みなさん、おはようございます。
静かな朝の旭ヶ丘です。
いかがお過ごしでしょうか。
今朝はチト、想いでを交えたお話を・・・
旅先で佐々木さんご夫妻にお会いしたのは一昨年の夏のことでした。
ご主人は85歳で矍鑠とした紳士です。
ご夫人は白髪の凛としたレディーでした。
『この人の人生は本当に面白いのよ』と彼女は彼を見て微笑みます。
『そんなに面白いのですか』と私は尋ねてみたのです。
『そう、本当に面白いの』と彼女。
『そうですか・・・ いったい何が面白いのですか』と私。
『まあ、まあ、急ぐことないでしょ』と彼が口を開きます。
驚いたことに、彼は60年間以上も定職についていないと仰る。
神懸かりとなり、なされるがまま、
全国の神社に指定された金額を寄進してまわったのです。
幸い、ご夫人のビジネスが想像を絶するほど儲かったので、
旅費と多額の寄進が可能となったのでした。
一週間に亘り、佐々木老人からレクチャーを受けることになりました。
そして、彼は生彩ある人生に大切なことを教え伝えてくださいました。
佐々木語録の一部をここにお伝えします。
『人も神なら、吾も神。吾も神なら、人も神』
『神さまだって人間。所詮、人間しかないですよ』
「人間は何のために生まれてくるのでしょうか?」との問いかけに対しては、
(明快に)『死ぬために生まれてくる!』
「神はどこにいますか?」との問いかけに対しては、
(明快に)『神さまは他にはいない。銘々の氣持ちの中にいるだけです』
自らの人生の主人公は自分自身であり、
予め決められた人生などを持ち込まず、
自由な発想で自ら考え、そして創るから道は開けます。
自分の人生は、自分の手で創りかえることが可能なのです。
老人が神懸った始まりは、旭川市の護国神社境内で片目が瞑れた鳩に餌を与えている時でした。ズドーン!とお腹に、一氣に何かが重く入り込んで来たそうです。
その日月は、昭和47年6月17日。
奇しくも、この日月は私の誕生日でした。
佐々木老人の昇天を伝えられた翌日に。 感謝
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