静かな朝。
伊勢の朝も静かでした。
2005年2月11日の建国記念祭に、内宮に参詣(さんけい)したときのことです。
東京での仕事を終え、名古屋駅から快速「みえ」で宇治山田駅に向かったのが2月10日。夕方、外宮(豊受大神宮)に参詣した際に、翌朝8時から内宮(皇大神宮)で建国記念祭があると知りました。
よし!早起きして参拝しよう!・・・と意氣込んでみるのでした。
宿泊先では、いつものようにマッサージをお願いしました。日本語が自由に操れない方で、どうも、私の「イィ〜たい!」が「氣持ちイィ〜」と伝わってしまったらしいのです。情け容赦のない怪力で彼の仕事は淡々と行われます。その夜は、ノックダウンというか放心状態で、すぐに寝入ってしまいました。
朝はスッキリ、壮快!目覚めて氣付いたのは、揉み返しが全くないこと。素晴らしいマッサージであったと知りました。
1階のレストランで朝食をいただき、まったりとしておりました。
おっと、もう9時を回っている。シマッタ!
急いで、宇治山田駅からバスに乗りこみます。
猿田彦神社のバス停前で運転手さんが、
「こちらで降りられて、おかげ横丁を歩かれる方が早いです」
と教えてくださったので、迷わず歩くことに。
五十鈴川(いすずがわ)にかかる宇治橋のたもと(入口)は、参詣・参拝の方々で賑わっています。
鳥居をくぐります ・・・ なんと氣持ちのよい空氣でしょう。
五十鈴川のほとりに鎮まる内宮へと導く空間がゆっくりと広がり始めます。
多くの人々がいます。正宮・皇大神宮(ご神殿)を目指す比較的急な長い階段で、私は足止めを食らいます。我先にと進んで行く人々に押しのけられたからです。行けども行けども、大勢の人々が私の前に控えている感じ。観念して、静かに流れに従ってみました。ご神殿に近づいても、この身心は思うように前へとは進ませてもらえません。私を払いのけ、スイスイと進んで行った人々は数知れません。
ご神殿が目に入ってきたころ、フト、後ろを振り向きます。驚きました。あれだけいた大勢の方々の姿が見えません。私の前にも人がいません。どうしたことでしょう・・・。
よし、参拝させていただこう!と思った瞬間のことです。
黒のダブル6つボタン3つがけで共布の肩章付のスーツ型の制服をまとった神宮衛士の方が私の方へ歩み寄って来ます。
『建国記念祭が始まります。こちらでしばらくお待ちください』
と静かに制します。周りを見回すと、そこには私を含め6名の参詣者に、4名の神宮衛士のみがいました。
30名近くの神職が社殿から出てきました。国のはじめをお祝いし、今後の地上世界の発展をお祈りをしていたそうです。そして内玉垣南御門で石を拾い懐に入れ、中重鳥居のあたりに列を成して座り祈り始めます。この厳かな儀式は30分近くつづきました。
4人の神宮衛士が外玉垣南御門の賽銭箱を動かします。
そして、30名の神職たちが正宮を後にする通路が出来上がりました。
板垣の南御門内の宿衛屋を右にして、次々と神職らが階段を下りて行きます。
彼らを見下ろそうとした瞬間、ひとりの神宮衛士の方が歩み寄って私を制します。
『いけませんよ。神さまの代理の方々です。
神さまを上から見下すようなことをなさってはいけません』
と教えてくださいました。
「ありがとうございます」
と恐れ多い氣持ちで返礼しました。階下には参詣の人びとの姿はありませんでした。
神職らの姿が見えなくなると、神宮衛士の方々は賽銭箱を元の位置に戻し始めます。
先ほど私を注意をしてくださった方が、再び歩み寄って来て笑顔で、
『今、参拝なさると、あなたさまは建国記念祭あとの、
日本で一番の方になります。さあ、どうそ』
と静かに話しかけてくれました。
「ありがとうございます」と会釈した私は手招きされ、参拝させていただきました。
次に、私の右と左にひとりづつ参詣者が招かれました。
その時です。外玉垣南御門の白く大きな幕(御幌:みとばり)が、音もなく、水平に舞い上がりました。
風はまったく感じられません。神秘的な時空を感じました。
参拝を終えて、荒祭宮(あらまつりのみや)へと導くゆるやかな階段を静かに下りました。左手の階下には多くの参詣の方々がいらっしゃいました。そして次の瞬間、人々は一斉に勢いよく階段を上り、正宮を目指すのでした。
それから私は荒祭宮と風日祈宮(かざひのみのみや)に参拝し、正宮を後にしました。
船は帆任せ帆は風任せ。
悠々と自然体がよろしいですね。
感謝
伊勢の朝も静かでした。
2005年2月11日の建国記念祭に、内宮に参詣(さんけい)したときのことです。
東京での仕事を終え、名古屋駅から快速「みえ」で宇治山田駅に向かったのが2月10日。夕方、外宮(豊受大神宮)に参詣した際に、翌朝8時から内宮(皇大神宮)で建国記念祭があると知りました。
よし!早起きして参拝しよう!・・・と意氣込んでみるのでした。
宿泊先では、いつものようにマッサージをお願いしました。日本語が自由に操れない方で、どうも、私の「イィ〜たい!」が「氣持ちイィ〜」と伝わってしまったらしいのです。情け容赦のない怪力で彼の仕事は淡々と行われます。その夜は、ノックダウンというか放心状態で、すぐに寝入ってしまいました。
朝はスッキリ、壮快!目覚めて氣付いたのは、揉み返しが全くないこと。素晴らしいマッサージであったと知りました。
1階のレストランで朝食をいただき、まったりとしておりました。
おっと、もう9時を回っている。シマッタ!
急いで、宇治山田駅からバスに乗りこみます。
猿田彦神社のバス停前で運転手さんが、
「こちらで降りられて、おかげ横丁を歩かれる方が早いです」
と教えてくださったので、迷わず歩くことに。
五十鈴川(いすずがわ)にかかる宇治橋のたもと(入口)は、参詣・参拝の方々で賑わっています。
鳥居をくぐります ・・・ なんと氣持ちのよい空氣でしょう。
五十鈴川のほとりに鎮まる内宮へと導く空間がゆっくりと広がり始めます。
多くの人々がいます。正宮・皇大神宮(ご神殿)を目指す比較的急な長い階段で、私は足止めを食らいます。我先にと進んで行く人々に押しのけられたからです。行けども行けども、大勢の人々が私の前に控えている感じ。観念して、静かに流れに従ってみました。ご神殿に近づいても、この身心は思うように前へとは進ませてもらえません。私を払いのけ、スイスイと進んで行った人々は数知れません。
ご神殿が目に入ってきたころ、フト、後ろを振り向きます。驚きました。あれだけいた大勢の方々の姿が見えません。私の前にも人がいません。どうしたことでしょう・・・。
よし、参拝させていただこう!と思った瞬間のことです。
黒のダブル6つボタン3つがけで共布の肩章付のスーツ型の制服をまとった神宮衛士の方が私の方へ歩み寄って来ます。
『建国記念祭が始まります。こちらでしばらくお待ちください』
と静かに制します。周りを見回すと、そこには私を含め6名の参詣者に、4名の神宮衛士のみがいました。
30名近くの神職が社殿から出てきました。国のはじめをお祝いし、今後の地上世界の発展をお祈りをしていたそうです。そして内玉垣南御門で石を拾い懐に入れ、中重鳥居のあたりに列を成して座り祈り始めます。この厳かな儀式は30分近くつづきました。
4人の神宮衛士が外玉垣南御門の賽銭箱を動かします。
そして、30名の神職たちが正宮を後にする通路が出来上がりました。
板垣の南御門内の宿衛屋を右にして、次々と神職らが階段を下りて行きます。
彼らを見下ろそうとした瞬間、ひとりの神宮衛士の方が歩み寄って私を制します。
『いけませんよ。神さまの代理の方々です。
神さまを上から見下すようなことをなさってはいけません』
と教えてくださいました。
「ありがとうございます」
と恐れ多い氣持ちで返礼しました。階下には参詣の人びとの姿はありませんでした。
神職らの姿が見えなくなると、神宮衛士の方々は賽銭箱を元の位置に戻し始めます。
先ほど私を注意をしてくださった方が、再び歩み寄って来て笑顔で、
『今、参拝なさると、あなたさまは建国記念祭あとの、
日本で一番の方になります。さあ、どうそ』
と静かに話しかけてくれました。
「ありがとうございます」と会釈した私は手招きされ、参拝させていただきました。
次に、私の右と左にひとりづつ参詣者が招かれました。
その時です。外玉垣南御門の白く大きな幕(御幌:みとばり)が、音もなく、水平に舞い上がりました。
風はまったく感じられません。神秘的な時空を感じました。
参拝を終えて、荒祭宮(あらまつりのみや)へと導くゆるやかな階段を静かに下りました。左手の階下には多くの参詣の方々がいらっしゃいました。そして次の瞬間、人々は一斉に勢いよく階段を上り、正宮を目指すのでした。
それから私は荒祭宮と風日祈宮(かざひのみのみや)に参拝し、正宮を後にしました。
船は帆任せ帆は風任せ。
悠々と自然体がよろしいですね。
感謝
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