「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。山根治ブログ 2021年07月27日号(http://yamaneosamu.blog.jp/archives/9547316.html)から転載させていただきます。
人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(12)です。

山根治さん

西国33か所巡りとか、近畿や中国の山地を歩き、十代後半の時期の私は、大自然に接していたし、二十代になると穂高で、一年の半分を過ごして、大地に接して青春期を過ごしました。東京で生まれ育って、本来は都会人だのに、都市化で堕落するよりも、大自然と接することに,生き甲斐を感じたのは、愛読書がゲーテやモンテーニュで、古代を憧れたせいでしょう。

『随想録』の骨格には、『プルタコス』があって、その背景にギリシア世界が、雄大に広がっているし、『ファウスト』の舞台には、ギリシアの精神が漲り、自然への賛歌が漂っています。幾何が得意だった私は、ピタゴラスを敬愛し、ミレトス学派に属した、タレスの自然観が好きで、ディアゲネスから学んだので、水や岩が大好きだったから、地質学を進路にしました。

そのせいで関西に出向き、「西国33か所巡り」をやり、大自然に親しんだが、京都や琵琶湖周辺より、紀伊半島南部が好きで、特に中央構造線の周囲や、その南部の山地が好きでした。それは富鉱地帯であり、修験や密教と結びつき、金峰山や高野山の周辺には、丹生神社と密着した、辰砂の水銀鉱床が発達し、そこは若き日の空海の修行の場で、四国と同じ自然がありました。若い時期に佐伯真魚に似た体験を、奇しくも私はしていたようです。

四国の吉野川と共に、近畿の紀ノ川の流れは、断層群がつくった川筋で、この中央構造線の周辺には、エネルギー・スポットがあり、古代人は聖性を感じて、そこに寺社を建立しました。諏訪大社、伊勢神宮、天河寺、金剛峰寺、根来寺、四国では一番札所の霊山寺から、十番の切幡寺までズラリ、吉野川に沿って札所が、断層帯の上に並んでいます。

しかも、札所三番の粉河寺が、住友家の本貫であり,足尾銅山で古河財閥を築いた、古河市兵衛の出自も、粉河寺だという記述は、『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』に、詳細に書いておきました。また、伊達宗光が国事犯で、宮城監獄に繋がれた時に、食事の差し入れをして、面倒を見たのは市兵衛だし、陸奥宗光は和歌山藩出身で、親父の伊達宗広は、紀州藩の勘定奉行でした。

若い頃は紀伊半島で、修験の道を放浪したが、四国の八十八か所は、喜寿になってから踏破を果たし、空海の足跡をたどり、大自然の中で彼が得た、現場体験の完結を果たしました。若かった時代の私は、岩、土、植物を観察し、密接な生態連関に興味を抱き、鉱物や地質の方面で、空海を錬金術と結びつけ、彼の足跡を追い求めて、大自然に教訓を学びました。

そして、修験や密教に親しみ、空海が修行僧として、長安に行ったように、私もフランスに出かけて行き、欧州やアフリカを訪れ、実体験を積むに従い、空海伝説に疑問を感じました。空海が留学僧として、唐の長安を訪れたのが、初回ではなく二度目であり、恵果和尚が言った、「待っていた」という言葉は、彼の二度目の訪問に対し、発したのだと確信しました。

しかも、福建省の赤岸村に漂着し、上陸出来なかった時に、手紙を代筆した空海は、見事な文章力のお陰で、無事に長安に到着したが、恵果和尚から実力を評価され、後継者に抜擢されました。この物語の真相には、彼は既に中国を訪れて、語学力を誇っていたが故に、この抜擢が実現したし、最初の渡航は渤海経由で、山陰海岸の港からの出航でしょう。可能性は浜田の長浜、伯耆の境港、越前の若狭か敦賀が、渤海に渡る波止場であり、山陰の場合は隠岐経由です。

こう確信していた私は、空海と錬金術に関して、日本で最高の知識を持つ、佐藤任さんの自宅を訪問し、この問題を議論しており、その証拠が記録に残っており、何度も語り明かしました。佐藤さんは広島大学を中退し、高野山大学で学び直し、『空海と錬金術』を始め、『ブッダの謎』などの著書を持つ、真言密教の最高権威で、私との対話については、説明するのが面倒だから、こんな投稿記事を張り付けて見ます。

http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/568.html

対談相手の池口さんは、高野山の大阿闍梨で、「炎の行者」として知られ、私の読者だが右翼であり、彼との交遊について、『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』に、詳しく書いてあります。小泉や安倍の指南役として、池口和尚が演じた役割は、「満蒙を源流にする右翼の動きと大阿闍梨の持つ影響力の源泉」を読めば、はっきりと分かるはずで、彼とは何度も対談しました。

大事な話は解説をしないで、自分の頭で理解して、背後に潜む真相を見つけ、自力で大局を掴むことが、世界における常道だが、最近の日本人は洗脳され、自分で考えなくなりました。だから、同時代の人間には、読者がいないと予想し、百年後の読者のためを考え、少し捻った形をとる形で、私は沈黙を装いながら、情報を提供してきたのです。

私はこれまでは沈黙を守り、誰と付き合ったとかは、公開しなかったのだが、日本の亡国現象が凄まじく、黙っていると共犯だと思い、最近では秘めた事柄でも、漏らすことに決めました。私は左右の枠組みには、こだわらなかったから、誰とでも親しく付き合ったし、情報を蓄積してきたので、それを読まない限りは、本質に迫れないというのに、本にしても誰も読まないし、読めないのが日本人です。

これまで一度も漏らさずに、沈黙を維持して来たが、青春時代の私には、オリンピック選手の経験を始め、市長の五輪アタッシェをした、懐かしい思い出があります。だから、東京五輪に関しては、発言ができる立場にいて、何か言うべきでしょうが、無知な愚か者たちにより、食い荒らされているので、何も言う気になれず、沈黙するだけのことでした。

卑しい者が群れを成し、騒ぎ立てている渦中に、参入すれば愚か者になり、軽蔑されるだけだから、敬遠するのが最良だし、自らを隔離することが、何にも増して良い選択でしょう。安倍や菅の如き痴れ者が、首相をやるような国で、自己の利益だけを考えて、愚劣な五「臨終」大会を行い、国民の生命を見限り、コロナ対策さえせずに、バカ騒ぎを演じています、

そんなタイミングを見て、山根さん指摘した、昭和15(1940)年体制が、ゾンビ政体の出発点であり、明治維新以来の諸悪は、このメルクーマルで、大化けしたと決めつけましたね。そういえばあの年に、東京五輪の開催があり、戦争で中止になっていますが、その実現のためには、岸清一が尽力したとして。松江の県庁前に銅像まで建て、島根県民は仰ぎ見るとか。

だが、当時のJOCを思えば、国民のためではなくて、国威発揚のための開催で、今のJOCと大差がなく、 岸清一の貢献伝説は、竹下の虚像と大差ないのでしょう。何しろ銅像の除幕式には,親ナチのブランデージ゙が来て、功績を称えたそうだから、ボッタクリ男爵のバッハと、大差がないに違いなく、余り誇れそうになさそうです。

今日はインパール作戦に似た、愚劣な東京五「臨終」大会で、その開幕に現を抜かす国民が、政府の大本営発表に、手玉に取られていて、同じ過ちを繰り返し、その情景をU-Tubeが映す。そんな陰鬱な空気が、故国から伝わってきて、懲りない連中だと呆れながら、ペンを執っているけれど、『日本沈没と日本の崩壊』は、どうやら既定の路線のようです。

幸運なことに山根さんが、私に場を提供してくれ、手応えのある対話として、相手になって下さるので、こうして過去を披瀝し、歴史の真相に迫れるし、後世の人に喜んで貰えます。これまでは秘めてきた、若い頃の航跡について、喋りすぎたかも知れませんが、それを糸口にすれば、思わぬ展開が開けるし、こうして歴史の闇が姿を顕すのです。(愚痴っぽくなりましたが、嫌な日の記録のメモとして)

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