 日本語版〜二千年紀のための懐疑論ガイド(http://www.genpaku.org/skepticj/index.html)の「前世回帰」(http://www.genpaku.org/skepticj/pastlife.html)の解説には良心的アドヴァイスが含まれています。

※追記)博士は退行催眠時の幽体離脱によるケースには触れていません。


閑話休題(それはさておき)。


  博士は退行催眠に対して毅然とした態度で臨み、声明を発表しています。(抜粋)
I am not now engaging in experiments with hypnotic regression to "previous lives." I do not recommend hypnotists to persons who wish to have this experience. I do not approve of any hypnotist who makes promises to clients that suggest they will certainly return to a real previous life under his direction. I do not approve of anyone who charges fees for acting as a hypnotist in such experiments.
(私は今、「前生」への退行催眠による施術に従事していません。私はこの施術を望む人々に催眠療法師を推薦しません。私が認めることができない催眠療法師とは、被術者に対し彼の指示の下で確実に本当の前生に戻ることを約束する催眠療法師です。そして、この施術で催眠療法師を務めることに対し料金を請求するいかなる人にも賛同しません。) ⇒http://www.healthsystem.virginia.edu/internet/personalitystudies/regression.cfm

  さらに博士は、『前世を記憶する子どもたち』の前書きでも、退行催眠による前世探求に警鐘を鳴らしています。
  薬物を使うにせよ瞑想や催眠を利用するにせよ、前世の記憶を意図的に探り出そうとすることには、あえて反対の立場を取りたいと思う。遺憾ながら催眠の専門家の中には、催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果が上がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを・・・特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている状況を、何とか終息させたいと考えている。

  当時合衆国で流行っていた前世療法への博士の危惧(不安)が窺(うかが)い取れます。いわゆる前世療法は、被術者が抱える何らかの症状を軽減させる手段としてのみ用いるのなら、それはそれで問題はないのかもしれません。しかしながら、前世療法家の多くは被術者から得られた発言を何の検討もせずに受け止め、歴史的事実と照らし合わせる作業を忘れがちです。仮に、被術者から歴史的に正しい事実が語られたとしても、それが前世の記憶なのか、自他によりインプットされた情報なのかの判断は容易ではありません。今後、合衆国で催眠の研究が進むに従い、「退行催眠」や「前世療法」は消え去っていくと思います。

  私は過去、複数名の方々が自己の再生というものを、今の自分にない名誉や憧れの氣持ちから語っているのを聞いたことがあります。それは、現在の自分のあり方がいくらみじめでも、前世では名誉ある人であったのだと信じることで慰めを得ているようにも見えました。現実の苦しみや困難から逃れようとして退行催眠等に期待するよりも、この世に生まれたことの意義や目的を日常生活の中から自分の頭で見出していくのが自然(natural)であり、生きる恩恵(grace)でもあります。

  再生するものがあるとしたら、それは特定の人格(personality)よりも更に大きな個性や自我(individuality)であるに違いありません。前世のpersonalityを忘れているからこそ自分を確保できているという側面もあるでしょう。その意味で、自分の前世のpersonalityが誰のものであったのかを知ろうとすることは、ナンセンスなのかもしれません。過去世から今日まで一貫して何かをし続けているindividuality(自分)に氣づくことが大切です。

  大きな笑顔のよき日々をお過ごしください。

生彩ある人生@下段の注意20200103