「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。山根治ブログ 2021年09月15日号(http://yamaneosamu.blog.jp/archives/10660306.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(18)です。
山根治さま
前回のコメント・メールで、玄宗皇帝と楊貴妃に触れ、安史の乱」を論じたが、、私の座右の書が『貞観政要』であり、青年時代の愛読書は、『唐詩選』だったから、空海の留学先も長安でした。特に高校一年生の時に、初めて学んだ漢文の授業で、『唐詩選』の冒頭に位置する、魏徴の「述懐」を暗誦し、「人生意気に感ず」に感銘して、それ以来『貞観政要』が座右の書でした。
『唐詩選』の巻頭にある、魏徴の「述懐」の末尾は、多感な高校生にとって、極めて印象的な纏めであり、魏徴の生き様に感銘し、野にある批判者として、生きる原動力になりました。だから、『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』は、174pに魏徴の挿図を入れて、彼に心からの敬意を払い、ゾンビに食い荒らされた亡国日本との比較で、歴史を偲んだのでした。
深く国士の恩を懐(おも)う
季布(きふ)は二諾無く
侯嬴(こうえい)は一言を重んず
人生意気に感ず
功名誰か復(ま)た論ぜん
大唐帝国の滅亡過程は、「安史の乱」が象徴し、政治の乱れの背景に、宦官の高力士がいたことは、誰もが知っているし、宦官は今時のLGBTで、日本の政界では松下政経塾です。その件に関しては、コメント・メール(15)で論じ、具体例は二つのURLを引用し、検討して貰いましたが、この政界におけるガンは、相変わらずあなどれません。
安倍政権を動かしたのが、国会や議員ではなく、官邸に陣取る官僚で、主権者の国民のためよりも、ご主人の首相に阿って、忖度するだけだったから、高級官僚は宦官に等しい存在でした、しかも、与党と野党に分散し、集団生活で去勢され、皇国史観で洗脳された、政経塾出の議員が並び、小姓政治が続いたので、日本の社会は溶融してしまい、内閣が高力士化したのです。
松下政経塾のOBが、CSISで仕上げをし、日本の政界に潜入して、自民党や立憲民主党だけでなく、地方の首長や議員の形で、がん細胞として育ち、全身転移を狙ったのです。良い見本が菅が断念した、自民党の総裁選であり、松下政経塾卒の高市早苗が、安倍の代理人として、極右勢力を代表したし、CSISの砦ジョージタウンを出た、河野太郎がジェズイット代理です。
フランスに五年間住み、米国とカナダに半世紀近く、生活の基盤を置いたから、欧米両大陸の歴史と共に、社会を観察したお陰で、私は「闇の権力」に関し、独自の見解を持っています。それは歴史哲学と共に、意味論を習得したので、米国ではDeep state(DS)だが、欧州はCabalによって、政治や経済が動かされ、支配されていると考えます。
これは名誉革命史と、ユダヤのカバラ思想が、近代史に影響を与え、それが現在に引き継がれて、組織体の中に潜り込み、健全な生命活動に対し、損傷を与えている構図です。武漢ウイルスによる、パンデミックの体験は、境界線の復活を促して、地方自治を意識させ、無原則なグローバリズムは、格差社会の強化だけで、ナショナルミニマムに反します。
だから、2020以後の世界は、肥大化した組織よりも、個人や共同体が結んだ、ネクサス構造で出来た、帝網型の世界であるが、その準備は日本では、全くできていないのです。だから、自民党の総裁候補に、岸田、高市、河野などと言う、安倍や麻生に盲従している、使命感や哲理もない、お粗末な手合いが現れ、日本人を愚弄しており、民度の低さを顕現しました。
特に高市早苗の場合は、政経塾で洗脳された、軍国主義者という点で、安倍よりも酷い反動に属す、極右だと言われており、奈良で奥田誠亮に仕込まれ、皇国史観で凝り固まっています。奥田は田中内閣では,文相をやっていますが、戦前は鹿児島で特高課長をやり、思想弾圧をした内務官僚で、当時は大問題を起こした、いわくつき超国家主義者です。
こんな愚民劇に無知で、国民が無自覚なのは、メディアが歴史を知らず、電通の洗脳工作に踊らされ、愚劣さを報道しないのと、野党がだらしなくて、指導者がいないせいでしょう。石井紘基の暗殺は、DSの策謀にしても、彼が健在であったなら、枝野には出る幕がなく、健全な野党が存在して、現在の政治の荒廃は、回避できたかも知れません。
日本人には理解困難だが、これは「両建て」戦法で、どちら側に転んでも、傀儡として操り得ると言う、カバール思想に基づく、属領支配の典型であり、日本の現実はそんな程度です。このバカげた戦法に、日本人は誑かされて、愚かな内訌に明け暮れ、紅白の「両建て」戦法で、消耗し続けた軌跡が、日本の歴史の正体であり、未だに二項対立の支配下です。
二項対立と言えば陰陽も、山陽と山陰の関係で、瀬戸内海の港や造船は、戦争末期に山陽から山陰に、工場疎開が行われて、松江や米子に工場が、かなり移転したそうですね。松江には人間魚雷や、造船工場が移動して、ディーゼル機関を作り、松下造船はエンジン調達に、事業本部を松江に移し、松江は神戸や大阪と、結びついていたと耳にしました。
しかも、松下幸之助の番頭が、松江に拠点を構えて、大徳寺の立花大亀と、連絡を取り合っていたし、立花和尚は山口組に、コネを持っていた話は、京都皇統の舎人から聞きました。舎人からの聞き書きは、一部が極秘情報として、『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』に、一般に公開してあるが、全体図は伏せてあり、M (償還) 資金問題に触れた、『夜明け前の朝日』の第六章が、多くのヒントを提供します。
それは田中清玄とオット大公や、松下とMRAの関係を始め、三島の龍澤寺にまつわる、山本玄峰の役割について、解明をして行く過程で、戦後史の謎が解けるでしょう。その点に触れた本として、『日本に巣食う病神疫たちの正体』があり、その第七章を熟読玩味し、「読書百遍、而義自見」に、到達するようになれば、全体図も描けると思います。
このヒントを提供して、松江に詳しい山根さんから、より具体的な情報を貰い、問題の核心に迫るなら、この対話の秘めた価値は、戦後史の謎を解く上で、大きなものになります。松江が秘めた人脈に、何が隠れているかは、興味津々でもあるし、出雲に詳しい大兄の貢献が、非常に大きいと考えて、改めて教えを乞う次第です。
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