「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。山根治ブログ 2021年07月21日号から転載させていただきます。
人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
冠省.  政治家になるためには、3つのバンが必要であると言われてきました。ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(金)の3つです。
 政治家・竹下登について考える場合、父親の竹下勇造の存在を抜きにしては考えることが出来ません。長男の竹下登は生まれつきあまりデキが良くなくて、旧制松江高校に二回挑戦しても入れませんでした。竹下勇造は、仕方なく東京の第一早稲田高等学院に潜り込ませて、エスカレーター式に早稲田大学に入学させています。

 貴兄は、『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』で、

 “そんな時に (注) 現れたのが、「男たちの悪巧み」と共に、「鳴沢村の哄笑」こうしょうの写真であり、ここにゾンビが大集合して、日本人を愚弄ぐろうする光景があった。” (前掲書.P299)

 とされ、4匹のゾンビの写真が添えられています。
   1ピキ目のゾンビは、小泉純一郎
   2ヒキ目のゾンビは、森喜朗
   3ビキ目のゾンビは、安倍晋三
   4ヒキ目のゾンビは、麻生太郎 、   この4匹です。

 竹下登も同類のゾンビです。竹下登を加えた5匹のゾンビに共通するのは、サイコパスであることに加えて、相当以上に低い知能指数の持ち主であることです。
 中でも竹下登とそっくりなのは安倍晋三です。デキの悪い竹下登を操って政治家に仕立て上げたのが竹下勇造であるとすれば、同じくデキの悪い安倍晋三を赤ん坊をあやすようにして政治家に仕立て上げたのが、母親の安倍洋子です。昭和の妖怪と言われた岸信介の娘です。岸信介は、貴兄もよくご存知のように満鉄、即ち、大東亜戦争の実行部隊の兵站(へいたん)部門を統括するボスで、アヘン、ニセ金、略奪物資など、オモテには出せないウラの資金をも扱っていたことが知られています。
 竹下登の父親は、貴兄のおっしゃるように “朝鮮半島人” であっただけでなく、日本陸軍の特務機関員であったようです。私は、ゾンビ政体の起点は皇紀2600年(昭和15年)であるとしましたが、その時点での竹下登の父親・竹下勇造の軍位は陸軍中尉です。当時の朝鮮は日本に併合されており、姓氏改名令の期限までに、朝鮮人の竹下登の父親は日本名に変えたのでしょう。旧制松江中学校時代は武永姓を名乗り、卒業後に竹下姓に変えたものと思われます。この事実は、『昭和15年度末編 松江中學校卒業生名簿』によって確かめたことです。マネーローンダリングならぬ、姓氏ローンダリングです。或いは、姓氏のドレッシング(粉飾)と言ってもいいでしょう。・・・。

 昭和15年以後、特に戦後、アメリカの属領と化した日本で生き抜くためのドレッシング(粉飾)です。まさに計算しつくされた姓氏ローンダリングです。これで日本本国において竹下勇造が政治家になるための最低限の条件であるジバンの形が整いました。ドレッシング(粉飾)されたジバンです。日本人に成りすました竹下勇造は、戦後掛合町の町長になっています。

 竹下登のオモテ向きの金庫番は青木伊平でしたが、ウラの金庫番に山岡剛という人物がいました。貴兄が、コメント・メ−ル - (11) で触れられた山岡剛です。死の商人・竹下登のドロドロとした政治資金(ウラ資金)にまつわる詳細については、政治評論家の菊池久が、『竹下疑惑の系譜 − ここまで書いたら俺は危ない 』 で 具体的に述べています。もちろん、国会議員として総理大臣を目指そうとする人物に必要な巨額のウラ資金の調達など、デキの悪い竹下登の出来る事ではありません。全て、父親・竹下勇造の手配です。ここに、“死の商人”としての竹下勇造の姿が浮んできます。私が竹下勇造を"死の商人”であると判断したのは、島根原発が松江市の市街地の至近距離に誘致された経緯と、現在私と2人の息子とを、嘘八百の言いがかりを付けて、社会的に抹殺(Character Assassination)しようとしている、・・・改めて詳しく申し述べたいと存じます。尚、貴兄が、コメント・メ−ル - (11) で引用されている 『新・竹下疑惑の系譜』 は、かなり書き改められた改訂版です。菊池久が文字通り命を懸けて書き上げた、元の版をご覧になって下さい。
 平成5年(1993年)6月に出版されたこの本について、菊池久は、

 “国会議員という職権を利権漁りに乱用し、国民から負託された国政を忘却している “政治屋” たちへの憤り”(前掲書.P242)

 から書き上げたものであり、その憤りは私憤ではなく、

 “「このまま、黙視していては日本の政治は悪くなるばかり。国も国民も救われない」という公憤”(前掲書.P243)

 であると述べています。

 ・・・この度は、“死の商人”の竹下勇造 − 竹下登 − 竹下亘 − 竹下三郎 の繋がりから、島根原発利権、産廃利権の擁護者・・・。
 この時点で、政治評論家・菊池久同様、私の怒りは、個人的な憤り・私憤を超えて、公憤の域に達したようです。

 追伸.  「死の商人・竹下登」に対する政治評論家・菊池久の“公憤”は、この本の異様な表紙に示されています。
菊池久

(注)「そんな時に」は、以下の記述の後に続くものです。

 『私は韓国に30度以上も行き、著書がハングル訳されたので、読者には記者が何人もいるし、彼らが取材しに来るから、思いがけない情報までが、時には転がり込んで来たりする。朝鮮戦争のさなかの話だが、文鮮明が元山から脱出し、日本で笹川と勝共連合を組織し、南平台の岸の屋敷内を砦に、活動したことは誰でも知っているし、子供の安倍晋三も目撃していた。だが、ソウルに行けば笹川良一が、文尭の名で戸籍を持ち、そのコピーが見られるし、息子に同じ名を付けているのは、なぜかを教えてくれたりする。
 だが、そうした事象の舞台は、半世紀も昔のことだし、私の興味も薄れていたので、誰か他の人に任せて、寛(くつろ)ぎたいと思っていたら、ゾンビ政治が猛威を振るった。そこでゾンビ政治について、何冊かを執筆したが、腰が抜けた日本の出版社は、どこも出版しようとせず、紙の代わりに電子版で、苦労しながら自力で出版を果たした。』(前掲書.P299)

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