七面鳥

日曜日には野暮用旁々(かたがた)、紀尾井町から羽田までタクシーで行くことになりました。40分ほど車を走らせ、17時03分到着(料金はETC含めて9830円)。用を済ませて、待ってもらっていた同じタクシーで、約束を果たすべく杉並区高円寺へ。

夕日がとてもきれいでした。「朝陽に手を合わすように、夕陽を見たら手を合わせましょう」と諭してくれた多田先生のことを想い出しながら、窓越しに夕陽に手を合わせます。車は首都湾岸線と首都中央環状線を走り続けること約30分で幡ヶ谷に。途中、タルコフスキー(Andrei Arsenyevich Tarkovsky:1932年4月〜1986年12月)の「惑星ソラリス」(1972年;日本公開は77年)で未来都市の風景として使われた赤坂見附界隈の首都高を思い浮かべ、そう言えば昔同じコースを走ったことがあったなぁ〜などと、わが若かりし頃を懐かしむ。17時54分、高円寺の『七面鳥』前に到着(料金はETC含めて10750円)。5時30分開店の当店にはすでに順番待ちの列が。6組目として待つこと22分、4人用テーブルに私たち3人は案内されました。

大きなコの字型のカウンター席1つ(16名)とテーブル席3つ(12名)のお客さんは、穏やかに静かで落ち着いた雰囲気を創り出しています。他のお客さんと店員さんとに敬意を払いながらも柔らかい空氣を保っているのが心地よい。中華料理本来のマナーである「和気あいあい」を地で行く姿に感動。お客さんから、いかに『七面鳥』が愛されているのかが分かります。オムライス、きくらげ卵炒め、チャーハン、餃子、レバニラ炒め、そして瓶ビールを注文しました。ビールは自分で冷凍ショーケースから出して飲むスタイル。この日のお通し(サービス)は、オクラのしらす和えとイカ大根の煮物の2品。旨い。

ケースから客が酒を出して飲む姿に、ワイフと私の行きつけのそば店の光景が過(よぎ)ります。そこの常連に白頭の紳士がひとり。彼はケースから優しく瓶ビールを取り出しテーブルに運び、静かに栓を抜き、ゆっくりとコップに注ぎ、やわらくそれを飲む。そしてタイミングよく彼のテーブルに運ばれた揚げたての海老天をバランスよく口元に運ぶ。そのひとり姿が均衡と調和を伝播せしめ、私は好きなのです。それから、その紳士はざるそばを注文し、香を楽しむべくそばを啜(すす)り、小気味よく食べつくし、代金を払い、何も言わずに会釈のみで店を後にする。そのような人物を思いながら、「 虚憍(きょきょう)ならず、嚮景(きょうけい)に応ぜず、疾視(しっし)せず。盛気せず。実に所謂(いわゆる)木鶏(もっけい)の如(ごと)く其(そ)れ然(しか)りき」と諳(そら)んじ、料理を待っていました。

すると、お店のお兄さん(店員)から「ご飯がなくなりましたので、ご飯もののメニューは品切れとなりました」とアナウンスが。6時30分頃のことです。間もなく、私たちのテーブルに料理が運ばれ、至福のひと時を味わうことになりました。ありがとうございます。6時50分には店の暖簾が仕舞われるのですが、店内を覘く客がいると、お兄さんは寄り添い「何名ですか」と確認し、空いている席に案内する。このような心配りは実に有難い。ご馳走様です。

ここ『七面鳥』でにいっしょに「きくらげ卵炒め」を食すというワイフとの約束を果たすことが出来ました。また、一方ならぬお世話になっているIT氏にも喜んでいただけたようです。「今度は麺類を食べに来ようかな」とのことでした。めでたし、めでたし。

最後に。私はここ『七面鳥』に文明を感じました。文明の本質は大らかさにあり、生命は大らかさを必要としています。過ちを冒すのは、大らかさに欠けたときのような気がしてなりません。是非、お運びください。おススメします。
七面鳥2

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