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「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。 山根治ブログ2023年08月23日号http://yamaneosamu.blog.jp/archives/21333952.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(76)です。

 山根治さま

 さて、久しぶりに貴公開メール(103)で石井部隊(731)に触れ、それに関連してゾルゲが登場したので、昭和初期の頃に立ち戻り、当時の日本が軍国主義国家として、大陸での侵略戦争にのめり込み、アヘン工作と細菌戦に終始した問題を論じる。コメントメール(74)では大平首相の過去を論じ、大蔵官僚だった彼が満州に出向して、張家口でアヘンを取り仕切っていたことは、『大平正芳と阿片問題』や『近代日本の阿片政策の現状と課題』を読めば、国策の愚かさが明白である。

 新天地を求めて日本が満州国を作り、その経営に本格的に乗り出したのは、「五族協和」をスローガンに建国した1932年以降のことだが、国家経営の経済基盤は脆弱だった。だが、満州国の統治主体は関東軍と南満州鉄道で、1934年に溥儀が皇帝に即位して帝政になり、国務院総理に鄭孝胥が就任したが、大臣には満人を任命したが実務を扱う次長は出向した日本人が占めた。

 「満州阿片スクワッド」によれば、満州国と阿片の関係は次の通りで、日本人役人と関東軍は協力して、満州国の経営面において阿片の収入に大きく依存していた。

  「国家を名乗りながら満州国には憲法も国籍法もなく、住民票の整備も進まなかった。住民を正確に把握できないため、税収を得る手段は限られる。満州事変を起こした関東軍が、占領地の財政収入の柱の一つとして想定したのがアヘンからの収益だった。・・・アヘンの販売収入は最盛期には満州国の歳入の2割を超えていたという試算がある。これとは別に、関東軍は謀略やスパイ活動を受け持つ特務機関を使って満州国から中国の隣接地域にアヘンを密輸出、巨額の裏資金を得ていたとする当事者の証言が残る。1937年7月に日中戦争が始まると日本軍は内モンゴルに得た勢力圏をアヘンの生産拠点とし、大量のアヘンを占領地に流通させた。
 アヘン販売の仕切り役となったのは、中国人の慈善団体の名を借りた販売組織「宏済善堂」だった。それらは、上海、大連、北京などにあった。アヘン政策を監督したのは、占領地行政を企画立案する東京の中央官庁・興亜院。興亜院は「大アヘン政策」を唱え、東南アジアを含む大東亜共栄圏でアヘンの収益を得ることを構想していた。」


 同じ時期に関東軍により石井部隊が作られたが、ウイキペディアの解説によれば次のような経過で、防疫班の名目でハルピンの近郊に開設されている。

 「1932年8月、陸軍軍医学校防疫部の下に石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室が開設された。それと同時に、日本の勢力下にあった満洲への研究施設の設置も着手された。そして、出先機関として関東軍防疫班が組織され、翌1933年秋からハルビン東南70kmの背陰河において研究が開始された。・・・そのうちの本部が「関東軍防疫給水部本部(通称号:満洲第731部隊)」である。731部隊を含む関東軍防疫給水部全体での所属人員は、1940年7月の改編時で軍人1235人(うち将校264人)と軍属2005人に増加し、東京大学に匹敵する年間200万円(1942年度)の研究費が与えられていた。」

 石井部隊は細菌戦を行うための生物兵器の研究をしており、内容に関しては森村誠一の『悪魔の飽食』に詳しいが、石井部隊の研究成果は米軍に接収され、研究に従事した医師の多くは戦犯から免れた。2020年のコロナ感染事件は武漢ウイルスに由来するというが、その源泉には731部隊の成果があり、感染症に関しての日本の医学には、明治時代以来の輝かしい伝統がある。

 伝染病の世界的な研究者に北里柴三郎がいて、彼は第一回のノーベル医学賞候補にノミネートされており、彼の略歴はブリタニカ大百科事典に次のように紹介されている。

 「・・・日本細菌学の父といわれる。東京医学校 (現東京大学医学部) 卒業後、1885年から 91年までドイツに留学、R.コッホのもとで細菌学を学んだ。 89年破傷風菌の純粋培養に成功し、毒素を抽出。 90年 12月3日、これをウサギに注射して血清に抗毒素をつくらせ、この血清をヒトに注射することによって破傷風を予防、治療するという破傷風の血清療法を発表して、世界の学界を驚嘆させた。帰国後 92年に設立された伝染病研究所の所長に就任。

 この伝染病研究所に関しては、内務省と文部省の管轄争いが有名で、福沢諭吉の貢献が知られているが、日本が誇る医学の最高峰の北里は「日本医師会」の初代会長でもあった。ここで話は横道に逸れるが、二代目の会長に就任した武見太郎は、1957年から25年間も医師会長として君臨し、厚生官僚と対決して「ケンカ太郎」として勇名を馳せた人物である。

 1904年生まれの武見は1928年に慶応の医学部を卒業したが、指導教官と喧嘩して大学を飛び出し、仁科博士の理研に就職してベクトル心電計を作り、原子物理学の応用療法を研究した変わり種だ。戦後になって銀座の郁文館ビルの三階に診療所を開き、医師会の副会長として厚生官僚と対決したが、占領時代はGHQがチフス菌の人体実験の強行を命じた時に、「日本軍は戦争で負けたが、医学では負けていない」と啖呵を切った。

 彼が医者として破格の存在だったのは、吉田茂首相の妻の雪子が内大臣牧野伸顕の長女で、次女の利武子の娘の英子が武見の妻だったから、武見太郎は鼻息が荒くても当然だった。吉田茂は英国の間諜としてマセソン商会の大番頭だった吉田健三の養子で、土佐の自由民権運動の闘士だった竹内綱が、長崎の女郎との間に作った子供だった。

 この件は『紙の爆弾』の2020年8月号に、「日本を原発地獄にした戦後政治の闇」と題して記事にしたが、CIAのスパイとしてポドムの暗号名を持つ正力松太郎は、読売の社主としてメディアの王者だ。それに対し吉田茂は国葬されたが、CIAの呼び名がPochi69であり、戦後の日本の首相の多くは買弁政治家で、自由党も民主党もCIAが生みの親だから、自民党が売国奴の巣窟なのは当然だ。

 武見太郎が吉田茂の妻の妹の娘を女房にしたのは、私のメンターの藤井博士の話によれば、戦前に悪性のインキンに悩んだ牧野が、武見の手厚い治療で快癒し、その縁で結ばれたのだという。武見太郎は医者に不信感を持ち、医師のトップの三分の一は研究熱心で使い物になるが、次の三分の一は世襲の怠け者だし、最後の三分の一の医者は患者より金儲けの亡者だと軽蔑していた。

 そこで体調が悪い時には、近所の銀座内科の藤井先生を訪れ、三十分も雑談してストレスを発散したそうで、藤井さんがセリエ博士を日本に招いた時に、外貨問題のトラブルを日本側の招聘者として解決したそうだ。藤井さんは1942年に東大医学部で精神病理専攻で卒業し入局したが、翌年軍医として召集され長沙漠作戦に従軍し、軍医として数千人の兵士の死を扱う体験をした。

 患者で一番多いのが栄養失調と腰が抜けた兵士で、次がマラリアと結核であり、軍医の仕事の二割が外科で八割は内科に属し、戦争が嫌で気力を失ってしまい、副腎が肥大化して体が動かないストレス禍だった。1947年に戦地から帰国した時に、セリエのストレス学説が副腎の肥大を論じているのを知り、モントリオール大学を訪れて博士に学び、ストレス学者として注目されて銀座にクリニックを開いた。
 
 藤井先生との出会いについては、『アスペの三奇人交遊録』に書いたが、私は構造地質学が専門で地球のストレスを扱うから、先生とは十年間ほど対談して『間脳幻想』を共著として出した。また、先生との脳内ホルモンの対話で、シカゴ大学にはその方面で世界一の先生がいると聞き、私が学士入学する代わりに、娘をシカゴ大に入れ医学部のサイデン研究室で仕事をしたお陰で、ファイザーの中央研究所に入り、製薬会社のインチキ振りを知ることが出来た。

 だから、2020年のコロナ騒動の時も、ワクチン接種のインチキ振りも理解できたし、統一教会に取り込まれ日本を滅茶苦茶にした、安倍晋三のペテン政治に対して、その欺瞞性をはっきりと納得した。満州利権と結ぶ岸信介の孫として、伝染病を兵器にした石井部隊が、細菌戦の731部隊だった因縁で、自衛隊の731号機の操縦席に座り、会心の笑みを表すバカ男の晋三に、天誅が下った証拠がこの写真だ。

 http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-05/16/content_28841448.htm

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