「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。山根治ブログ 2021年07月20日号http://yamaneosamu.blog.jp/archives/9467407.html)から転載させていただきます。
人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。

コメント・メール(11)です。

  山根治さま

  前回は山林地主について、論じた関係もあるので、なぜ山林王の存在が、重要かについて考え、日本という国の支配者が、山持ちであることに触れ、問題を腑分けしてみましょう。そうした作業を通じて、この国の支配構造が、どうなっていたかを理解し、日本史の骨格を知る上で、貴重な手続きだのに、それが欠けているからです。
  徳川時代は江戸に幕府があり、人口も百万を超えたので、江戸が日本で最も豊かであり、それに続くのが大阪や京都だと、日本人のほとんどが考え、経済学者も似た考えでいます。ところがそれが誤りで、明治の初期の日本では、新潟がダントツに豊かであり、民間の納税額の総量や、「持丸長者」の数でも、何と日本一だったのです。
  広瀬隆の力作である、『持丸長者』の「幕末・維新編」に、1898(明治31)の統計で、全国の多額納税者では、直接国税三百円以上の者の総計が、次のように示されています。
  第一位、新潟県、8万4千円。 第二位、岡山県、3万9千円。 第三位、大阪府、3万5千円。 第四位、三重県、2万7千円。 第五位、秋田県、2万5千円。 第六位、香川県、2万5千円。 第七位、富山県、2万5千円。 第八位、愛知県2万4千円。という具合で、東京は11位で2万3千円だし、島根と鳥取は15位と16位続き、納税総額は二万円前後です。
  同じ年の個人としては、次のようなリストがあります。

第一位、 市島徳次郎、   新潟県、 (農業)、  1万2444円
第二位、 諸戸清六、    三重県、 (農業)、  1万0872円
第三位、 白勢長衛、    新潟県、 (農業)、  9996円
第四位、 野崎武吉郎、   新潟県、 (農業)、   8707円
第五位、 佐野伊左衛門、  新潟県、 (農業)、   7965円

  第六位から九位までは、佐賀、大阪、岡山、山梨と続き、十位から十二位までは、再び新潟人が三人いて、十五位と十八位から二十位まで、新潟県人が並びます。新潟の農民が多いのは,米どころのせいだと、考えるのは早とちりで、敗戦までの日本の農業が、米と並んで大麻を栽培し、大麻が住民の衣食住に、欠かせない資源だったのです。
  財閥が登場する時期は、殖産興業が本格化する、西南戦争以降であり、繊維産業に続く形で。軽工業や重工業が、発達するのは明治後半から、大正にかけての時代なのです。また、米と大麻は草の資源で、木は建築材料と共に、燃料資源だったから、農民や町の住民にとり、草や木が生える土地は、富を生み出す宝庫でした。
  しかも、新潟から山形を経て、秋田までの地域は、グリーンタフ帯と呼ぶ、火山灰の堆積岩が発達し、鉱産資源に恵まれた、修験者や山師が支配する、日本の富鉱地帯でした。日本海は地溝帯で、そこに海水が溜まったし、新潟から島根半島を経て、三瓶山にかけては、断層に沿って火山が噴出し、複雑な構造地帯で危険だのに、愚かな政府は原発銀座にしました。
  火山は溶岩と火山灰を生み、珪酸塩と重金属を含み、そこには大麻や米が育ち、縄文人にとっては、大麻は衣食住を支える、貴重な天然資源として、米よりはるかに価値ありました。竹や米藁はSiとC過多で、繊維として使えないが、大麻は柔和な糸になるので、縄文の縄の原料だから、糸や網を始め衣料にも使い、結界を張る注連縄や、お祓い用の大幣を作りました。
  麻の茎を釜茹でにして、繊維を作る地場産業は、明治の綿糸工業と結び、丈夫な繊維として軍服や、岡山の学生服が有名で、繊維産業の発展を生み、蚊帳や畳の材料を供給しました。中国山地は花崗岩体で、石英と長石に富むので、松や竹の林の周辺の盆地に,笹藪や大麻が生い茂り、川筋の淀みの砂鉄が、たたら製鉄を育てたのです。
  戦前の日本の繊維産業は、地場産業の筆頭であり、軍服や警官の制服とか、軍艦のロープ用材として、軍需物資として使われ、神道でも活用したので、GHQが麻類の栽培を厳禁した。当時の米国においては、メキシコ産のマリファナが、幻覚作用の強い麻薬として、阿片並みに取り締まられ、栽培禁止だったために、幻覚性の少ない日本の大麻も、栽培禁止になったのです。
  華南の米作は半島経由で、稲作が弥生文化を生み、五穀の一つの大麻は、それ以前の主要穀物として、重要な農産物でしたが、生産禁止を厳命に従い、姿を消してしまいました。戦前の繊維産業は、伝統的な綿織物と共に、植物のセルローズを使った、人造繊維に移行したが、米国は綿製品に加えて、デュポン社が石油から、ナイロンを発明しており、石油産業が背後にいたのです。
  ナイロンは石油製品で、綿花や絹を駆逐して。繊維の主役になったが、倉敷紡績のビニロンは、石灰岩を原料にした、画期的な繊維であり、それは『疫病神の正体』に書きました。未来におけるグラフェンは、鉄の五倍も強く伝導率も抜群で、木材のチップから作る、夢の素材であるから、豊かな山林に恵まれた、日本にとって希望の星です。
  20世紀は石油時代で、石油を支配したことが、米国を覇者にしているし、日本をアメリカの属領として、隷属させたのであり、売国奴の竹下も安倍も、ワシントンに平伏しました。竹下の父親は「背乗り」で、古い酒屋に入り婿で、息子の嫁を強姦して、自殺に追い込んだことは、コメント・メール(5)の中に、既に書いたことであり、竹下家には陰があります。
  それは『われ万死に値す』に、岩瀬達哉が書いた通りで、「・・・竹下の父・勇造は、出雲市で印刷業を営む武永家から、竹下家に婿養子に入った人物で、性格的にも豪放磊落なところがあり、竹下家の家業の酒造りには、精を出すという事はなかった。家を切り回していたのは、亡くなった義母(妻の)・唯子である。・・・」。竹下登の母親の唯子は、松江高女を出たインテリで、福本イズムの影響を受け、自製酒に「大衆」と名付け、田舎での活動家でした。
  当時の島根師範では、福本和夫が教えており、独特な共産主義を唱え、その名を知られていて、松江を左翼思想の砦にし、一種のメッカと言われました。竹下勇造は町長だが、尉官の軍歴を持つから、軍部が竹下唯子の目付け役に、旧家に婿養子の形で、送り込んだ可能性も、多分にありうる推理です。
  学生結婚した竹下登は、早稲田の予科に行き、そのまま兵隊になり、戦後に復学し商学部を卒業し、島根に戻ってから、農民組合活動をしたし、重要な秘書に山岡剛がいました。山岡は竹下の金庫番で、早稲田の後輩であり、莫大な政治資金を集め、竹下登が権力を握るために、決定的な役割を演じたが、この人物を菊池久は。『新・竹下疑惑の系譜』にこう描写した。
   「…問題は、『日共党員』といわれる、山岡の『党歴』だ。捜査当局の公安資料によると、山岡は昭和24年に上京、早大第二高等学院当時の同年五月、日共に入党している。…という事だと、早大生時代の竹下と交遊していた頃から、日共党員たせったわけだ。その山岡は昭和27年には、『電力問題研究所』を設立。『大口電力情報』という情報誌を発行。電力業界に深く食い込み、竹下が通産政務次官になってからは、堂々と通産省に出入りし、竹下の政務次官という職権を利用、原子力発電などのトップシークレットの情報を入手、それらが中国.北鮮などに、流出した疑いを公安当局が持った。このため昭和44,45年まで、警視庁外事二課(北鮮担当)が、北鮮スパイ容疑で、山岡を徹底マークした。・・・・」
  この謎を秘めた山岡だが、竹下の政治資金団体である、「新産業経済研究会」を仕切り、竹下政権のために、昭和61年度(1986)だけで、約50億円の巨額な、総裁選資金を集めまくった。しかも、別の秘書だった青木幹雄は、秘書を辞めて国会議員になり、内閣官房長官だった時に、小渕首相の怪死に際し、首相の臨時代理を称して、クーデタを演じたことは、『ゾンビ政治の解体新書』に、五人組の企みの形で詳述してあります。
  それにしても出雲の国は、『風土記』が示すように、独特な味を持っていて、鏡像関係で捉えた上で、裏返しにする必要があり、位相幾何学に習熟しないと、何が何だか分かりません。いずれにしても謎は残り、出雲を巡る闇の世界は、奥がとても奥深いために、「狐持ち」の系譜と繋がるし、その解明は困難に満ち、一筋縄では行かないようですね。

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