ちあきなおみ 活動休止してもなお人々を魅了し続ける「劇場型歌手」
(女性セブン 2021.06.23 07:00)
ちあきなおみ

活動休止から27年を経て発売されたアルバム『微吟』は異例のヒットを記録
(写真/共同通信社)


「ちあきなおみは、活動を休止してからベストアルバムが発売され、再び人気が出た稀有な歌手だと思います」と語るのは、ジャーナリストの石田伸也さん。

「彼女は山口百恵のようにコンサートでマイクを置いて引退したわけではありません。国民葬のような形で見送られた美空ひばりとも違います。

 ちあきなおみは、別れも告げずに忽然と芸能界から消えてしまった。これは、日本レコード大賞を受賞し、『NHK紅白歌合戦(以下、紅白)』に出場した歌手としては珍しい。

 でも、そのぶんミステリアスな存在となり、『彼女の歌をもっと聴きたい』と熱望する人が後を絶たないのだと思います」(石田さん・以下同)

 2019年に発売されたコンセプトアルバム『微吟』の売り上げは3万5000枚を超え、CDが売れないといわれて久しい昨今、異例のヒットを記録している。

「彼女の魅力は卓越した歌声と表現力。ひとたび歌い出すと、その歌で描かれる情景が目に浮かび、まるで映画を見ているかのようにその世界にどっぷりと浸れる。唯一無二と言っていいでしょう」

 その表現力はどのようにして磨かれていたのか。

「喝采」歌の世界を演じきる
 ちあきなおみの代表曲といえば、1972年にヒットした『喝采』が思い浮かぶ。吉田旺さん(80才)が作詞し、中村泰士さん(享年81)が作曲を担当したこのドラマチックな曲を、情感たっぷりに歌い上げ、発売わずか3か月でその年の日本レコード大賞を受賞した。受賞後に涙をこらえながら歌う彼女の姿は印象的だった。

 幼少時代にタップダンスを習い、その後、米軍キャンプを回って踊る仕事を始め、13才で歌手活動をスタートさせた彼女の歌は、どれもその人生を彷彿とさせるものだ。

「当時の彼女は、私たちの思惑とは少し違ったこだわりを持っていました」

 そう語るのは、活動休止前の最後のマネジャーを務めた古賀慎一郎さんだ。

ちあきなおみ@夜間飛行
恋に苦しめられ、夜間旅に出る女性の心情を歌い上げた15枚目のシングル『夜間飛行』
(写真/石田伸也さん提供)


「ちあきさんはよく、『歌手は代理であり、ひとつの媒体である』とおっしゃっていました。作詞家や作曲家の思いを、聴いている人にどのようにして歌を通して伝えるか、それをとても大切にされていたんです」(古賀さん)

 そんな思いがあったからだろうか、彼女は「歌を物語として演じる歌手」として高く評価されている。

「それには作詞家の吉田旺さんの存在が大きい。吉田さんの描く“情景が見える詞”だからこそ、ちあきさんの神がかり的な表現が最大限に発揮されたと思います」(石田さん)

 ちあきが『喝采』で日本レコード大賞をとった1972年に、海援隊として全国的な活動を始めた武田鉄矢は、そのときの光景を次のように振り返る。

「衝撃的でしたね。あの曲は、死んだ人とある歌手の恋を歌っていて。歌謡曲で死者がテーマの歌を歌ったのは、彼女が初めてだと思います。歌謡曲で死者をテーマにするのは忌み嫌われていましたからね。

 当時、フォークでは『死んだ男の残したものは』(友竹正則)や『花はどこへ行った』(キングストン・トリオ)などの反戦歌が歌われ、歌詞も死を彷彿させるようなものが多かった。

 その新しい風を受けて、歌謡曲の世界でも、作詞家や作曲家がものすごく複雑な構成の歌をつくるようになった。それをきっちり歌いこなし、豊かな表現力で、見事に世に送り出したのがちあきさんだと思うのです」(武田)

 卓越した技巧と情感あふれる歌唱力で、彼女は唯一無二の存在になっていく。

「劇場」気さくだが、プロ意識の高い人
 ちあきは「劇場型歌手」といわれ、その歌の世界は「まるで4分間の映画のようだ」と称されることが多い。その類稀なる表現力は、どのようにして磨かれていったのだろうか。

「あるとき、彼女に『傷がいっぱいあった方が、表現者としてはいいですよね?』とぼくが聞いたら、『そんなのない方がいいに決まっているじゃない』と、言われたことがありました。

 彼女自身は、子供の頃にご両親が離婚しているし、たくさん心に傷があったと思うんです。だからこその言葉だったのかもしれませんね」(古賀さん・以下同)

ちあきなおみ@円舞曲
1974年に発売された、阿久悠さん作詞の『円舞曲』
(写真/石田伸也さん提供)


もう1つ、古賀さんの印象に残っているエピソードがある。それは、ちあきが参加したある舞台の稽古場で、共演者の若い男女が愛を交わすシーンで、キスをするかどうかでもめたときのことだ。

「その日の帰りの車の中で、ちあきさんは『キスしているように見せれば、別に本当にしなくてもいいのにね』と言って、サラリと微笑んだんです。

 演者に心がこもっていれば、たとえ唇が触れ合っていなくても、男女の交歓の情はしっかり伝わる。それがプロの表現者の仕事―そう言いたかったんだと思うんです」

 ちあきはプロ意識の高い人ではあったが、人を寄せ付けない人ではなかった。

「ある番組で共演したとき、ぼくが担当する5分くらいのミニコーナーのゲストがちあきさんだったんですが、収録の合間にニヤ〜と笑いながらぼくのところに来て、『あなた、海援隊っていうの? 坂本龍馬よね? 私のスタッフにも坂本龍馬好きがいるのよ。

 実はね、ちあきなおみの“なお”は、坂本龍馬の“直(なお)”からもらったものなの』とおっしゃったんです。

 坂本龍馬には3つ名前があって、藩に届けた正式な侍名は坂本直柔なんです。直接お話ししたのは、これともう一度だけですが、そんなふうに気さくに話しかけてくれるかたでした」(武田)

 親しみやすい人柄に、共演者たちも魅せられていった。

取材・文/廉屋友美乃 取材/藤岡加奈子 写真・資料提供/石田伸也 写真/共同通信社 本誌写真部 参考文献/『ちあきなおみ 喝采、蘇る。』(石田伸也・徳間書店)、『ちあきなおみ 沈黙の理由』(古賀慎一郎・新潮社)

※女性セブン2021年7月1・8日号



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