私が幼い頃、名付け親が「本当に運の強い人は、運勢の良し悪しに関らず勝運に恵まれているものです」と言っていたことを昨日のことのように覚えています。後年、これは物事を迷い信じるようなことがないようにと導いてくれていたのだと知りました。昨日、『玉鏡』の一節に同様の記述を見つけ、頷くことしきりです。
干支、九星、家相、人相、手相、骨相等決して当になるものではない。こんなに色々の種類があつて一致せない事を見ただけでも、すでに確実性がない證拠である。よく艮に便所を設けてはいかぬと云ふが、艮は太陽の上るところであるから、きれいにして置いた方がよいと云ふだけで便所等は成るべく目にたたぬ所に設ける方がよろしい。然し造作の都合でかかる迷信に囚はれてはいけない。年廻りや月日が悪い等と気にするやうでは、すでに其の迷信に征服せられてゐるのであるから、悪く現れて来る様になる。この広い天地に生を享けて、自分から日の吉凶を気にして、自らを束縛して窮屈に渡世する程馬鹿らしいことはない。王仁は今日迄いつも世間で年廻りが悪いと云ふ年程結構な仕事が出来てゐる。月も日もその通りである。
(出口王仁三郎(1871年8月〜1948年1月)著『玉鏡』から引用
https://onidb.info/bview.php?obc=kg514&T1=%E8%BF%B7%E4%BF%A1)
閑話休題(それはさておき)
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