この方は生彩ある人生を過ごされていると思います。彼を思うと、畏敬の念に堪えません。彼らしく謎に包まれた「生死不明」の最期です。今も相場を研究されていることでしょう。
中江滋樹さん、アパート火災で死亡か 「兜町の風雲児」元投資ジャーナル会長
(毎日 2020年2月20日 21時36分(最終更新 2月20日 21時58分))
  20日午前8時15分ごろ、東京都葛飾区南水元1の2階建てアパートの2階一室から出火し、焼け跡から遺体が見つかった。この部屋は無職、中江滋樹さん(66)が1人で借りていた。遺体は損傷が激しく性別は不明だが、関係者によると、投資顧問会社「投資ジャーナル」の元会長で1980年代に「兜町の風雲児」と呼ばれた中江滋樹さんの可能性があり、警視庁亀有署が身元の特定を急いでいる。
  同署によると、部屋から煙が出ているのを近隣住民が見つけ119番した。約25平方メートルの同部屋が焼け、その場で死亡が確認された。アパート大家の女性によると、中江さんは7〜8年前に入居し、1人で暮らしていた。体調が優れない時期が続いていたという。
  「兜町の風雲児」と呼ばれた中江さんは78年に投資ジャーナルを設立し、仕手集団を率いて注目された。しかし、株投資に絡んで7000人以上の一般投資家から600億円近くをだまし取ったとされる「投資ジャーナル事件」に発展し、85年に警視庁に詐欺容疑で逮捕された。89年、詐欺罪で懲役6年の判決が確定した。【土江洋範、南茂芽育】

「“兜町の風雲児”ゼニの哲学」というインダビュー記事が日刊ゲンダイDIGITALで連載されています。今年の2月9日号では田中角栄氏(1918年5月〜1993年12月)との出会いを語っています。興味深いので、ここに転載させていただきます。
“兜町の風雲児”ゼニの哲学
田中邸で聞いた角栄節「ここでこの国のすべてが決まる」
(日刊ゲンダイ 公開日:2020/02/09 06:00 更新日:2020/02/09 06:00)
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番外編 交遊録(2)
  大物総会屋として名を馳せた木島力也と中江が初めて顔を合わせたころの政界は大荒れだった。田中角栄と福田赳夫の熾烈な覇権争いから自民党内では大平正芳総理をめぐって“四十日抗争”が起きていた。その結果、野党による内閣不信任案が可決し、“ハプニング解散”となったのである。
  初めての衆参同日のダブル選挙となったが、その選挙中に大平総理が急死する事態になり、政治の安定を望む声や同情票で自民党が圧勝した。亡くなった大平総理の後を引き継いだのは鈴木善幸総理だった。
  自民党が派閥抗争で揺れ動いている時、中江は田中角栄と面談する機会を得た。仲介をしたのは、その同日選で衆議院議員に初当選を果たしたコスモ信用組合理事長の泰道三八。コスモ信用組合の大口預金者が投資ジャーナルという関係だった。 

「泰道さんの車に乗って目白の田中邸に行った。広い応接室で待っていると、ワイシャツ姿の田中先生が部屋に入ってきた。最初は10分と言われていたけど、田中先生はボクとの面談に1時間近く時間を割いてくれた。ボクは、こんな機会はもうないと思ってこの国の政治の裏には何があるんですか、どこでどう決まるんですかと、思ったことをずうずうしく聞いてしまった。田中先生は、例の田中節で『君、ここだよ、ここでこの国のすべてが決まっている、国会じゃない』と言われて、あっ、ここで決まっているんだ、と迫力を感じた」

  この時、中江は、まさに政権の覇権争いの当事者の凄みに接していたのである。

■若い経営者とも積極的に交流
  中江はずっと「東京の人たちと付き合って情報収集をする」という思いを持っていた。
  昭和57年ごろからは若手経営者たちとの人脈づくりも積極的に進めた。

「ボクは28歳のころから、次代を担う若手のベンチャー経営者を育てたいと思った。ベンチャーの経営者同士が親しくなってお互いの企業が増資して株の持ち合いをする。そのための資金としてボクが10億円くらい出そうと思っていた。そして企業の上場を目標にした『2001年の会』を考えた。このころは、まだ大手証券会社でもベンチャーキャピタルという発想がなかった時だった」

  その時に中江の目に留まった経営者は、レンタルレコードの「黎紅堂」の大浦清一社長だった。

「貸しレコードなんてやったらすべてのレコード会社や映画会社、テレビ局を敵に回して袋叩きになるぞ、凄いことを始めたなと思った。それで会ってみたいと思い、彼を料亭『川崎』に誘った。年齢も近かったし、面白いやつで、すぐに友達になった」

  この大浦社長との出会いから、中江の財界人脈は大きく広がっていく。=敬称略
(取材・文=ジャーナリスト 比嘉満広)

中江滋樹:「投資ジャーナル」元会長。1954年、滋賀県近江八幡市生まれ。県立彦根東高校卒業。一時「兜町の風雲児」として注目されたが、1985年、7000人余りから580億円をだまし取ったとされる詐欺事件が発覚。首謀者として逮捕され、懲役6年の判決を受ける。その後、表舞台から姿を消し、一時死亡説も流れた。

※文中の木島力也氏(1926〜1993年)は児玉誉士夫氏(1911年2月〜1984年1月)の側近として知られた方です。彼は当時、取次業界大手の東京出版販売と日本出版販売の大株主で、新左翼系の雑誌『現代の眼』を発行する現代評論社の社長でした。名馬ハイセイコーの馬主としても知られています。(以上)
“兜町の風雲児”ゼニの哲学
田中角栄からは3000万円を突き返された
(日刊ゲンダイ 公開日:2019/10/27 06:00 更新日:2020/02/16 21:51)
(前略)
■世話になった“テレ朝の天皇”
「ボクを見るなり、『おまえか、最近、農協みたいな遊びをしているヤツがいるっていうのは』と一喝された。それが三浦の親父との出会いだった。三浦の親父はいろいろと手を回してくれて、結局、記事は出なかった。すげえ人がいるなと驚いたのを覚えている」

  テレビ朝日専務の三浦甲子二は、“テレ朝の天皇”と称され、政財界に幅広い人脈を持つ実力者であった。その後、三浦は政治家の宴席が終わった後に中江を呼び、政治家と引き合わせたり、何かと中江を支援していくことになる。
  三浦に助けられたことは、他にもあった。

「ボクが水揚げした赤坂の芸者が、赤いベンツを買って稽古場に通いだした。それが同僚のお姉さん方の反感を買い、国税にチクられ、会社に国税が入るという情報があった。それで三浦の親父に相談すると、田中先生に話をつないでくれた」

  なぜか、それ以上の国税の動きはなかったという。それを受け、部下の加藤文昭に3000万円を持たせて田中角栄元総理に挨拶に行かせた。だが、田中元総理からは、「君らみたいなガキの金は受け取らない」と突き返されたという。
 三浦甲子二は、「投資ジャーナル事件」が摘発されるまでの間、中江のために大きな役割を果たしていくことになる。
(取材・文=ジャーナリスト・比嘉満広)

タイトルとした「相場は明日もある」は、焦りを戒め、時機をじっくり待つことを教えてくれる格言です。材料が本物であり、実際に株価が上がるならば、一日程度の遅れは大勢に影響しません。みなが一斉に買い付くときの相場は不自然なもの。その後目にする相場こそ、本来の姿です。これを待って仕掛けても良いのです。材料が出たら、できるだけよく調べてから買っても決して遅くはありません。

(追記)
アパート火災、遺体は中江滋樹元会長
(共同 2020/2/25 11:14 (JST)2/25 11:27 (JST)updated)
 警視庁は25日、東京都葛飾区のアパート火災で焼け跡から見つかった遺体について、1980年代の投資ジャーナル事件で実刑判決を受けた中江滋樹元会長(66)と明らかにした。


生彩ある人生@下段の注意20200103