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1995年、ニューヨークで暮していた時に、知人から一冊の本をいただきました。岡本行夫氏(1945年11月23日〜2020年4月24日)の『さらば漂流日本―自力航行への転換』(東洋経済新報社・1995年)です。良書なので、一読をお勧めします。

彼と一緒に仕事した方々、場を共にしたみなさんは、彼との幸せな時間を過ごされたに違いありません。頭の回転が速く、表現力に優れ、 感性豊かで想像力のある方でしたので、日米の政府関係筋の補佐役として最適の方であったと伺っています。和を尊ぶ方で、芸術の才も持ち合わせていたそうです。しかしながら、日本人が持つ新型コロナウイルスへの耐性のようなものを与えられてはいなかったのでしょうか。それとも油断したのでしょうか。天意でしょうか。彼の無事の昇天を願って止みません。

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兄弟ブログの「流れのままに」に一度だけ、記事を引用する形で岡本氏のことを記録していました。


(参考)
岡本行夫氏、容体急変で帰らぬ人に 正論メンバーで健筆 小説にもチャレンジ
(産経 2020.5.8 01:11)
  世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスは、日本を代表する論客の命まで奪った。4月下旬に74歳で死去していたことが判明した外交評論家の岡本行夫氏は、産経新聞の「正論」執筆メンバーとしても長年活躍してきた。関係者によると、入院後も最初の数日は仕事に取り組んでいたが容体が急変し、約1週間で帰らぬ人となったという。
  岡本氏は外務省に入省後、北米局など主要ポストを歴任。平成3年に退官後は国際情報を分析する会社「岡本アソシエイツ」を設立した。外務省で培った国際感覚や国際情勢の分析力を生かし、国際問題のアドバイザーとして講演や執筆活動に力を注いだ。8年には橋本龍太郎内閣で首相補佐官に就任。沖縄問題担当として、12(2000)年7月の主要国首脳会議(サミット)の沖縄誘致に大きな役割を果たした。
  正論メンバーとしても健筆を振るい、昨年7月にはイラン沖のホルムズ海峡で日本のタンカーが攻撃を受けたことに対し、「自国の船は自分で守れ」と題して寄稿。「今度こそ自分の力で自国民を守るという課題に、正面から向き合うときだろう」と訴えた。
  岡本氏は今年2月、春陽堂書店が始めた「WEB新小説」に、趣味のダイビングをテーマにした小説「スーパーフィッシュと老ダイバー」を執筆。5月1日にアップされた第4章が絶筆となったという。
  担当編集者によると、出版社側からはダイビングにまつわるエッセーを依頼したところ、「いや、エッセーではなく小説を書いてみたい。ただし、素人なので写真をからめたフォト小説にしたい」と話し、とても張り切っていたという。

岡本行夫氏評伝 針路示した真の外交官 石井聡
(産経 2020.5.8 01:14)
  岡本行夫氏が外務省を離れてからもう30年近くがたつ。退官後も日本の進むべき道や秩序ある国際関係に常に心を砕く真の外交官だった。
  外交基軸である日米関係、日米安全保障を専門とするエリートの道を歩みながら、さまざまな事情で職を辞した。記者が外務省を担当した時期、岡本氏は最後のポストである北米一課長の仕事じまいをしていた。米国大使館で同僚だったという別の外交官は、大きな損失を悔やんだ。
  イラク戦争後は中東和平問題にも積極的に取り組んだ。また、日韓関係が急速に悪化する中で、日本企業の補償問題に携わったことがある。韓国を利する行為ではないかとの批判もあった。
  岡本氏が主宰する私的な勉強会に参加した時期だった。聞きにくい話を後でこっそり聞きに行くと、答えてくれる人だった。この件も尋ねると、言葉を選びながら「政府とは連絡を取りながら進めているんです」と教えてくれた。批判を受けても、自分のとるべき行動に信念を抱いていた。
  あまりにも唐突な訃報に言葉を失うし、それが新型コロナウイルスによるものだとは、未知なる敵が憎い。それだけでなく、その戦いに取り組んでほしいと岡本氏の声がする気がしてならない。(特別記者 石井聡)


生彩ある人生@下段の注意20200103