
「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。 山根治ブログ2023年7月21日号(http://yamaneosamu.blog.jp/archives/20834488.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(74)です。
山根治さま
ジャーナリストとして私の絶頂期は、1970年代前半から1990年頃までで、私は三十代半ばから五十歳になって、取材力や分析力も優れていたし、雑誌記事や著書の出版も多かった。1970年に書いた記事が『文芸春秋』の71年六月号に出て、それがメディアへの初登場になったが、二年後にそれが単行本になり、1973年秋の石油ショックの時に、ベストセラーで十万部近く売れた。
当時は国際石油政治を論じて、まともな議論をする日本人は私しかいなかったので、新聞や経済誌などに頼まれ、私はコメントを提供したが、初期の頃は時事通信が熱心に接触した。『世界週報』の佐藤紀久夫編集長は優れた国際感覚の持ち主で、元ワシントン支局長のリベラリストだったし、日経の初代ワシントン支局長を務めた大原進『英文日経』編集長も、優れた記者を紹介してくれ、知り合った外国特派員は抜群だ。
特に佐藤編集長のお陰で時事の資料室の利用を許され、情報ファイルの閲覧が出来たから、通信社が持つ貴重な情報を使い、一線の記者同様に厳選情報に接する幸運に恵まれた。それに加えて特派員協会の図書室を利用できたし、特派員にインタビューする時に知恵をつけ、それを取材に活用できたから、あの頃の東京での滞在は実に刺激に満ち楽しかった。
しかも、時事の出版局は親切で、『日本丸は沈没する』や『日本不沈の条件』など、『エコノミスト』や『世界週報』に書いた記事を纏め、二冊も本を出版してくれ非常に協力的だった。だが、1980年代に入ると右傾化し、佐藤編集長が定年で辞めると、リベラルな『世界週報』は廃刊になり、親政府的な『週刊時事』が残って、扱いも冷淡だから関係は次第に疎遠になった。
理由は時事通信の歴史にあり、戦前の同盟通信社は戦後GHQにより解体され、一般報道部門は共同通信社に、經濟報道は時事通信社だし、広告部門は電通として独立した。その辺の事情に関しては、『朝日と読売の火ダルマ時代』に事情通との対談があって、電通問題が中心テーマだが、それを引用すれば次の要約になる。
「F : 電通がそんなに圧倒的な力を持つ理由に、歴史的な背景があると思うのですが、それはどんなことだったのでしょうか?
R : 戦前は電通と連合の二つの通信社があって、両方が海外情報を取り扱っていたが、大陸に侵略の舞台が広がったこともあり、政府は言うことを聞く通信社が欲しくなった。特に満洲国が国営の満洲通信を作ったし、関東軍の報道統制に協力したのを見て、日本政府も国策の遂行に情報操作の必要性を感じ、斎藤実内閣は通信統制に乗り出したのです。そして、軍部が独裁化してファシズム体制が固り、日独防共協定が締結されたりしたので、二・二六事件が起きた1936(昭11)年に、広田内閣が同盟通信を強引に発足させました。その時に電通のニュース関係を扱う部門と連合通信を一緒にして、同盟通信を作ると共に広告部門を担当していたセクションを切離し、広告会社としての電通にしたのです。しかも、電通は軍部の情報機関と提携して、上海を足場に中国市場に進出したのだが、特務機関の隠れ蓑として動いたわけです。
F : それで戦後になって政府の広報機関として動き、自民党の広報を担当した第9連絡局が、総理府の宣伝予算を独占したのだし、GHQとの関係でCIAの東京支局として、いろんな工作に関係したと言われるのですね。
R : 満洲や上海から引き揚げてきた者を引き受け、旧軍人や満鉄関係者を大量に採用して、戦後における一種の情報機関化したわけです。この段階の広告代理店はヤクザの親戚であり、飲ませたり抱かせたりで商売をやったし、強請やタカリとハッタリを武器にして、いかがわしいことをやりまくっていましたな。そんな営業路線にアメリカの広告術を取り入れ、近代化を試みたのが社長の吉田秀雄であり、有名な「鬼 十 則」というスローガンの下に、日本の広告市場の制覇を試みました。同時にGHQや日本政府にも食いこみ、影の情報局とか築地CIAと呼ばれて、その威力を天下に知られるほどの実績を築いて、メディアの世界を完全に掌握したわけです。
F : 吉田家に書生として住みこんだ人の話では、社長は非常に厳しい親分肌の人物で、実力者の子供を優先的に入社させたり、社員を代議士の秘書に送り込んだそうです。その人は吉田社長の支援でアメリカの大学を卒業し、一種の国際フィクサーとして生きていたが、彼が電通はフィクサー集団の巣だと言ってました。
R : 日本では読売の正力松太郎を怪人扱いするが、実力の点では新聞社より通信社に大人物がいて、権力を外から動かす手腕を持っており、電通の吉田秀雄や時事の長谷川才次の前では、正力も小怪人に見えるほどでしたな。だから、日本の新聞が電通に手なづけられてしまい、テレビや雑誌のメディアも支配されたのは、説明抜きで当然と言うだけです。」
これは電通についてだが、日本広告から電報通信社を経て、国通(満州国通信社)になった電通は、アヘンで有名な里見甫の下で、情報収集や特務工作に従事し、戦後は満州から引き揚げてきた元工作員を大量に受け入れた。また、福田内閣の時に右傾化が進み、時事通信も電通に見習って戦前回帰し、政府のご用機関化を強め私を敬遠して、社内への立ち入りを制限し始めたから、ファシズムが近づいたと感じた。
だから、福田内閣が出現したことに、私は強い危機感を抱いて、それが極右の中曽根に繋がることでファシスト革命にならないように、日本の運命を懸命に考えていた。幸運にも福田内閣は短命で終わり、大平内閣が登場したから宏池会の路線を支持する形で、テレビで喋り雑誌記事も書き、中曽根の登場を防ぐために出来るだけの工作を進めた。
その頃のことに関しては『アスペの三奇人交遊録』に、「北方領土を取り戻す法」として大平関連の話の一部を紹介し、それが徳田虎雄の関心を引き、縁結び役をしたことを書いた。あの記事が出たのは三月号だが、正月に訪日した時にテレビに出て、喋ったことが週刊誌で活字になり、発想の意外さが注目され、日本人の関心を集めたらしい。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/takemura01.htm
当時の日本は外圧を受けて、世界への関心は高かったが、「井の中の蛙」のために発想力が貧弱であり、世界に通用する私の発言は異端扱いで、一部のメディアだけだが私を利用した。ロッキード事件のせいで、日本の政治は混迷に陥り、日米貿易戦争も加わって、日米関係が緊張度を増し、大平内閣の舵取りが危うく、いつ潰れるか分からなかったからだ。
これまで沈黙してきた話があり、記事が『週刊サンケイ』に出た影響か、四月に墓参で訪日した時に人を介し伊藤昌哉から連絡があり、赤坂の清水屋という料亭に招かれ、大平首相の資源外交に協力が欲しく、参与はどうかと仄めかされた。だが、江戸っ子の私は役人が嫌いで宮仕えなどしたくなかったし、新事業の方が面白かったから、外からの声援はすると辞退したが、気になることがあったのだ。
大蔵官僚として興亜院に出向した大平は、張家口で阿片取引に関与し、満蒙人脈に連なる過去があって、宏済善堂の里見甫に接触し、麻薬を扱っていたので私は必要以上に警戒した。興亜院の現地課長だった大平は、満州で阿片を取り仕切っていた、総務庁次長の岸信介や関東軍参謀長の東条英機の支配下で、仕事をした人物だったし、戦後は同じ自民党幹部として政治を動かす存在だった。
だから、満州での犯罪に嫌悪感を抱き疑心暗鬼の私としては、同じ大蔵官僚出身でも大平は池田派の議員であり、国家主義の福田派ではないが、気を許すわけにいかなかった。何しろ、当時は岸信介や笹川良一が健在で、児玉誉士夫や渡辺恒雄が政財界で暗躍していたし、中曽根が権力を虎視眈々と狙い、電通が躍進を続けて満州人脈の影が蠢いていた。
この1980年の春の訪日の時に、竹村健一と夕食を共にして、日本の将来について論じ、サウジと日本が連邦を作り国難を回避する話の中で、大平首相が連休を使い訪米する予定だと竹村が喋った。それは帰米直前の4月20日頃で、恒例のワシントン訪米では不利な約束をさせられるから、訪米を中止すべきだと私が主張し、ここで話が急転直下に決定した。
竹村がテレビ会社に電話し連休前に放映の手配を行い、翌日の夜に緊急にビデオ撮影をして、私は番組の冒頭の部分で米国に行くなと呼びかけ、それで大平の訪米中止を実現させるようにした。そこで急いでシナリオを作り、大平首相は訪米中止のために、一升でも二升でも醤油を飲み病気になる秘策を喋って、雰囲気を盛り上げた上で石油危機の回避策に話を繋いだ。
これは徴兵検査の時に使う病気を装う秘策であり、次に番組の内容を粉飾するために、私は国際石油政治に話題を移し、日本とサウジアラビアが合邦化して、君主制連邦を作れと話題を拡大した。私はサウジで仕事をし現地の事情にも詳しいから、番組として充実したし説得力もあり、訪米直前の大平首相が番組を見て、急病で訪米を中止にすれば、こんな大成果はないと思い、私は一世一代の大芝居に期待した。
ビデオ撮影の数日後に私は帰米したが、離日の日の昼食を銀座で取り、東京銀行の吾妻参事役がその席に、経団連の土光さんの秘書を連れてきて、成田空港まで車で送る手配までした。だから、江戸前すしを食べながら番組の話をしたら、土光会長にも番組を見てもらうことに決まり、私はこの仕掛けに満足し、NHK勤務の友人に連絡して、番組を録画するように頼み帰米した。
放映予定の日の翌日に、NHKの友人から電話がかかり、録画の用意をして待ったが、番組には私は登場しなかったし、別の人の話だったと教えられ、私の作戦は役にたたなくなり、大平首相は訪米していた。大平の帰国後に不信任案が通り、疲労困憊の中で彼は衆議院を解散して、衆参両院の同時選挙戦に臨み、選挙の応援演説の最中に急死し、自民党は圧勝したが大平内閣は消え、政治は混迷に陥ってしまった。
突然の放映中止について、竹村に詰問したが口を濁し、その後「日テレ」のディレクターに文句を言ったら、「発言の中に『どうせ潰れる国同士だから・・・』を始め、差し障りのある発言が余りに多く、それらを削る努力をしたが、削り切れなかった」と弁解した。この不愉快な体験に懲りた私は、この時から日本のテレビ番組には一切出ず、それから五十年が過ぎたが、メディアは信用できないし油断すれば利用されるので、裏切られる存在だと覚ったのである。
『週刊 サンケイ』 1980年3月13日号
●特別対談● 竹村健一 vs.藤原肇
大平首相にすすめたい 対ソ、中東悪魔の外交
かつて日本の石油危機とパーレビ体制下のイランの崩壊を予言したアメリカ在住の地質学者、藤原肇博士が帰国した。ソ連のアフガニスタン進攻後の世界の緊張は、日本を巻き込まずにおかないという。対ソ、対アラブ外交はどうあるべきか? 評論家の竹村健一氏が、外から見た日本の針路を解明するために鋭く迫った──。
カギ付き監獄のゴキブリ!?
竹村:あなたのような人の意見を、ぜひ日本人に聞いてもらいたいと思ってね。
藤原:あなたはテレビで僕のことをどこかの国のスパイだってしゃべったって‥‥(笑い)。
竹村:よくいえばユニーク、悪くいえばちょっとホラ吹き、あるいは──、
藤原:ペテン師(笑い)。
竹村:事大主義であるというふうにとられるところがある。 そこで僕は、あなたのいうほど情勢が緊迫しているとまでは思わんけれども、あなたのような意見をもっと聞くことが大切だと思っています。そこで、まず緊迫していると思うかどうかというところからいきますが、たとえば、今度新しく防衛庁長官になった細田さんが、就任早々、「私はソ連は重大脅威だと考えている」というた。とたんに翌日、国会の社会党の質問で、一夜にして撤回せんといけなくなった。そうすると、社会党は建前もあるだろうけど、ソ連の脅威を感じていないのか‥‥。
藤原:日本の外側から見ると、外も内もすごく緊迫していると僕は感じました。たとえば、日本の情勢は、ぜんぜん外国に伝わっていない。僕が日本に帰ってくると、「藤原さん、アメリカは日本をどう思ってますか」と聞くから、「どうもいってないですよ。ぜんぜん興味ないですよ」というと「いや、そんなわけはない」というんですがネ。
竹村:それは、イギリス人もいっていたね。日本に来ると、「日本をどう思いますか」とか「どういうてますか」と必ず聞かれるので当惑すると。なぜなら、イギリスにいるときは、日本のことなんか考えたことがない‥‥。
藤原:そうそう。日本人だけが世界第3位の経済大国なんて胸を張っているけれども、日本へ帰ったらゴキブリの仲間に入ったような感じがする。
竹村:僕はそう思わんな。
藤原:それぐらい貧しい国です。
竹村:ゴキブリとはひどい。 ウサギ小屋ならわかるけれども‥‥。どういう意味ですか?
藤原:僕は、朝九時に電車に乗ったわけです。そしたらスシ詰め。人間を乗せる乗り物じゃない。
竹村:なるほど‥‥。
藤原:日本人は慣れているから感じないだろうけど、僕は自分の意思で自由に動けない。まるで川の中を流されている砂みたいな感じですね。コキブリだって自分の意思で動きますよ。
竹村:するとゴキブリ以下か‥‥。
藤原:平均するとゴキブリ。住まいも狭いし‥‥。
竹村:ゴキブリ論はともかく、日本が緊迫しているという間題は‥‥?
藤原:アフガニスタンの緊張は、世界で一番弱い部分がポキリと折れたわけですよ。折れるのは、日本やイタリア、トルコなど問題の多い国なんです。
竹村:イタリアは、イタリア病にかかっている。トルコは、失業率は約2割でインフレで問題がある国だというのはわかる。 しかし、日本がそんなに弱いようには見えんがね。
藤原:見えないでしょう。だけど、僕には見えちゃう。
竹村:その理由をいうてもらいたい。
藤原:僕の友人にトルコ人がいる。彼はいつもベンツに乗っているけれども、8台の自動車を持っているんですよ。ほかの7台は、ガソリン買うために走り回っている。
竹村:ホウ‥‥。
藤原:彼はトルコの重要人物です。広い庭に車がズラリ並んでいるわけですが、彼の使用人は、買い集めた7台の車のタンクからガソリンを抜いて、ベンツに詰め替えてるわけ。石油事情が悪いからです。それだけトルコは貧乏している。
竹村:それじゃ、日本は貧乏してないじゃないか。
藤原:と、あなたは思っているだけ。説明しましょう。たとえばイタリア。若手の失業者が非常に多い。皆、食えないから『赤い旅団』とか何とかいうテロが発生する。デモもある。
竹村:それに比べたら日本は平和で豊かですよ。 .
藤原:一見豊かに見えるが、個人の段階でみると借金してマンション買って、テレビを置き、ルームクーラーをつけ、電話をひいている。自分では資産を持っていると思っているけど、不景気になって失業して、田舎へ引っ越そうと思っても借金してるからできないでしょう。
竹村:毎月返済するローンがあるしな。
藤原:そう。だから僕は、日本は"カギ付きの監獄"だというんです。
自転車操業でもっている日本
藤原:地方自治体でいえば、東京都なんか破産状態だ。大阪もそう。企業でも借金して設備投資している。これからは、退職金を払うのも企業は借金しなきゃならない。それは、儲かるビジネスをぜんぜんやってないから赤字になるんです。
竹村:儲かるビジネスをやってないというのは引っかかるね。
藤原:僕の関係している石油ビジネスは、100%か200%儲かる。日本の商社は、7%とか2%という口銭でビジネスをしている。
竹村:だから儲からないというわけですか?
藤原:そう。同じ1億円を儲けるのに、僕は1億円投資して、1年問で1億円の利益をあげるとするでしょう。でも商社は、1億円の利益をあげるために50億円か100億円のカネを動かさなきゃならない。これは、儲けの比率からいったら非常に悪い。
竹村:それで働きバチのように普通の人以上に働いて補うわけか。
藤原:それと赤字国債。福田内閣以来、今、4割でしょう。 要するに借金です。どう返すかという目当てもなくやっている。個人の次元、企業の次元、自治体の次元、国の次元でも赤字。別の言葉でいうと、インデビジュアル、コミュニティー、オーガナイゼーション、ソサエティーとそれぞれ大きくなっていく次元で全部赤字。どこかが狂ったら、日本はバタバタと倒れてしまう恐れがある。
竹村:うーん、赤字でも自転車操業いうて、走っているうちは何とかいく‥‥。
藤原:ところが、走れなくなる状況が日本の外側にある。
竹村:具体的にいってもらいたい。
藤原:今、日本は210億1,400万ドルの外貨準備があるといってるけど、あれはアメリカがつくった緑色のニセ札です。裏付けになる金がぜんぜんない。金に換算すると日本はイタリア以下。さっき、イタリアはイタリア病だといったけど、日本は手持ち外貨は赤字ですよ。しかも、クウェートやサウジアラビアなどは、日本に投資して、国債を買ったり松下電器の株を買ったりしている。それを一度に引き出されたら、日本はパンクしますよ。
竹村:日本は非常に不安定な状況にあるわけですな。
藤原:今度、園田直さんが中東へ特使として行ったでしょう。僕のところへは、彼が行ったら日本は石油が買えなくなるという情報が入っていますよ。
竹村:僕はそんなふうには思えない。どうして園田さんが行ったらアラブから石油が買えなくなるのか、国民が聞いて納得するように教えてもらいたい。
藤原:それは、教えることじゃなくて、事実を並べればいいわけです。
竹村:ハイハイ‥‥。
藤原:アラブ人というのは、非常に誇りの高い連中で、園田さんに関しては、ツムジを曲げている。かつて園田さんはオフレコで暴言を吐いたことがある。あなたは、よく知ってるんじゃないですか?
竹村:どんな発言やったかなあ‥‥!?
藤原:昨年の東京サミットの前に、園田さんはオフレコで、「アラブから油をとったら砂漠とラクダしかないじゃないか」といったことがある。アラブ人は、ちゃーんと知ってるわけです。日本人は人がいいから、味方の中に敵があり、敵の中に味方ありということがわかっていない。アラブ人の間では、こういう話はツーツーですよ。
竹村:なるほど‥‥。
藤原:何年か前に石原慎太郎さんが、鹿児島あたりで「日本は国産ロケットに核をくっつければ、ニューヨークにだってぶち込める」とオフレコでいったことがある。こういう情報は、回り回ってアメリカに住んでいる僕の耳にも入った。で、どういうことが起きたかというと、アメリカは、日本にプルトニウムの精製工場はつくらせない。アラスカの余った石油も売らないという反応をした。日本じゃオフレコというと外に出ないと思っているけど、とんでもない。
竹村:なるほど‥‥。日本の情報は、すぐ外国には漏れとるわけや。自衛隊のスパイ事件のようにナ。あれ、あなたどう思います。
藤原:あんなのありきたりで、取り上げるほどの間題じゃない。しかし情報をとるためには、情報をやることもある。僕なんか、コンサルタントのビジネスをして、いろんな人と情報を与えたりもらったりしてるけど、相手から情報をとるためには、相手以上に知っていなきゃならない。僕は、自分を守るために情報を出すことはあるけれども、切り込んでこなかったら自分からペラペラしゃべらない。経済物の小説家や外交評論家でペラペラしゃべる連中がいるけれども、中身がないから自分を大きく見せるためにしゃべる‥‥。
竹村:僕もその中に入るな(笑い)。‥‥で、あなたとしては、自衛隊スパイ事件は、大騒ぎするほどのことはない、というわけ?
藤原:そうそう。友人のジャーナリストに聞いてみたら、要するに六月の参議院選挙のために共産党を叩くんだと。一月に宮本(顕治)委員長がソ連へ行き友好とか何とかいった。アフガニスタン問題もある。ここで叩いて反ソ感情を盛り上げちゃえということだというんだけど、僕は、この意見に反対です。
自衛隊は"公安部予備隊"
藤原:僕は、ここへ来る前にタクシーで九段(東京)を通ったら、戒厳令本部にしたらいいような建物があった。僕は、あ、これは、戒厳令本部にするんじゃないかなと思ったんだけど、これは、内乱が始まる前のベイルートとか、パリ事件の直前のフランスとか、動乱の始まる前の国となんとなく似ている。
竹村:つまりあなたは、今の日本を外国から見た目で見ると、内乱が始まる直前のような予感がするということだね。
藤原:いや、内乱が始まるかどうかはわからないけど、日本は自転車操業をやっていて、自転車が倒れたときの歯止めの準備を着々と進めているヤツがいるんじゃないか‥‥。
竹村:歯止め‥‥?
藤原:そいつは内乱をくいとめるために、クーデターを起こすかもしれない。そう見てくると、たとえば、自衛隊はスパイ事件の責任をとらせるといって、どんどんクビをすげ替えているでしょう。あれは、都合の悪い人を追い出して、都合のいい人を新しく入れたり、三段跳びか四段跳びさせて人事を刷新してるんじゃないか。一番の責任者は、たいした人でなくてもいいから、三番手ぐらいに実力者を置いてみようとか‥‥。
竹村:小説家の想像力のような気がするけれども‥‥。
藤原:世界の政治というのは、こういう次元で行われるわけですよ。
竹村:あなたは、正月に僕のとこへ「1月に日本に戦争が起きてなきゃ日本に行きます」という、われわれ日本人から見るとビックリするような手紙をよこした。そのぐらい外から見ると、日本は戦争に巻き込まれそうに見えますか?
藤原:僕は、戦争は起こってもらっちゃ困ると思うけどね。
竹村:日本人、一億人全部がそう思ってますよ。
藤原:だけど国民というのは、非常に善良な人たちですからね。戦争が起きた場合は、餓死するサイドに入る。
竹村:そうです。
藤原:ところが、そういう状況が起きたときに、全体をガシッと押えてしまったほうがいいと考えてる人たちがいるんじゃないか。そう思って眺めてみると、自衛隊スパイ事件なんかピッタリです。それに、鈴木東京都知事は、元の内務官僚でしょう。これ、警視庁を押えられる。それから、公安担当の国務大臣の後藤田さん‥‥。
竹村:元警察庁長官やね。
藤原:各県知事は元内務官僚出身者が多い。だから昔は警察予備隊で発足したけれども、実は自衛隊を警察の"公安部予備隊"に作り替えようとしてるんじゃないかと思うんです。別に昔の二・二六事件のように軍隊が決起して、小銃をかまえたり機関銃をすえたりしてクーデターをやる必要はない。
竹村:うーん‥‥。
藤原:その予行演習をやったのが、昨年の東京サミットでしょう。東京に取材に来た外国人ジャーナリストは、「これはひどい」といっていた。SAVAKという秘密警察で支配したパーレビ国王時代のイランより、もっとひどい警察体制だと‥‥。(竹村氏を指さして)あなたは、そう思わないですか。
竹村:僕は、想像力が貧困だから、そこまで思わないけどね。
藤原:僕は、自衛隊を公安警察の一部門にしてしまう工作が、案外進んでるんじゃないかという気がします。
竹村:それは、一般の日本人が聞いたら、フレデリック・フォーサイスの『悪魔の選択』という小説の世界だと思うだろう。
藤原:小説じゃないですよ。世界の歴史を見てごらんなさい。フランス革命時代のフーシェ(政治家)は何をやったか。
竹村:じゃあネ、日本のトップたちは、今、外の脅威を感じているから、そのときのために東京サミットで予行演習やったというんですか?
藤原:いや、内の脅威ですよ。日本に投資している外国が、カネを引き出したとする。それが今度は内乱に広がっていく。たとえば、九州のなんとか相互銀行でおカネが払えなくなって、支払い停止という事態になったら、日本中で皆、銀行から預金を引き出そうとするでしょう。そうなったら、モラトリアムやらなきゃならない。そんな状況が起きたら、日本じゃ、米騒動どころじゃない、すごい暴動が始まりますよ。というのは、上尾(埼玉県)で電車が来ないというだけで大騒ぎした国民です。
竹村:そうするとあなたは、日本の内部には、ちょっと火がつくとバーッと大火になる火種がいっぱいあるというわけか?
藤原:そうそう‥‥。
竹村:にもかかわらず、日本の新聞見ると、わりあい平和に見えるがね。
カムチャッカ半島も北方領土
竹村:今度は外の脅威について聞きたいですね。
藤原:「火に油を注ぐ」という言葉がありますね。今、日本は油が欲しい。アラブ諸国は即油です。園田さんが特使として中東へ出かけたけれども‥‥。
竹村:火がつく‥‥か。
藤原:園田さんは"火の玉男"でしょう。昔、日韓枢軸やってたときは、韓国へせっせと行って韓国の旗振ってたし、北京と交渉し始めたら北京の旗を振った。今度は、アラブヘ行って頭に白いターバン巻いて帰ってくるかもしれないけど、彼は、スタンドプレーをやる男として世界でも有名なんですよ。彼が「アラブでは顔がきく。向こうの外務大臣が自動車を運転して、助手席に乗って話をした」といったって、こんなことは当たり前です。外国じゃあ、元首だって自分で車を運転する。日本だけですよ、大臣が車の後ろでふんぞり返っているのは‥‥。
竹村:園田さんは、まだ行ってる最中や。結論を出すのは、早いんじゃないか。
藤原:外国の政治家と一回メシ食ったくらいで感動して、永遠の友人になったと思ったら大間違い。それで空約束なんかしたら、今度は信用してくれないですよ。
竹村:日本はよく空約束しましたか?
藤原:三木元首相が、エジプトに特使として行ったとき、ウソつき呼ばわりされたでしょう。中曽根康弘さんだって、パーレビ国王時代にイランに行ってペラペラやった。僕が知ってるアラブ人にいわせると、『論語』の言葉を引用して、英語で「巧言令色鮮なし仁」といった。中曽根さんも好感を持たれていない。
竹村:で、園田さんが特使でいったのはマズイわけ?
藤原:日本の派閥の次元で特使を出してはマズイわけですよ。アラブ人に好意を持たれ、期待されている人を特使で出すのは、外交のイロハじゃないですか。
竹村:その通りだよ。
藤原:僕は、フランスに長くいて、歴史が大好きだから、勉強しましたけどネ。タレーランという男がいる。彼はフランス革命のときは、革命派の大臣をやり、ナポレオンが出てくるとナポレオンの外務大臣をやり、しかも、ルイ18世なんかの王制派が出てくると、王制派の首相をやり外務大臣をやった。これを日本的なセンスでみると、あいつは二股膏薬で、とんでもないヤツだということになるけれども、タレーランは、ヨーロッパの平和を維持するために力による平和はいかんという政策で、一本筋を通した。だから、ロシアのツァー、ニコライにも信頼されて、秘密の手紙をもらえたし、イギリスに駐英大使で行ったときも、タレーランが大使ならフランスを信頼するといわれた。
竹村:タレーランのような政治家は、今の日本にはいないよ。
藤原:残念ながらね。
竹村:でも、ここで政治家をこきおろしてみても仕方がないような気がするけれども‥‥。
藤原:ここでいっておきたいことがもう一つある。
竹村:‥‥!?
藤原:僕は、『中国人、ロシア人、アメリカ人とつき合う法』という本を書いたけれど、この中に"北方領土を取り戻す法"という意見を書いた。もし、この本が、日本でベストセラーになって、日本の政治家がこの方法で着実に布石をしていたら、ソ連はアフガニスタンに攻め込んでいなかった。僕は自信を持っていえますね。
竹村:それはどういう方策ですか?
藤原:僕は、歯舞とか色丹というちっぽけな四つの島だけでギャーギャー吠えてはいかんと思う。北方領土というのは、千島列島、樺太、カムチャッカ半島、東シベリアを「北方領土」と呼ぶところから、まず始める。
竹村:フーム‥‥。
藤原:それから、ポーランドとかルーマニア、ハンガリーなど東欧諸国にアプローチしていく。経済協力とか文化交流でもいい。いろいろやっていこうじゃないかと‥‥。
竹村:それで‥‥?
藤原:たとえば、ポーランドヘ日産自動車の自動車工場をつくりましょうと‥‥。
竹村:現実には難しいよ。
藤原:だから、外交上、言葉の上でかまわないから、ポーランドヘ日本人を5百万人、1995年までの間に自動車工場とともに受け入れてもらうという条約をとりあえず結びましょうと。なぜかというと、ヒトラーは、独ソ不可侵条約をソ連と結んでいる。条約は、一年か二年役に立てばいいんです。要するに、今、我々は対ソ交渉をやっても手の内に切り札がなにもない。いくら「北方領土返せ」とか「漁師を拿捕するな」とか「漁師のかあちゃんは泣いている」とか叫んでも、これは歌謡曲の次元です。外交じゃない。外交というのは、男の世界ですよ。僕は昔、美濃部さんの都政を女みたいだといったことがあるけど、今の日本の政治は、女の腐った政治です。
竹村:うん‥‥。
藤原:男の世界というのは、頭を使い、腕力を使うこともある。外交は、腕力じゃなく、頭脳力で相手をどうかく乱し、しかもいかに利益を交換するかにある。
竹村:それと、ポーランドと千島列島と切り札は、どう結びつくんですか?
藤原:日本人が5百万人もポーランドに移民したら、ソ連はただ事でないと思うでしょう。 やめてくれないかといってくるはずです。そのとき、やめるかわりに北方領土を返してくれるかと‥‥。
竹村:もし返すといってきたら‥‥?
藤原:ボーランド移民をやめても損はしないでしょう。それにソ連が歯舞、色丹など四つの島を返すといったら、「いや、冗談じゃない。我々は5百万人もポーランドに行く話をしてるのに四つの島ぐらいじゃ不満足だ。千島列島、樺太も返せ」と。で、まだ向こうがゴタゴタいったら沿海州も日本人が共同で住めるようにしてくれるかと‥‥こういって初めて外交が始まるわけですよ。
竹村:ほかの国は、だいたい5つ欲しいと思ったら、はじめ10ぐらい要求してくるね。
藤原:その通り‥‥。
竹村:日本は5つ欲しいと思ったら、最初1つぐらいだ。
藤原:それじゃダメですよ。
東欧とアラブに2人の大使を
藤原:僕は大平首相に、外交でぜひやらせたいことがある。この間、選挙で落選した山田久就という元ソビエト大使をポーランド大使にするんです。
竹村:ホウ‥‥。
藤原:で、同時に外務省のヨーロッパ課長なんかやっている若手をポーランド大使にする。 「おや、おや、日本のポーランド大使は二人いるじゃないか、いったいどうしたことだ」となったらば、これはネ(ポンと手を叩いて)面白いわけです。
竹村:どうして‥‥?
藤原:昭和16年に日米交渉していたときに、野村吉三郎駐米大使と来栖三郎特派大使の二人の大使がいたことがある。ボーランドに大使を二人並べると日米開戦の例があるから、ソ違は「これは大変だ」と思うわけです。
竹村:二人大使を置いてどういう効果がありますか。
藤原:日本が動き始めたと思うわけです。これは布石ですよ。僕は彼らに交渉させるつもりはぜんぜんない。それで、リビアのカダフィのところへ特使を送る。で、カダフィに「我々はあなたのパン・イスラミズムに基づいた社会主義、同胞主義というのはたいしたものだと思う」とおだてあげた上で、「ソビエト南部の5千万人近いイスラム教徒は、お祈りもできないじゃないか」と挑発する。あとは、カダフィがイスラム会議なんかを起こしてソ連に最後通牒をつきつける‥‥。
竹村:ハア‥‥??
藤原:さきほど話したトルコ人の僕の友人は、カダフィがトルコの陸軍士官学校に留学していたときに世話をしたこともある男でネ。その友人の話だと、カダフィは、挑発するとカーッとなる男だそうです。そこで、カダフィのもとへ送る特使は、園田さんではダメ。昔、サウジアラビア大使を十年やり、中東生活の長かった黒田元大使などがいい。それに外務省の若手をペタッとはりつけてリビアに送るわけです。そうすると、ソ連はギクッとして日本の行動の先を読み始める。ソ連の人口の何分の1かはイスラム教徒である。ソ連としては、イスラム世界に拠点をつくっている。たとえば南イエメンやリビア。かつてエジプトも勢力圏だったけれども、エジプトはイスラエルと手を握って10億ドルに近い武器援助をムダにしてしまった。あとはアメリカに助けてもらいますってな調子で、いつもソ連は詐欺にあっている。ソ連というのは非常に動きの鈍い国で、詐欺にあっちゃ、「コンチキショウメ」と思うんでネ。今度はイラクやシリアに手を出す。だから、日本としては、ソ連をかく乱してしまえばいいんです。それで北方領土の交渉をする。
竹村:日本の政治家が、いかに国際外交の感覚がないかということがわかって、それに対するあなたの提案もわかったけれども、日本は石油を確保に行っては、ババばっかりつかまされているという話があるね。
藤原:そう。それは、デシジョン(決定)できるヤツが、今、トップにいないからです。どの石油関係の会社でも、通産省の繊維局長だったとか造船課長だったとかいう人が天下りして専務取締役かなんかになっている。石油公団でも同じです。
竹村:現実にどんなふうにババをつかまされたんですか?
藤原:財界の政商が動いて、アブダビ沖のアドマ石油の鉱区を世界の値段の十倍も20倍も高いカネを払ってつかまされたことがある。しかもそのカネの半分は、税金で払っている。
竹村:ババを高値で売り逃げしたわけだね。
藤原:世界の政治やビジネスはババ抜きです。しかし、ババは非常に奇麗でベッピンさんの顔をしている。つかまえたと思って一夜明けたらババアだったというのがビジネスですよね。
竹村:そう‥‥。
藤原:たとえば、僕の住んでいるカルガリー(カナダ)に『ジャペックス』という会社がありますが、これは、町に住んでいた4人の頭のいい男たちが、1人3万ドルずつ出し合ってつくった石油会社です。それでいろいろ粉飾して鉱区も買って外見だけ整えて、日本の会社に売った。フォーミリオンダラー、8億円でね。
竹村:12万ドルでつくった会社を4百万ドルで買うたわけやな。30倍以上や‥‥。
藤原:そうそう。だから、1人3万ドル出資して100万ドルずつポケットに入った。ボロ儲けです。石油ビジネスにはペテン師はいっぱいいます。
竹村:その会社はどうなったの?
藤原:その4人は一応重役になったけど、目的を達したから結局、皆逃げちゃった。で、一、二年たって気がついたらババだったと‥‥。こういう実情を知らないで、日本の新聞が日本人は世界中で活躍してるなんて報道するからいけないんで、ガダルカナルと同じです。戦争中の日本人は、日本の兵隊がガダルカナルでネズミや木の根を食ってたとは思わなかったでしょう。インパール作戦も同じです。
竹村:そういう情報は日本に入ってこんね。戦時中と同じですな。
藤原:大本営発表と同じです。外交評論家とか学者のいってることはデタラメが多い。一時、日本人論が流行しましたが、日本人はお人好しですから外人がチヤホヤ持ち上げてくれると嬉しがっている。
"本物の親日家"の意見を聞け
藤原:『孫子』の兵法を読んでも、「汝の敵を知り、己を知る。これが百戦に勝つ方法である」と書いてあるでしょう。日本人は、汝の敵ばっかり知っているわけですよ。アメリカの研究、ロシアの研究、アラブの研究というのがブームになるけど、日本人の研究というのはあまり行われていない。
竹村:そうかな‥‥?
藤原:日本人を持ち上げた一番手は、ハーマン・カーンです。21世紀は日本の時代だなんて書いた。
竹村:ボーゲルというハーバード大学の先生は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といった。
藤原:あれは、アズ・ナンバーワンといったんであって、「ジャパン・イズ・ナンバーワン」といったんじゃあないと理解しなきゃいけない。ナンバーワンというのは、キャバレー用語ですよ。
竹村:エエッ‥‥!?
藤原::要するに稼ぎが多いということで、女として優れているとか、気だてがよいとか、美人だということとは関係ない。 尻癖の悪い女が稼ぎが多かったら家のナンバーワン。だから、ボーゲルさんは、アズ・ナンバーワンと書いたと。あなた、テレビ講談で、それぐらいのことしゃべらなきゃいけないんじゃない?
竹村:(笑いながら)しゃべろうと思うて、一生懸命あなたのいうこと聞いてるやないか。
藤原:『不確実性の時代』のガルブレイスとか、『ザ・ジャパニーズ』のライシャワーの意見よりも、もっと日本を愛し、日本人が好きで、出しゃばらない外国人の意見を聞いたほうがいいんじゃないか。5%ぐらいしかいないけど、こういう人たちを粗末にしちゃいけない。
竹村:日本人は、名前がないと信用しないんだ。
藤原:ブルーノ・タウトという人は、最初有名でもなんでもなかった。秋田へ行って、日本の水洗便所のない時代の便所のにおいや、どこへ行っても日本の駅は同じであると日記に悪口書いてるけれども、桂離宮をつくった日本人はたいしたものだとも書いている。日本人の素直さ、純朴さと能力を認めているんだね。だから、日本人のために悪口をいって忠告してくれる外国人は大事にしなきゃいけない。
竹村:今日は、あなたの大放談になったけれども、あなたのような意見の人は日本では貴重ですな。

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