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松本清張氏が児玉誉士夫をモデルに「鬼頭洪太」を登場させた小説『けものみち』の「ニュー・ローヤル・ホテル」が所在する場、東京・赤坂周辺。小説執筆当時、プルデンシャルタワー(写真左上)所在地に「ホテルニュージャパン」が立地。

現実主義的民権論者の南海先生、徹底した西洋近代思想を説く洋学紳士、膨張主義的国権思想を唱える豪傑君の三者の南海先生宅での鼎談の形式をとりながら政治論を展開した中江兆民著『三酔人経綸問答』(1887年刊)は、異論者との討議が真理への道を進捗するとの確信から、藩閥政府に対しては市民的自由(freedom)を保障(guarantee)する自由(liberty)を求め、在野の政治運動に対しては地縁的閥族的結合を超えた意見の旨義による交流・結合を説く彼の思想的な成果物、または鼎談の鏡です。7年9か月前、保阪正康氏(1939年2月生)と佐高信氏(1945年1月生)と森功氏(1961年生)が週刊現代誌上で鼎談をしています。なかなか興味深い。保坂氏が「誰もが枠にはまって、面白い人がいなくなった。日本がもう黒幕を必要とする社会ではなくなったというのは、なんだか寂しくもありますね。」と語っていますが、「天命未だ改まず。鼎之輕重、未だ問ぶべからず。」(天命によって、まだ代わったわけではありません。鼎の軽重を問うのは不遜というものです)と助け舟を出したくなる政治家がいないのも寂しい限りです。今、日本に必要なのは自覚して政治・経済・社会を変革(innovative changes)する政治家(statesmen)または黒幕(the statesmen in the backroom)です。以下、本文をここに転載させていただきます。

(引用開始)・・・・・・
「戦後70年」特別鼎談 児玉誉士夫 笹川良一 瀬島龍三 四元義隆ほか「黒幕たちの戦後史」を語りつくす 保阪正康×佐高信×森功
(週刊現代 2015.01.19)
暴力とカネの力を利用して、社会の表と裏をつなぐパイプ役—そんな男たちが日本社会の中枢を牛耳っていた時代が確かにあった。暴力団員を手なずけ、政治家や財界人を動かした「黒幕列伝」。

書けば消される
森 平成の世になって、政治家も財界人も小粒になり、いわゆる「黒幕」と呼ばれる人がほとんどいなくなりました。しかし、戦後70年の歴史のなかである時期までは、確かに黒幕たちが政治や経済を動かしていましたね。

保阪 戦後の黒幕の原点ということでいうと、やはりGHQ、米国との関係を抜きにしては語れません。例えば、マッカーサーの「片足」とまで言われたチャールズ・ウィロビーの周辺にいた人たちです。ウィロビーは参謀第2部の部長として諜報・保安・検閲を管轄した典型的な軍人タイプだけれど、彼の謀略を実行するために陰に陽に動いた日本人たちがいる。陸軍大佐で戦後はGHQのために戦史編纂に携わった服部卓四郎などです。服部らは吉田茂を暗殺してクーデターを起こそうと企てたこともある。暴力と威嚇とカネの力を使って、裏から社会を動かすという黒幕のやり方はここから始まります。

佐高 黒幕というのは基本的に右翼出身の人が多い。アメリカとつながった親米右翼です。典型的なのが、戦後の黒幕として最初に名が挙がる児玉誉士夫でしょう。戦前は鬼畜米英と言っていた人が、いきなり親米になるという……。

森 児玉は、晩年に自分がCIAの対日工作員だったことを告白していますからね。河野一郎や岸信介の後ろ盾として影響力をふるい、ある意味で自民党を作ったともいえるスケールの大きなフィクサーでした。

佐高 私がものを書き始めた'70年代には、児玉はまだ存命中。彼の話は本当にタブーで、児玉の「児」の字でも書こうものなら、消されるんじゃないかという恐怖感がありました。

保阪 共産党のような組織に守られていれば別ですが、普通の物書きはあえて児玉に触れようとはしませんでしたね。黒幕の力の源泉の一つは、やはりカネです。児玉は戦後、上海から引き揚げてくる際に、旧海軍の資産を持ち帰って、それを政界工作に使ったといいます。

森 戦時中は上海でレアメタルを扱って稼いでいたといわれていますね。そのカネで自民党の基盤が作られたといっても過言ではありません。

佐高 それだけ軍にべったりだった右翼が、戦後はアメリカにくっついて、ロッキードの秘密代理人にまでなってしまうんだからすごい。そして総会屋の元締みたいな形でカネを集めました。会社の中でなにか揉め事が起きると児玉に頼ることになって、あとは児玉に食い込まれるという構図です。日本の株式会社の多くが児玉のスポンサーになったと言ってもいい。

保阪 戦前から軍部や官僚と近しい関係だったという意味では、陽明学者・思想家の安岡正篤も同じ系譜の黒幕ですね。

佐高 児玉が在野の右翼だとすれば、安岡は歴代首相の御意見番的な存在でした。安岡はそんなにカネはなかったけれども、漢籍をうまく噛みくだいた説教をして、官僚出身の政治家たちにありがたがられたタイプです。

森 吉田茂や池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫などはみな安岡を師と仰いでいましたからね。そんなカリスマの源泉になっているのが、8月15日の玉音放送「終戦詔書」の手直しをしたという話でしょう。

保阪 天皇の文章を直したというのは最大の勲章になっています。ほかにも宏池会(現・自民党岸田派)という名前は彼が作ったという話もありますし、平成という元号も彼の発案だといわれています。

佐高 彼の本は、朝礼などで訓示を垂れるのが好きな社長のいいネタ本になっている。あの長嶋茂雄まで安岡の本を持ち歩いていたっていいます。長嶋は、清原が骨折したとき、ギプスに「失意泰然」という安岡の言葉を書いたという話もあります。

森 そんな大物も晩年は、細木数子との一件でスキャンダルになりました。当時銀座のホステスだった40歳も年下の細木と再婚の約束を交わしたんですが、親族が大反対してもめたという話です。その後すぐ、安岡は亡くなるんですが、遺言を巡る諍いに、暴力団まで出てきて……。

佐高 天皇の文章を直したということで神格化されていた黒幕が、馬脚を現したというわけですね。

カネと暴力装置
保阪 戦前の右翼の系譜という意味では、笹川良一も忘れてはいけません。山本五十六の用心棒をしたり、ムッソリーニの真似をして黒シャツ隊を作って銀座を行進したり、なかなか派手な活動をしていました。児玉と同様に中国でかなりカネも作った。A級戦犯の容疑で巣鴨プリズンに入りましたが、収監されていた政治家たちとつきあい、人脈を広げて、戦後の活動の基盤にしていく。

佐高 彼はカネの作り方がうまかったですね。獄中でモーターボートに興味を持って、出所して間もなく競艇の法制化に動いている。'62年には日本船舶振興会を創設し、競艇による収益の受け皿にしました。

とにかくカネのばらまき方がすごい。社会奉仕活動にも手を出して、最後はノーベル平和賞まで狙っていたというんですからね。

森 一方、笹川はこれといった暴力装置をもたなかった。唯一、自由党の広川弘禅宅に夜襲をかけて脅し、モーターボート競走法を認めさせた懐刀の藤吉男くらいです。住吉会を中心に関東のヤクザをまとめ上げて、政財界のガードマン的役割を果たした児玉とは対照的です。

蒋介石、統一教会の文鮮明、米カーター元大統領と国際的な人脈も広かった正真正銘の大物黒幕ですね。

保阪 児玉や笹川のような戦前から右翼として活動していたタイプと異なるのが、小佐野賢治のような戦後の新興黒幕です。

終戦後、ホテル会社やバス会社を次々と買収し、国際興業を創業した実業家ですが、とくに田中角栄との親密な関係が有名だった。

佐高 山梨の貧しい農家に生まれ、戦後のどさくさにまぎれて闇市から出てきたような人ですね。そういう意味では角栄と出自も似ている。角栄は自分が首相になる前に、周りから「小佐野との関係を切ってくれ」と言われて、「小佐野はケチだから、おまえたちが心配するようなカネは出していない」と金銭のやりとりを否定したようですが、二人が相当近しい関係にあったことは間違いありません。

森 小佐野は仕手戦をしかけて、株でも大きく儲けていたようです。日本航空や全日空、大韓航空の大株主にもなって、航空業界への進出もにらんでいたようですが、ロッキード事件でおじゃんになった。衆院予算委の証人喚問でくり返した「記憶にございません」というフレーズは、流行語にもなりました。

巧みに虚像を作り上げる
保阪 戦後の新興黒幕という意味で外せないのが、瀬島龍三でしょう。戦時中は大本営の参謀として作戦を立案し、終戦後はシベリアに11年抑留されて帰ってきた。

日本に戻ってからは伊藤忠に入って、社長・越後正一に食い込んだ。伊藤忠は繊維を中心にした商社ですが、当時は事務系が無茶苦茶だったそうです。そこへ業務部長に抜擢された瀬島が陸軍方式の書類の作り方を持ち込んで、改革を成功させた。

佐高 山崎豊子の『不毛地帯』にも描かれていますが、米国からの戦闘機購入にまでからんでいた。ダグラス・グラマン事件で明るみに出ますが、参謀時代の同期が自衛隊にいたのを利用したのでしょう。伊藤忠は繊維の商社だったのが、瀬島の力で総合商社へと発展していく。

保阪 私は、瀬島に2日間にわたるロングインタビューをしたことがあるんです。それで、彼の話には小さな嘘がたくさん紛れこんでいることがよくわかった。例えば、'41年12月1日に、御前会議で戦争をすることが決まった。その議題を天皇に伝えにいくという状況を説明するのに、「雪の降る皇居に入る車に乗りながら、これから陛下にそういうことをお伝えするのかと思うと憂鬱になった」なんて話すわけです。よく知らない人は瀬島が自分で天皇に報告に行ったように聞こえますが、実は彼は参謀総長のお供でついていっただけ。それなのに、あたかも自分が天皇に報告したような口ぶりになるんです。

森 相手によっては、「やっぱり瀬島はすごい人だ」となるわけですね?

保阪 そうなんです。相手の知識によって答え方を変えている。インタビューが終わって、カレーをご馳走になっているときに、私が「瀬島さんは語っていることと、やっていることに随分違うところがありますね」と話すと、ぽとんとスプーンを落としたんです。意外に純粋で真面目な人なんだな、と感じました。

その後、私の肩に手をかけて「フリーの物書きとしてやっていくのは大変だろう。僕のところにはいろいろ情報が集まるから遊びにおいで」なんて優しい声をかけられましたが、そういう人たらしの術もあった。もちろん、私は遊びには行かなかったけれど……。

佐高 自分の虚像をうまく作り上げるのも黒幕の条件の一つですね。その場、その場で演技をするというか、平気で嘘をつける能力です。これは官僚にも通じる能力です。

許永中は「黒幕」か?
森 虚像という意味では、四元義隆の自宅を訪ねたとき、面白い経験をしました。四元は'32年の血盟団事件で逮捕された右翼で、戦後は政界の黒幕として、特に中曽根政権や細川政権では陰の指南役と言われるほど影響力をふるった人物です。私は、細川首相との関係を聞きに鎌倉の自宅を訪れたのですが、障子越しにしか話をしないんです。相当お年を召していたというのもあったと思いますが、面と向かっては話せないということでした。

佐高 そうやって、顔を見せないところも黒幕らしい演出かもしれない。

四元といえば、田中清玄の会社だった三幸建設工業の社長を引き継いだ人物ですね。田中も代表的な黒幕の一人だと思いますが、右翼出身の人たちと違って、戦前は非合法時代の日本共産党の中央委員長を務めていた。獄中で天皇主義者に転向していますが。

森 戦後は実業家として建設業や農業に乗り出します。全学連に資金を提供したり、インドネシアやアブダビで石油の輸入、油田開発にまで関わったりするなど、まさに黒幕と呼ぶにふさわしい幅広い活動ぶりです。

暴力装置という意味では、山口組三代目組長の田岡一雄と親しかった。住吉会と親しかった児玉と対立していたというのもあると思いますが。

保阪 最近の黒幕というと誰になるんでしょうね。

森 例えば許永中は最後の黒幕みたいな呼ばれ方をしますが、今まで挙げた人たちとはちょっと異質ですね。

佐高 確かにカネは動かしているけれど、政治を動かすまではしていない。そういう意味でスケールの大きい黒幕はいなくなった。

森 許は、大谷貴義という宝石商や、画商として政界に食い込んだ福本邦雄なんかとつながって政界とのパイプを作った。

佐高 それがやがて戦後最大の不正経理事件といわれるイトマン事件につながっていくわけです。絵画や骨董、宝石といった値段があってないようなものは、裏金を作るのに便利なんでしょう。

保阪 それにしても、やはりスケールが小さい。黒幕というより「使い走り」といったほうがいいですね。

森 ミニ政商といったところでしょうか。今のように政治家も経済人も清廉を求められる社会では、闇とつながる黒幕の出番もなくなるわけです。日本社会全体が行儀よく、秩序化していますからね。新自由主義になって、孫正義のような大金持ちは生まれますが、影がない。

佐高 そう。停滞社会になると角栄や田中清玄のような面白味のある人物が出てこなくなる。企業もコンプライアンスばかり気にするようになった。

保阪 結局、誰もが枠にはまって、面白い人がいなくなった。日本がもう黒幕を必要とする社会ではなくなったというのは、なんだか寂しくもありますね。
(文中敬称略)
ほさか・まさやす/ノンフィクション作家。近著に『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』(半藤一利との共著)がある
さたか・まこと/評論家、週刊金曜日編集委員。著書に『未完の敗者 田中角栄』『佐高信の昭和史』(1月下旬出版予定)など
もり・いさお/ノンフィクション作家。著書に『許永中 日本の闇を背負い続けた男』『同和と銀行』『平成経済事件の怪物たち
「週刊現代」2015年1月17日・24日合併号より
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