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「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。 山根治ブログ2023年08月03日号http://yamaneosamu.blog.jp/archives/21022153.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(75)です。

 山根治さま

 三木内閣時代にロッキード事件が起き、1980年六月に大平首相が突然死し、鈴木に続き中曽根内閣になる頃に政治の反動化が進み、私はそれを危険な兆候だと危惧した。防衛庁長官や通産相をやって、中曽根が着実に権力を掌握し、日本の中枢部に近づいていたので、1980年代から90年代には、ファシスト革命が起きると予想した私は、その観点で日本の運命を考え続けた。

 この予感が的中したのは中曽根政権時代の不祥事で、ロッキード事件が民間機ではない自衛隊のP3C疑獄だったから、そうした売国行為については『日本に巣食う疫病神の正体』に詳述した。それをまとめたものが「中曽根バブル」の狂乱であり、第七章の「戦後史を飾った復興と欺瞞の経済大国」には、中曽根の悪事の陳列台だから、一瞥するだけでうんざりしてしまう。

 「・・・・中曽根政権の誕生により、ヤクザ政治とカジノ経済が日本全土に広がったが、アメリカから遠望した私は『虚妄からの脱出』に続き、『無謀な挑戦』で文明論を纏め、『平成幕末のダイアグノシス』を仕上げた。中曽根政権の最後の段階は日本は驕慢で隙だらけで、1985年8月の日航123便の墜落事故は、NYで起きた911事件に似た奇妙な謎に包まれており、疑問が次つぎと湧き上がって来た。・・・墜落現場の遺品の分析だと、ジェット燃料が含有しない多量のベンゼン環が発見されており、遺体の凄まじい炭化度は火炎放射器の使用と共に、撃墜か誤射の疑惑を強調している。当時のテレビ報道によれば、自衛隊の交戦演習が行われ、ミサイルの塗料の付着が機体から発見されているし、制空権を握る米軍筋からの情報では疑惑は大きくなるばかりだ。

 日航経営企画部に属していた言論活動家の佐宗邦皇は、自衛隊機による撃墜説を唱えて、米国が中曽根の弱みを握り、日本を脅して無理強いして、国力を削ごうと狙ったと主張していた。だが、あの頃の私は航空事故よりも、アラスカで始まった宇宙計画により強い関心を向けていて、彼が力説した意味について理解するには至らなかった。・・・横田基地への着陸の許可が政府筋から拒絶されたので、米軍は緊急着陸を諦めていたし、首相が下した奇妙な決断に事故の鍵があったが、この疑惑は迷宮入りになっていた。日本の首相の立場から緊急着陸を断っていた上に、「秘密はあの世まで」という謎に満ちた中曽根発言は、口を閉ざして死んだ首相が何を隠したのかが気になる。

 この悲惨な墜落事件で搭乗者520名が亡くなり、生存者4名という史上最悪の航空事故だったのに、政府の対応は奇妙なほどお座なりのものだった。墜落した123便の尾翼が相模湾で発見されたのに、引き揚げて検証もせず、多くの疑惑を残した状態で捜査は打ち切られて歳月が過ぎ去って行った。」
 「その間に多くの書籍やU-Tube動画が生まれ、真相追及が行われて、キーマンの中曽根も死んで真相をあの世に持ち去られ、35年の歳月が過ぎ去った。この事故の原因追及では、NYでのプラザ合意に結び付いていたと論じ、注目を集めたエコノミストは優れた国際感覚を持つ帰国子女の森永卓郎で、流石に鋭い強い観察眼だった。


 ここで重要な事件が起きたのであり、日航経営企画部員だった佐宗邦皇は日航123便墜落事件を追い、熱心に調査していた人物だが、2008年夏に私の目の前で不審死し奇妙な謎を私の記憶に残した。しかも、この事件から十五年後に長らく封印されていたビデオが届き、それに私の黒髪時代の映像が三十分も映っていたので思わず驚いたが、この日の講演会で奇妙な事件が起きたのである。
https://www.youtube.com/watch?v=g4w_MBFZ_ug

 このビデオ番組の冒頭部に司会者として登場する佐宗さんは、ワールドフォーラムの主催者だが、途中で私が指名されて三十分ほど喋る二十分ほど前に、ボトルウォーターを飲んだ瞬間に卒倒し、救急車で病院に運ばれている。彼は日航123便墜落事件を追っていた人であり、この日はスピーカーの高橋さんの隣に座っていたが、目の前のボトルウォーターを飲んだ瞬間に事件が起き、救急車で会場を去っていた。

 会場は一時騒然としたが講演会は継続し、私は指名されて準備もなしに喋ってしまったが、後で佐宗さんの死を知らされて、考えてみたら暗殺の可能性もあった。もし、高橋さんか佐宗さんが狙われたとしたら、目の前で起きた事件は暗殺と言うことになり、思わずゾッとした。何しろ、この日航123便墜落事件は、プラザ合意で急激な円高になる直前に起きた怪事件で、大いに疑惑が残る事件であり、それを追及してしていた人が、目の前で倒れたので驚いた。

 この日の昼食を一緒にした徳間書房の元編集次長の守屋さんから、夕方に高橋五郎の講演会がありそれに行くと聞き、私は一緒に参加することにした。高橋さんとは初対面だが、彼の『天皇のスパイ・ベラスコス』を読み、興味深かったことが出席の決め手だった。そうしたら目の前で事件が起き驚いた次第であるが、冒頭にあいさつした佐宗さんは、これが彼の生前最後の日の映像になってしまい、運命の不思議さを感じ私は冥福を祈った。
 
 閑話休題で話を元に戻せば、中曽根時代にあった記事で、卓越した画期的なOSトロンに注目したものとして、会計士が運営しているてつブログ(Tetsu-blog.com)があり、これは事件の核心に切り込んだものだった。現在の日本では陰謀論扱いされているが、ファーウェイ問題と比較する上で、ブログを開いて読めば相似象として興味深いので、その一部を以下に引用して見る。

・・・・更にあるのが、当時日本の国産のOSとして、注目されていた【TRON(トロン)】の技術者がごっそり乗っていたのが、この日航ジャンボ機(JAL123便)であった。「TRONプロジェクト」と言われるプロジェクトを手がけていた天才エンジニアの17人が乗っており、全員亡くなった。【TRON(トロン)】とは、当時【Windows(ウィンドウズ)】と【Macintosh(マッキントッシュ)】が、少しずつ広がっている中で、純国産で作られていた日本版のOS(オペレーティングシステム)である。OSとは、今のWindowsと同様のソフトと考えればいい。これが、当時でWindowsの10年先を行くと言われていたものであった。
 すなわち、今のWindowsの代わりに、日本産のTRONがコンピュータを席巻するかも知れない状態、と考えてほしい。これをアメリカが脅威と思わないわけがない。アメリカでは、コンピュータのソフトに力を入れ始め、軍事から始まった【インターネット】の構想が大きく練られていた頃である。・・・

 
 事故から35年経った今、米中経済戦争が始まり、世界の覇者だった米国が5Gで中国に追い上げられ、中国叩きに熱を上げてファーウェイ虐めをしている。この様子を見る限りでは、一位の米国に迫って肩を並べる国に対して米国は徹底的に攻撃し、覇者の地位を護るはずであり、それを論じ次の様に付け足している。
 「・・・この事故が全てではないが、かくして「TRONプロジェクト」は大きく後退せざるを得なく、実際に世界のOSを握ったのは、Windowsのマイクロソフトであった。しかも、この後の1989年にアメリカが強力に日本に貿易不均衡を主張し、いわゆる「スーパー301条」という強硬手段に出たときに、なぜかTRONがやり玉に挙がった。アメリカは、TRONを日本政府が応援するのは市場への介入であるという、訳のわからないことを言ってきた。日本のOS市場が「TRON」に支配されることを恐れたのである。もちろん日本政府はアメリカの言うとおりにして、かくしてTRONは衰退を余儀なくされた。・・・
 
 参考までに付け足せば、孫正義がトロンに対して、採用反対した件に関し次のような記述があり、日本の電子産業崩壊に彼が果たした役割が分かる。
 「・・・孫正義(現ソフトバンク社長)の官僚や経済界の大物を巻き込んだ猛烈な反対運動によって、プロジェクトは、【壊滅】に追い込まれました。これは、『孫正義 企業のカリスマ:』(大下栄治 著)に詳しいです。特にTRON。同著は、孫正義が如何に情熱的に、2つのプロジェクトを財界の大物、京セラ(当時)の稲盛和夫等を巻き込みつつ、通産省にプレッシャーをかけて、つぶした事を誇らしげに書いています。・・・

 話を現実の問題に戻して、日航機の墜落事件が日本の運命にどう影響したかを考察すれば、その40日後の9月22日にNYで五カ国財務大臣・中央銀行総裁会議があった。そして、有名な「プラザ合意」が成立し各国の協調介入が始まり、急激な円高が動き出し日本中が大いに慌てたが、日本円への狙い撃ちでこれがその後の経済停滞の門出だった。
 プラザ合意による円高で日本経済が受けた打撃は、前代未聞の大災難に属し、240円だった対ドル相場が、2年後の1987年末に二倍の120円に跳ね上がった。しかも、1986年に前川レポートが発表され、日本の市場開放を約束し狂乱に似たバブルが生まれ、土地と株価が暴騰して俄か成金が続出したので、日本人は大国気分に酔ってしまった。
 前川レポートの影響で銀行が資金を大量供給し、日本を不動産熱が包み土地転がしに浮かれ、その相乗効果によって株式バブルが燃え上がった。ここで見落とせないのが国際決済銀行(BIS)であり、1987年7月にBISは、銀行の自己資金比率が最低8%という規制(バーゼル合意)を出し、それが日本の銀行にとってボディブローになった。
 これらの一連の事件を観察すれば、中曽根バブルがその後に炸裂し、日本経済が奈落の底に転落して三十数年にわたる不況に陥り、デフレの中で小泉や安倍が現れゾンビ政治の暴政を演出したのである。そして、日本は後進国に転落して亡国路線を邁進し続けたが、小泉や安倍は亡霊政権だからゾンビだったのであり、日本を絞め殺したのが中曽根であるし、中曽根内閣がホモ政権だと論証したのが『平成幕末のダイアグノシス』だった。

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