宮本常一(1907年 8月〜1981年1月)著『忘れられた日本人』(1960年・身来社刊行;1984年・岩波文庫)には、人々が記憶し伝承されたものが記され、私たちに日本人の深い心情を伝えくれます。
文字(資料)から構築された歴史(学)とは違い、老人たちがもの語る生活態度は格別で、聴き手(読者)は生命(自然)への畏敬の念を抱くものです。彼の『塩の道』(1985年・講談社学術文庫)も含蓄に富んだ作品で、腰を据えて読みたい一冊。塩鮭をはじめとする塩魚の目的は、魚を味わうことではなく、塩を吸収することであったという。貴重な塩を身体に吸収する方法として、魚にたくさん塩を塗(まぶ)したのですね。いやぁ〜面白い。紐解くことをお勧めします。ちなみに、塩の道 (しおのみち)は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道 。内陸からは、山の幸(食料に加えて木材や鉱物を含む)が運ばれた道でもあります。
閑話休題(それはさておき)
時が来たから、人は生まれ、この世を去る。
急ぐ、急がないに、一切関係なし。
だから、生きている今を、急ぐことなかれ。
今日この一日を大切に、淡々と生きよう。
急ぎたくなったら、考えてみる。
どうして、自分は急いでいるのか。
人を急がせたくなったら、考える。
自分に恐れはないのか、不安はないのか、と。
ゆったり、のんびり、ほがらかなら、
人は急がず、人を急がせない。
一歩、一歩、丁寧に生きる。
ゆったり、のんびり、ほがらかに。
笑顔の良き2月22日を

文字に縁のうすい人たちは、自分をまもり、自分のしなければならない事は誠実にはたし、また隣人を愛し、どこかに底ぬけの明るいところを持っており、また共通して時間の観念に乏しかった。とにかく話をしても、一緒に何かをしていても区切のつくという事がすくなかった。「今何時だ」などと聞く事は絶対になかった。女の方から「飯だ」といえば「そうか」と言って食い、日が暮れれば「暗うなった」という程度である。ただ朝だけは滅法に早い。ところが文字を知っている者はよく時計を見る。「今何時か」ときく。昼になれば台所へも声をかけて見る。すでに二十四時間を意識し、それにのって生活をし、どこかに時間にしばられた生活がはじまっている。(「文字をもつ伝承者(1)」より)
(前略)私がまだ五、六歳ごろのことであったと思う。山奥の田のほとりの小さい井戸に亀の子が一ぴきいた。私は山へいく度にのぞきこんでこの亀を見るのがたのしみだった。ところが、こんなにせまいところにいつまでも閉じこめられているのは可哀相だと思って祖父にいって井戸からあげてもらい、縄にくくって家へもってかえる事にした。家で飼うつもりであった。喜びいさんで一人でかえりかけたが、あるいているうちにだんだん亀が気の毒になった。見しらぬところへつれていったらどんなにさびしいだろうと思ったのである。そして亀をさげたまま大声でなき出した。通りあわせた女にきかれても、「亀がかわいそうだ」とだけしかいえなかった。そして、また山の田の方へないて歩いていった。女の人がついて来てくれた。田のほとりまで来ると祖父は私をいたわって亀をまたもとの井戸にかえしてくれた。「亀には亀の世間があるのだから、やっぱりここにおくのがよかろう」といったのをいまでもおぼえている。この亀は私が小学校を出るころまで井戸の中にいた。そしてかなりの大きさになった。ある日となりの田の年寄りが、「亀も大分大きくなったで、この中では世間がせまかろう」といって井戸から出してすぐそばの谷川へいれた。それからのち私が三十をすぎるころまで、夕方山道をもどって来るとこの亀が道をのそのそとあるいているのを見かけることがあったが、祖父はまた山道でこの亀を見かけると、その事を必ずはなしてくれたものである。こういう人たちは一般の動物にも人間とおなじような気持でむかいあっており、その気持がまたわれわれにも伝えられて来たのである。(「私の祖父」より)

閑話休題(それはさておき)

急ぐ、急がないに、一切関係なし。
だから、生きている今を、急ぐことなかれ。
今日この一日を大切に、淡々と生きよう。
急ぎたくなったら、考えてみる。
どうして、自分は急いでいるのか。
人を急がせたくなったら、考える。
自分に恐れはないのか、不安はないのか、と。
ゆったり、のんびり、ほがらかなら、
人は急がず、人を急がせない。
一歩、一歩、丁寧に生きる。
ゆったり、のんびり、ほがらかに。
笑顔の良き2月22日を

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