高校生であった1976年夏の想い出です。
  学内マラソン大会終了後の保護者同席の食事会での出来事。ひとりのカナダ系フランス人ブラザー(修道士)が、日本での任務を終え日本を離れる旨、あいさつをしました。
  長い間、多くの日本人にお世話になってありがたい氣持ちでいっぱいであること、日本滞在がとても幸せであったことを静かに淡々と語ります。そして、『みなさんに、歌を聴いて欲しい』とマイクを手にして、ア・カペラで謡い始めました。

    『長崎の鐘』です。

  先の大戦後まもなく、長崎に赴き活動なさったときに知って覚えたそうです。ブラザーが謠い終わった時、会場にいた私たち皆が拍手喝采しました。そして保護者たちの席からすすり泣く声が聞こえてきました。静に涙を拭う方も。私も涙が止まりませんでした。
  後日、亀浦神父から教えていただきました。ブラザーは先の大戦前にフランスのラ・サール会本部から日本に派遣された人物でした。日本全国を周った結果、学園建設の地として函館を選定し、他2人のブラザーと共に土地の購入など具体的な活動をなさっていたそうです。しかし、戦時体制となり強制収用所に抑留されました。そこで拷問などの暴力と屈辱を受けたといいます。にもかかわらず、戦後、解放された彼は真っ先に長崎へと向かいます。救いを必要としている青少年に対し、精神世界への心の扉を開いて、キリストのよき知らせ(good news)に出会えるよう導き、調和ある充実した人間的成長の機会に恵まれるように努めるためです。その時、知ったのが『長崎の鐘』でした。

  『長崎の鐘』を聴く度に、ブラザーの道と私たち人類の幾多の試練(trials and tribulations) を想わずにはいられません。



帰って来た証言者 あす長崎原爆の日 被爆の十字架公開へ
(東京新聞 2019年8月8日 朝刊)
PK2019080802100081_size0[1] 米軍による長崎への原爆投下から九日で七十四年となるのを前に、被爆して倒壊した旧浦上天主堂のがれきから終戦後に米兵が見つけた木製の十字架=写真=が七日、所蔵先の米国の研究機関から長崎市の浦上教会(浦上天主堂)に返還された。頭部だけが焼け残った「被爆マリア」と共に、九日夜のミサで公開される。
 所蔵していた米オハイオ州のウィルミントン大平和資料センターのターニャ・マウス所長が浦上教会を訪れ、カトリック長崎大司教区の高見三明大司教らに「被爆十字架」を手渡した。
 マウス所長は「この十字架は、大量殺りく兵器の使用中止をあらゆる国に要請するよう私たちに促している」と述べ、高見大司教は「原爆を語り伝える揺るがない証言者になってくれると思う」と応じた。
 十字架は高さ約九十センチで金の縁取りがあり、花の紋章が付いている。過去の写真などによると教会祭壇の最上部にあったが、被爆時は別の場所に保管されていたとみられる。一九四五年十月から長崎に進駐した米軍人の故ウォルター・フック氏が発見、長崎の教会関係者から譲り受けた後、同センターに渡ったという。

生彩ある人生@下段の注意20200103