G7広島サミット招待国の首脳らによる「平和公園訪問・原爆資料館視察・慰霊碑への献花」は、
ヒト・モノ・コトの共時性を分ち合い生活している世界の民衆の共時性を司る統一場のエネルギーとしての透明度が高い情報であり、平和国家日本による型示し(型出し)となったに違いありません。それは教育の淵源たる養い・教え・禁じる真事の型示しであり、今日までの人類のツミやケガレを除去して心身を清める禊祓(みそぎはらえ)でもあります。それにしても、岸田首相が記者からの質問をあらかじめ手にした上で回答原稿を読んでいるように見える会見スタイルからは誠実さが伝わってきません。彼に十二分に時間をかけて人数制限を設けずに記者会見するスキルが備わったなら、さらに素的な広島G7サミットになっただろうと思います。
原爆慰霊碑に献花し祈りをささげた後のG7首脳(19日、広島・平和記念公園)合衆国のバイデン大統領(1942年11月生)、英国のスナク首相(1980年5月生)、フランスのマクロン大統領(1977年12月生)、イタリアのメローニ首相(1977年1月生)、カナダのトルドー首相(1971年12月生)、ドイツのショルツ首相(1958年6月生)と、EUのミシェル大統領(1975年12月生)、フォンデアライエン欧州委員長(1958年10月生)。岸田首相(1957年7月生)を含め、9人がそろって献花
5月21日、G7広島サミットへの招待を受け、広島市を訪問中のジョコ・インドネシア大統領(1961年6月生)、アザリ・コモロ大統領(1959年1月生)、尹サウス・コリア大統領(1960年12月生)、ルーラ・ブラジル大統領(1945年10月生)、モディ・インド首相(1950年9月生)、ブラウン・クック諸島首相(1963年2月生)、チン・ベトナム首相(1958年12月生)、アルバニージー豪首相(1963年3月生)、グテーレス国連事務総長(1949年4月生)、ゲオルギエヴァIMF専務理事(1953年8月生)、マルパス世界銀行総裁(1956年3月生)、オコンジョ・イウェアラWTO事務局長(1954年6月生)、コーマンOECD事務総長(1970年9月生)及びビロルIEA事務局長(1958年生)は、広島県広島市広島平和記念公園内に所在する平和記念資料館を訪問しました。
ゼレンスキー大統領(1978年1月生)は岸田首相とともに、原爆死没者慰霊碑に献花した(21日、広島)
本来ならばロシア大統領とチャイナ国家主席も招待すべきなのですが、金策の為に世界を回遊するゼレンスキー大統領の雇い主と思しきバイデン合衆国大統領から密使の大役を任されたように映る岸田首相には、ロシアとチャイナとの長年の協力関係を破壊するかもしれない危険を冒してでも対露断交を宣言する他なかったのでしょう。
ゼレンスキー氏が滞日中の5月21日、ロシア国防省はウクライナ東部の激戦地バフムトについて、「ロシア軍の支援を受けたワグネルの攻撃で、解放が完了した」と発表。日本は、ウクライナへの援助を継続しないという選択肢も視野に入ってきたのではないでしょうか。21日夜、広島空港から帰国の途についたゼレンスキー氏は往路と同様にフランス航空宇宙軍(旧空軍)のエアバスA330-200型機(登録記号F-UJCT)に搭乗し、ウクライナの隣国ポーランドへ向かいました。
合衆国の「alliance to end strong(強固な同盟国)」だったはずのサウジアラビアは合衆国から離れてロシアやイランに接近しています。わが日本が合衆国中心のシステムから抜けるのも時間の問題でしょう。さもなければ、日本は実体のない過去の幻影に救いを求めることになりかねません。
(追記)「田中宇の国際ニュース解説〜世界はどう動いているか」2023年5月26日号で、田中氏は「決着ついたが終わらないウクライナ戦争」と題して、 合衆国からのウクライナへの武器供与が兵器在庫を減らし、しいては合衆国を非武装化するとの見立てを開陳しています。
ヒト・モノ・コトの共時性を分ち合い生活している世界の民衆の共時性を司る統一場のエネルギーとしての透明度が高い情報であり、平和国家日本による型示し(型出し)となったに違いありません。それは教育の淵源たる養い・教え・禁じる真事の型示しであり、今日までの人類のツミやケガレを除去して心身を清める禊祓(みそぎはらえ)でもあります。それにしても、岸田首相が記者からの質問をあらかじめ手にした上で回答原稿を読んでいるように見える会見スタイルからは誠実さが伝わってきません。彼に十二分に時間をかけて人数制限を設けずに記者会見するスキルが備わったなら、さらに素的な広島G7サミットになっただろうと思います。
原爆慰霊碑に献花し祈りをささげた後のG7首脳(19日、広島・平和記念公園)合衆国のバイデン大統領(1942年11月生)、英国のスナク首相(1980年5月生)、フランスのマクロン大統領(1977年12月生)、イタリアのメローニ首相(1977年1月生)、カナダのトルドー首相(1971年12月生)、ドイツのショルツ首相(1958年6月生)と、EUのミシェル大統領(1975年12月生)、フォンデアライエン欧州委員長(1958年10月生)。岸田首相(1957年7月生)を含め、9人がそろって献花
5月21日、G7広島サミットへの招待を受け、広島市を訪問中のジョコ・インドネシア大統領(1961年6月生)、アザリ・コモロ大統領(1959年1月生)、尹サウス・コリア大統領(1960年12月生)、ルーラ・ブラジル大統領(1945年10月生)、モディ・インド首相(1950年9月生)、ブラウン・クック諸島首相(1963年2月生)、チン・ベトナム首相(1958年12月生)、アルバニージー豪首相(1963年3月生)、グテーレス国連事務総長(1949年4月生)、ゲオルギエヴァIMF専務理事(1953年8月生)、マルパス世界銀行総裁(1956年3月生)、オコンジョ・イウェアラWTO事務局長(1954年6月生)、コーマンOECD事務総長(1970年9月生)及びビロルIEA事務局長(1958年生)は、広島県広島市広島平和記念公園内に所在する平和記念資料館を訪問しました。
ゼレンスキー大統領(1978年1月生)は岸田首相とともに、原爆死没者慰霊碑に献花した(21日、広島)
本来ならばロシア大統領とチャイナ国家主席も招待すべきなのですが、金策の為に世界を回遊するゼレンスキー大統領の雇い主と思しきバイデン合衆国大統領から密使の大役を任されたように映る岸田首相には、ロシアとチャイナとの長年の協力関係を破壊するかもしれない危険を冒してでも対露断交を宣言する他なかったのでしょう。
ゼレンスキー氏が滞日中の5月21日、ロシア国防省はウクライナ東部の激戦地バフムトについて、「ロシア軍の支援を受けたワグネルの攻撃で、解放が完了した」と発表。日本は、ウクライナへの援助を継続しないという選択肢も視野に入ってきたのではないでしょうか。21日夜、広島空港から帰国の途についたゼレンスキー氏は往路と同様にフランス航空宇宙軍(旧空軍)のエアバスA330-200型機(登録記号F-UJCT)に搭乗し、ウクライナの隣国ポーランドへ向かいました。
合衆国の「alliance to end strong(強固な同盟国)」だったはずのサウジアラビアは合衆国から離れてロシアやイランに接近しています。わが日本が合衆国中心のシステムから抜けるのも時間の問題でしょう。さもなければ、日本は実体のない過去の幻影に救いを求めることになりかねません。
(追記)「田中宇の国際ニュース解説〜世界はどう動いているか」2023年5月26日号で、田中氏は「決着ついたが終わらないウクライナ戦争」と題して、 合衆国からのウクライナへの武器供与が兵器在庫を減らし、しいては合衆国を非武装化するとの見立てを開陳しています。
欧米はウクライナに大量の兵器を送り続け、露軍がそれを破壊し尽くすことで、この戦争はウクライナの背後にいる欧米を兵器不足と財政難に陥らせて「非武装化」している。 欧米の軍事産業は今後5年ぐらいフル稼働しないと開戦前の兵器在庫量に戻せない。これからドルが崩壊していくと、米欧は財政力が低下して軍事産業の長期のフル稼働ができなくなる。
米国側は、この戦争によって兵器の保有量が減って「非武装化」されていく。いずれ米国側は覇権低下でウクライナを支援できなくなり、ウクライナも非武装化される。この戦争は長期的に、ウクライナだけでなく米国側全体を非武装化する。
米国側では「ロシアは追い詰められたら核兵器を使うぞ」と言われている。だが戦争の長期化で実際に追い詰められていくのは米国側だ。ドル建て金融が崩壊し、資源類を握る中露非米側が世界経済の中心になる。 米国は、内戦や社会方向など大混乱になり、特に民主党側が核兵器を使いたがるようになる。トランプや孤立主義の方がましだ。https://tanakanews.com/230526ukrain.htm

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