1534年にヘンリー8世が離婚問題をきっかけに教皇と対立すると、ヘンリー8世は「国王至上法」を出し、カトリックと絶縁。これに対し、カンタベリー大司教はヘンリー8世の離婚を許可する独自の判断を出しました。この結果、カンタベリー大司教はローマ教会から事実上分離し独自の路線を歩みはじめたのです。1559年のエリザベス1世の「統一令」によってカンタベリー大司教座はカンタベリー大主教座と改められ英国国教会の総本山の地位を獲得しました。

このカンタベリー(Canterbury)は、英国南東部ケント州東部にあります。その昔、私は半年ほどそこで暮らしたことがありました。ある夜、カセードラル(カンタベリー大聖堂)のサタデー・サービスで地元の青年たちの賛美歌が披露されました。学校帰りには必ずそこに立ち寄り、日本の家族の無事を願ったものです。夕陽が差し込み、静けさに満ちた聖堂は、実に荘厳です。普段は人がまばらな教会です。しかしその夜は、多くの人々で埋め尽くされていました。そして、指揮する者に導かれた合唱隊の青年たちが緊張感を全身ににじませながら歌声を天に発するのでした。

サービが終わり、一人、下宿に帰ろうとしていると、知人から『これからいっしょに食事しませんか』とお声がけがありました。彼女の隣には日本から来て間もない女学生が立っています。3人は近くのレストランで軽い食事をとりながら、合唱隊の話題に花を咲かせるのでした。

翌朝10時、私は瀟洒なカンタベリー駅で汽車を待っていました。この日曜日はロンドンに出向き、古本屋めぐりをしようと決めていたからです。

『お兄さん、どちらにいらっしゃるの』と日本語で語り掛ける女性の声が聴こえます。フト、振り返ると昨夜の女学生でした。ロンドン行きの用件を伝えると、『わたしもいっしょにお兄さんについて行ってもいいですか』と言います。『どうぞ、喜んで』と笑顔で言葉を返しました。

汽車に揺られ1時間半ほどでロンドンに到着。当日、購入を考えていたのは新渡戸稲造博士の「Bushido」(武士道)とアラビアのロレンスでおなじみのT.E.Lawrence卿の「Seven Pillars of Wisdom」(知恵の七柱)でした。最初の書店で1905年版の「Bushido」を見つけ、レジに足を向けたとき傍らにいた彼女から質問がありました。

「それ何ですか」

「これはね、新渡戸稲造さんという人がビクトリア調の英文で著した『武士道』という本ですよ」

「あら、新渡戸稲造。私の曾おじいちゃんよ」

「あぁ、そうなの … 」

あれから、24年の歳月が流れました。


閑話休題(それはさておき)。


先日、彼女から連絡がありました。

『大使館の食卓』で紹介されるとのこと。
⇒ http://www.bsfuji.tv/top/pub/embassy.html
【今回の放送日時】2010年6月13日(日)21:30〜22:25
【再放送】2010年6月16日(水)
【再放送】2010年6月20日(日)

現在、彼女はモロッコ大使夫人・マダムUtako Arrourとして活躍なさっています。

彼女のこころには太陽があり、自ら燃えているのです。
だから、なにごとも明るく考えるこころがけができています。

いつも太陽の光につつまれる人は、影を見ることはありません。

さあ、今日も笑顔で参りましょう。

感謝