富士山は標高3,776mで、山頂は真夏でも5°C位。昔の富士登山は信仰に根ざしたものでした。登山者は道者と呼ばれ、先達といわれる山伏に導かれて、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を唱えながら歩みます。富士登山が観光地化したのは明治以降のこと。昭和20年ころまでは「お山は晴天、六根清浄」の声が聞かれたそうです。胸着き八丁などの険しい登りになると、一層声を張り上げて「六根清浄」を唱えながら登ったようです。

「六根清浄」というのは、すべてがうまく流れているということ。
目・耳・鼻・口・身・意の六根から生ずる不浄を清浄にし、萬物の靈と同体になり、すべての願いを体現すべく、「六根清浄」を唱えた富士登山でした。

この富士山に最初に登ったのは、聖徳太子と役行者(えんのぎょうじゃ)だと伝えられています。太子は、甲斐の国から献上された馬に乗り、空に駆け登って富士山頂に。そこには大きな岩穴があり、太子が中に入っていくと、大きな蛇が両眼を光らせ剣のような舌を出し、口から火を吹いて彼を威圧します。彼はこれが山の神さまだと思って教えを願います。すると、大きな蛇は大日如来の姿になり彼に教えを授けるのでした。そして、太子は再び馬に乗り、都に帰っていったといいます。
役行者は、政道を乱す者として伊豆の島に流され、昼間は島で修行していたのですが、夜になると島を抜け出し、陸を駆けるように海を渡り、富士山に登って修行をし、朝には島に帰っていったそうです。

この伝説は、ともに『今昔物語集』巻第十一に載っている話とほぼ同じ。しかし『今昔物語集』では、太子は「空ニ昇テ雲ニ入テ東ヲ指テ去給ヌ、太子信濃ノ国ニ至給テ御輿ノ界ヲ廻テ三日ヲ経テ還リ給ヘリ」とあります。 御輿とは、三越(越前・越中・越後)の意で、富士山に登ったとはなっていません。富士山が靈山として知られるようになり、太子の説話が富士登山の話になった模様。
役行者は、修験道が盛んになると、その祖として崇敬されるようになり、修験道の靈山といわれる山にはどこにも役行者の登山伝説が伝わっています。富士山も、そのひとつ。

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☆☆☆ 六根清浄大祓い(ろっこんしょうじょうのおおはらい) ☆☆☆

  天照大神の宣く、(あまてらします すめおおがみの のたまわく)
  人は則天下の神物なり。(ひとはすなわち あめがしたの みたまもの なり)
  須らく静謐を掌る心は、(すべからくしずまることをつかさどるこころは) 
  則神明との本主たる(すなわちかみとかみとのもとのあるじたる)
  心神をいたましむること莫れ、(わがたましいをいたましむることなかれ)
  是故(ゆえ)に目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず、
  耳に諸々(もろもろ)の不浄を聞きて心に諸々の不浄を聞かず、
  鼻に諸々の不浄を嗅ぎて心に諸々の不浄を嗅がず、
  口に諸々の不浄を言って心に諸々の不浄を言わず、
  身に諸々の不浄を触りて心に諸々の不浄を触らず、
  意に諸々の不浄を思ひて真心に諸々の不浄を思わず
  此時に清潔き偈あり。(このときにいさぎよきことあり)
  諸の法は影と像の如く清く淨ければ、(もろもろののりはかげとかたちのごとく)
  假にも穢こと無し、説を取らば得可からず、(かりにもけがるることなし)
  皆花よりぞ木實とは生る、(みなはなよりぞ このみとはなる)
  我身は則(すなわち)六根清浄なり、
  六根清浄なるが故(ゆえ)に五臓の神君安寧なり、(ごぞうのしんくあんねいなり)
  五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり、
  天地の神と同根なるが故に萬物の靈と同體なり、
  萬物の靈と同體なるが故に為所の願と而て成就せずと云うこと無し。
    無上靈宝神道加持(むじょうれいほうしんとうかじ)


努めて清浄(無・空氣)となり、萬物の靈(大靈・宇宙)と同體(一体)となって、
氣持ち軽やかに、一所懸命に暮して参りましょう。

大きな笑顔の佳き木曜日を。

生彩ある人生@下段の注意20200103