物部神社@大鳥居



「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。山根治ブログ 2021年07月09日号から転載させていただきます。
人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
冠省.  私が郷里の松江市で会計事務所を開設したのが昭和51年(1976年)、今から45年前のことです。
 その前後の出来事で、・・・・・・現在私と二人の息子を社会的に抹殺(Character Assassination)しようと躍起になっていることと有意的に関連づけられることを時系列にしてみました。

 1.福田派の大蔵官僚、田中角栄の追い落としのために、事件に仕立てる。一種のフレ−ム                     
   アップ
(山根注。(人にぬれぎぬを着せるための)でっち上げ)。
 2.昭和49年(1974年)10月 立花隆が文芸春秋誌上で『田中角栄研究』を発表。
 3.昭和49年(1974年)11月 田中角栄内閣崩壊。
 4.昭和51年(1976年)5月 中江滋樹氏、京都でツーバイツ−設立。
 5.昭和51年(1976年)9月 山根治、中江滋樹氏と顧問契約を締結。ツーバイツ−
                  は、山根会計事務所の事実上の第一号顧問先。
 6.昭和51年(1976年)11月 山根治、郷里の松江市で山根治会計事務所を開設。
 7.昭和53年(1978年)7月 山口組三代目、田岡一雄組長が京都のベラミで狙撃さ
   れる。

 貴兄は、立花隆と文芸春秋について、コメント・メ−ル - (9) の中で、

 『最も酷い文芸春秋のケースに、社長になった田中健伍が、編集長時代に記事を改竄したので、絶交した件については、『ゾンビ政治の解体新書』に書きました。』 

  とされ、

 『何しろ、『文芸春秋』は官房機密費から、政府広報がダントツで、田中健伍の出世の足場は、内閣調査室ご用達だし、その使い走りの仕事が、彼の人生の始まりでした。また、田中健伍の子分だった、立花隆は私にとって、高校の二年後輩だが、彼の出世作とされている、田中金脈の記事は、立花の取材ではなく、内調が集めた情報を編集し、立花が纏めたものです。
 しかも、福田派の大蔵官僚(太字は山根)が、田中角栄の追い落としに、土地転がしの謎を追って、事件に仕立てたもので、派閥抗争の結果だったし、一種のフレ−ムアップ(太字は山根)でした。だが、それが立花の勲章になって、出世の踏み台になったし、文春は「知の巨人」と彼を持ち上げ、宣伝に利用したのであり、日本のメディアの実態は、そんなマッチポンプの世界です。』 

  と述べておられます。
 
 確かに、当時の立花隆には取材能力も無ければ、分析能力もありません。このことについては別途、金脈問題など、不正調査のプロの立場からその理由を申し上げます。とりあえずは、令和3年7月5日に貴兄にメール送信した、日刊ゲンダイの記事(令和3年7月1日付)、高野孟"永田町の裏を読む”をご覧下さい。当時の立花隆のリアルな姿が述べられています。尚、貴兄からのコメント・メール - (9) からいただいた、時系列1.の “福田派の大蔵官僚” というのは、あるいは・・・のことではありませんか? 改めて情報交換したいと存じます。

 貴兄のおっしゃる“マッチポンプ”の火付け役が、内閣情報調査室(俗に内調)であるとするならば、・・・・・・内調と共に、日本版CIAとも言われる国家スパイ組織・皇宮警察本部がそれです。内調も皇宮警察も共に、事実上、警察庁の支配下にある国家の秘密組織(スパイ)であり、この連中は、"007は殺しのライセンス”とばかりに、国家(落合莞爾の言う國體のことです。)のためなら、どんなことをしても許される、人を殺そうが人を騙そうが免されるとでも思っているのでしょう。私たち一般の日本国民にとっては、とんでもないヤツラです。
 幼児のままの状態で、訳の分らない憲法改正を声高に叫んでいる・・・安倍晋三を背後で操っているのも、どうもこの連中のようです。

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