兄弟ブログ「流れのままに」の2017年6月30日号に『言動(その2)』と題して記した一文があります。今朝はそれを転載します。お楽しみいただけれる幸いです♬

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今朝、目覚める頃。握手で病んだ人が治癒されていく夢を観た。私と握手した方々は、ご自身の手が暖かくなり、力がみなぎっていき、その変化に驚いている。握手という簡単な行為を契機として、ご自身のオフになっていた治癒力のスイッチがオンになった。ただそれだけのことだろう。近い将来、多くの方々が、色々な場所で、名前を付けずに、ビジネス化・組織化することもなく、ごく自然に、この現象を広めていくに違いありません。

さて、「合衆国とは何ぞや?」と調べていると、江藤淳氏と村上春樹氏の発言に出会った。

江藤淳氏(昭和七〜平成十一年)にとっての合衆国は、医薬品の添付文書に記載されている禁忌(きんひ)のようなもので、戦後日本の言語空間から「意味ある言葉」を奪い取ってしまっていた。すなわち、禁忌(=合衆国の検問)を守らなければ、深刻な副作用があらわれる危険性が高いから「意味ある言葉」を使わなくなったという。
(戦後日本の言語空間において)キツネにもらった小判のような言葉を操って、どうして文学ができるのだろう、そういう文学者が、どうして偉いことになるのだろうと、首を傾けないわけにはいかない。だからこそ、意味のある言葉、只の記号ではない言葉を、どうやって取り戻せるかと私は考えている。実は昭和四十四年から五十三年までの九年間、『毎日新聞』の「文芸時評」を書きつづけているあいだにも、いつもそののことを考えていたのです。(江藤淳、吉本隆明対談「現代文学の倫理」@『海』、昭和五十七年四月)


昭和四十四年の暮れから昭和五十三年の晩秋まで、私は毎月「毎日新聞」に文芸時評を書いていた。それは三島由紀夫の自裁にはじまり、“繁栄”のなかに文学が埋没し、荒廃して行った九年間だったが、来る月も来る月も、その月の雑誌に発表された文芸作品を読みながら、私は、自分たちがそのなかで呼吸しているはずの言語空間が、奇妙に閉ざされ、かつ奇妙に拘束されているというもどかしさを、感じないわけにはいかなかった。
いわば作家たちは、虚構のなかでもう一つの虚構を作ることに専念していた。そう感じるたびに、私は自分たちを閉じ込め、拘束しているこの虚構の正体を、知りたいと思った。(江藤淳『閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本』@文芸春秋、昭和六十三年八月・第1章)


「言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめよ。CCDの実施した民間検閲を、一次史料によって検討し始めて以来六年有余、ここにいたってわたしはいささかの感慨なしとしない。今日の日本に、あるいは“平和”もあり、“民主主義”も“国民主権”もあるといっていいのかも知れない。しかし、今日の日本に、“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に、“自由”はあり得ないからである」(前掲書・第10章)※CCD は Civil Censorship Detachment の略。民間検閲支隊のこと。


「文庫に収めるに当たって、テクストの改変は一切行わなかった。米占領軍の検閲に端を発する日本のジャーナリズムの隠微な自己検閲システムは、不思議なことに平成改元以来再び勢いを得はじめ、次第にまた猛威を振るいつつあるように見える。このように、“閉ざされた言語空間”が日本に存在しつづける限り、このささやかな研究も将来にわたって存在意義を主張し得るに違いない」 (平成五年九月・文春文庫・「文庫版へのあとがき」)


村上春樹氏(昭和二十四年生)は、合衆国の言葉を借用し、普通の既成の文体ではない「日本語」で語るというスタイルで楽に書けるようになったという逸話を以て、合衆国の戦後日本に生きる日本人(=彼自身)への影響を伝えている。
本当にいいものを書くだけの日本語のあり方って、もう今はないですからね。昔だったらあったと思うんです。かつて日本語はそれだけの力を持っていた。今はないですよ、日本語には。それだけ日本語は浸食されている。僕はそう思うんです。日本文化そのものが侵食されてるんだから、日本語だって浸食されてるんですよ。だから、旧来どおりの枠組みの小説をその浸食された原語で書こうと思ったって、できるわけがないんです。その言語にはその言語の力があるんです。その時々の言語の力をすくい取らないと物語というのはできないですよ。(村上春樹「この十年」@『文学界』平成三年四月)


正直言いまして、僕は、これ(※昭和五十四年のデビュー作『風の歌を聴け』)を書く時に、どう書いていいか分からないんで、最初にリアリズムでざっと書いたんです。まったく同じ筋を同じパターンで、文体だけ、普通の既成の文体というか、いわゆる普通の小説文体で書いたんですよ。で、読み直してみたら、あまりにもひどいんで、これはどこかが間違っているはずだという気がしたんです。最初のそれを書いている時は、僕も一生懸命、小説を書こうと思う文章で書いていたんですけれど、すごく疲れるし、借り物みたいな気がして、じゃあもうそんなのまったくなしで、好きに書いてみようと思って、こういう文章を始めた。それでまず英語で少し書いて、それを翻訳したら、あ、これだったら楽に書けるな、という気がして、そのあとずっと、その文体で書いたんです。(村上春樹「「物語」のための冒険」@『文学界』平成七年八月)

崩壊させられた日本語及び日本への喪失感を突破するには、意味のある言葉、只の記号ではない日本語、純粋な日本語、純粋な日本文化とは何かを知って学ぶ必要がありそうです。今までオフになっていた『日本(ニッポン)』のスイッチをオンにする。それには『勇氣』が必要。ただそれだけのことですね。


  言葉には治療力が備わっていると言われます。耳の不自由な方であろうと、言葉が解せず意味が受け取れない大人や子どもであろうと、その方々の前に立ち力となる言葉を発すれば、必ずその方々に対して治癒力として働くそうです。これは植物についても同様で、万年青葉(おもと)や花に向かって話しかけると、生き生きと育ち始めます。私は小さい頃に、祖母がシクラメンの花々に話しかけているのを観たことがあります。花壇のシクラメンは全てが美しく咲きそろっていましたから、彼女はシクラメン育成の名人と呼ばれていました。
  植物に対してそういうことがいえるのですから、障害を持つ方や意味を解さない子どもにも同じことがいえます。聞こえても、聞こえなくても、どなたかに「おはようございます」とか、「今日は日本晴れですね」とか、明るい温かい言葉を放ってみると、佳きことが始まるに違いありません。放たれた言葉や、こころに願った言葉は、現実世界に影響を及ばさざるを得ないものです。この言語感覚を大切にしましょう。


大きな笑顔の佳き週末をお過ごしください。

生彩ある人生@下段の注意20200103