今朝の「サワコの朝」では、ゲッターズ飯田氏がインタビューを受けていました。そこで彼は「目には見えないものが大事な時代になって来ました」と話し、昨年までのお金や物に価値があった時代とはがらりと違った時代に突入していることを知らせてくれたのです。なぜ彼が今まで無料で6万以上の人びとを占い続けてきたかというお話も興味深いものがありました。人間のあり方を知らせてくれる、良きお話をいただきました。ありがとうございます。

人間のあり方を知らせてくれる小説に、『小僧の神様』があります。
私の好きな作品です。

  若い貴族院議員のAは、直接には神田の秤屋で丁稚をしている仙吉とは縁がない。番頭たちが噂していた「いちばん旨いという鮨屋」で金が足りずに鮨を食すことができず恥をかいた仙吉を見て、たらふく食べさせてあげたいなぁと考えた善意の人。Aは後日、買い物をした店で仙吉を目にし、商品を運ぶ手伝いに来るよう言いつけ、そのまま彼を鮨屋に連れて行く。訳知らず連れて来られ、深く考える間もなく座敷に案内された仙吉は、夢にまで見た色取り取りの鮨を目の前に、三人前を一氣に食べ尽くす。その鮨の旨いのなんの…。
  「粋だなぁ〜」と思ったのは、貴族院議員Aは仙吉に余計な氣を使わせまいと先に店を出て、彼ひとりきりにしてやったこと。加えて、鮨屋の女将が、訳を察して奥の部屋へ案内し座敷の障子を全て閉めてくれたこと。だから、彼は思う存分食べることができた。このような配慮・氣配りに「粋」を感じさせる。鮨を食べ終え、仙吉はあのときのお客は、神様に違いないと考えた。自分が鮨を食べたいと思っていたことをお見通しで、行きたい鮨屋に連れて来てくれたのだ。偶然ではない、これはどう考えても神様の仕業でしかない。彼は帰る時、女将から「それじゃあネ、また食べに来て下さいよ。お代はまだ沢山頂いてあるんですからネ」と言われるが、彼がその店に再び鮨を食べに行くことはなかった。

  なぜなら、神様の好意を無駄遣いするようで、彼には恐ろしかったから。その後、辛い時や哀しい時には、このことを思い返し、きっと神様がまた見ていてくれると考えるだけで勇氣が湧いたのでした。
  他方、小僧の仙吉に鮨をご馳走したAは、この話をしてまわりから「良いことをしたね」と賛辞されながらも、空しさと哀しさを感ぜずにはいられません。加えて、小僧に対してかえって失礼なのではないかとさえ考え始めます。彼は小僧に同情すると同時に、自分と対等な人間なのだとの自覚があるから自分の行為に苦慮せずにはいられません。
  親切という美名の下、施しを与えることに疑いもなく良い事をしたと自己満足する人間は『小僧の神様』には登場しません。志賀直哉氏は、同情と善意の間にあって、自分の行いは人さまに迷惑をかけてはいないだろうかと考える人間を描いて知らせてくれます。

さあ、大きな笑顔で参りましょう。

良き週末をお過ごしください。
Shiga_Naoya_1938
生彩ある人生@下段の注意20200103