「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。山根治ブログ 2023年5月16日号(http://yamaneosamu.blog.jp/archives/19556743.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(70)です。
山根治さま
大兄の公開メール (92)は自民党王国島根県が、如何に政治を私物化し親分子分という門閥・派閥で構成されており、首相を含めた自民党議員の背後に、隠れた支配者がいたかを証明しています。首相だった竹下を操っていたのは秘書役だった青木幹雄で、竹下や青木のご主人が県知事の田部長右衛門だったことは、私の母親が島根県浜田出身だから、浜田に疎開して幼稚園や国民学校に入った私も、祖母からさんざん聞かされています。
この祖母は津和野の近在の柿の木村出身で、津和野藩の馬回りの吉田家に嫁ぎ、私の祖父の吉田謙助の後妻になったが、浜田女学校の第一期生で、卒業後は台湾で女性記者をやり、帰国して結婚後は浜田に住み、印刷所を経営した戦争婆さんでした。祖父の謙助は森林太郎と藩校の養老館に行ったが、廃藩置県と廃刀令で挫折して、屋敷を輪転機と交換し島根二中があった浜田に引っ越し、妻に印刷屋を経営を任せて津和野の若者を下宿させ、浜田中学に通わせ面倒を見たが、一生を鶯を取って暮らした男でした。
浜田は陸軍の軍都として、広島第五師団21連隊があり、国民学校の教科書で習った「シンデモ、ラッパヲクチカラ、ハナシマセンデシタ」と言う、日清戦争の木口小平が属す連隊がありました。祖母は幼稚園児だった私に、この話を暗唱させた戦争婆さんで、私に軍隊アレルギーを植え付けたが、山口や島根は半島系が多く、非常に好戦意識が強いから、東京生まれの私には異境でした。
軍国婆さんの祖母のタケは、息子を二人戦死させており、日本遺族会の浜田支部では、可なりの活動家だったらしく、上京する度に靖国神社に行き、遺族会長で大臣だった大達茂雄に会っていたが、中学生の私が一緒でした。大達は浜田出身の内務官僚で、満州で官僚としては岸信介の先輩だが、戦争でシンガポールを占領した時は、昭南市長をやってから、東京都の長官や内務大臣をやった、浜田出身の辣腕政治家でした。
こんな軍国婆さんのお蔭で、政治家と結ぶ女の威力が凄まじく、政治を狂わせることを目撃して、晋三が安倍洋子の影響を受け、小心者が暴君として空威張りするプロセスが、良く理解できたのでした。だから、島根県政のドンの妻の田部陽子が、番頭の青木幹雄を操ることで、妻を父親に強姦され自殺劇を生み、精神的に傷ついた竹下登首相を背後から操り、国政を弄んだ出雲流の国盗り劇が明白です。これが島根の「狐持ち」の正体です。
私の親父は商売人で神田で医療器の卸商を営み、母親の出身地の島根の青年を雇い、商品の荷造りの小僧として働き、荷造りや運転手をやってから、何十人も島根県人が上京体験をしていました。数年ほど東京で生活して故郷に戻って行くが、中には益田の市会議員になったり、あるいは島根県会議員になって、そのほとんどが竹下派だったから、私は政治の後進性に呆れたものでした。
墓参りで島根に行った時に、昔は小僧だった中年男が、故郷では政治家になり、宴会疲れと酒焼け顔をして、海外視察した話を聞かされ、多くが糖尿病に悩んでおり、これが日本の実情かと嘆息したものです。男は地方で出世して名士の仲間になっても、自分で考える頭脳はなく疲れ果てて生きた骸だったが、夫人は皆が元気溌剌であり、これが政界のカカア天下の正体かと、納得したが侘しさ一杯の光景でした。
安倍洋子や田部陽子が政治家の夫の背後に控え、マザコンの息子を操った話は世の中に五万と存在しており、則天武后やネロの母親のアグリッピナを始め、その数は数え切れないほどです。米国の日本専門家(Japanologist)の場合、成功者の夫人の多くが日本女性であり、それが政治に関係すると碌な結果を生まないことは、『日本沈没と日本崩壊』に次のように書いておきました。
「・・・当時の米国の学生は一流はヨーロッパに行き、アジアに関心を持ち、留学する気になる者が変わり種扱いの時代で、日本は未だ辺境であり、冒険家の訪問先に属していた。だから、指導教授モーレイの下で、野外調査で訪日して、中曽根から紹介され、大分の佐藤文生議員の選挙活動に張り付き、観察記録をまとめただけで、カーチスは学位を得ている。
親分だったパッシンは、『代議士の誕生』と題した、カーチスの博士論文に、『あれは学問ではなく、土人部落の探訪記だ』と言ったが、それがJapanology(日本学)として通用していた。」
パッシンはスパイ要員として陸軍で語学を仕込まれ、戦後はGHQで働き日本文化の理解者になり、文学や語学の才能を生かし戦後の日米交流に貢献したが、ライシャワーの仲間でもある。パッシンは『古事記』や『源氏物語』を読み、TBSの初代編集長としてブリタニカ百科事典の日本語版を出版し、気を吐いた逸材だったが、話をカーチスの件に続けます。
「若い頃のカーチスはパッシンの腰巾着で、親分が鎌倉に行くと一緒について行った結果が、親分の折衝相手(深井武夫)を知りその娘を妻にしたが、津田塾卒のミドリさんは彼より遥かに優秀だった。日本学者の多くは日本女性を妻に持つが、ほぼ例外なく妻の方が良くできており、そのお陰で出世した例が軒並みで、彼は妻の貢献でコロンビア大教授になれた。・・・カーチスの同級生でコロンビア大で学び、ハーバード大の政治学部で教授だった、マイク・ブレーカーとは親しかったから、『理は利よりも強し』に対談が収録してある。カーチスの弱みをマイクから聞いていた私は、フィクサー役を演じ日本を食い物にした彼に、調子に乗るなとマイクを通じて言わせ、釘をさしたこともある。」
菅直人が首相だった時に、夫人同伴で訪米したが、菅信子は津田女子大の英文科卒で、ミドリ・カーチスと同窓だから、親友に会いにNYを訪れ、その時に菅首相はカーチスに取り込まれた。そして、CIAの軍門に下った菅は、右転回し増税路線を打ち出し、国民を裏切って下野した上に、前原や野田に党首を手渡して、民主党政権を自滅させた責任者です。
「将を討つには馬を撃て」と言うが、首相や大統領の背後にいる夫人や母親を攻略すれば、敵国を仕留める秘策だとは、歴史の教訓が教える通りで、その手口は情報機関なら熟知しています。また、首相だった小泉純一郎は、姉の小泉信子に指図され、姉が妻代わりだったことは、『小泉純一郎と日本の病理』に書いたが、小泉家は代議士が稼業だから、姉が弟を操縦したのです。
だから、次男の進次郎に稼業を継がせ、代議士にする目的に合わせ、マイケル・グリーンの手引きにより、カーチスに頼み込んで、次男はコロンビア大に入ったが、条件付き合格で英語学校で一年の特訓でした。笹川良一のポチだった、佐藤誠三郎の弟子のグリーンは、小泉進次郎を「大名の人質」と呼び、将来の首相候補として、呂不韋の「奇貨居くべし」に習い、日本支配への布石にしました。
だから、一年半後に修士号を貰い、次はグリーンが日本部長である、ジャパン・ハンドの巣窟のCSISに移り、イエズス会のジョージタウン大に米国探題として作られた、CSISで仕込まれ帰国しました。CSISはナチス思想を導いた、カールホッファー教授による、ドイツ地政学の普及のために、ワシントンに作られたシンクタンクで、その思想と内容については、『ゾンビ政治の解体新書』や『ゾンビ政体・大炎上』に詳述しました。
『理は利よりも強し』 太陽企画出版 (1999/1/1)
第4章 対米従属国家からの脱却 93-116 pp.
章頭列伝(2)マイケル・ブレーカーさんの酒脱性と観察力
変わらない日本の行動様式
日米関係は軍事同盟が基盤
まやかしのビンの栓理論
日本を危うくする数字への執着
無能な政治家と官僚
日本自立の基本条件とは
第4章註解
変わらない日本の行動様式
(前略)
藤原: 現在はどんなテーマに取り組んでいますか?
ブレーカー: 第二次大戦における日本の国際交渉が、どんな行動様式(ビヘイビア)をとってきたかという分析と、ある条件で日本はどんな反応をするかという問題です。
私の学位論文は戦前の日本の外交分析で、大量の外交文書を読んで比較検討しました。ワシントンが関心を払っているのは、戦前の日本と戦後の日本を比較した場合に、どれだけ異なった行動様式をとるかですが、結論を言えば少しも変わっていない。
内緒で教えますと、現在の日本はまったく同じパターンを繰り返し、アメリカ側として実に扱いやすい。しかし、日本側は読まれている事実にまったく気づいていない(笑)。
藤原: 過去の失敗の経験を教訓にしていないために、手癖の悪い猫がいくら手を叩かれても、台所の魚を盗もうとするようなものだ。かつての日本軍の敗北も、同じパターンの繰り返しがあってそれをアメリカ軍に見破られたためなんです。だから、この悪癖は他国に知られたくないですね。
問題はこの悪癖を日本人は招き猫の手と誤解し、幸運を招き寄せる福の神だと思い込んでいる点で、これが本当はとんでもない災難のもとなんです。(96-97 pp.)
無能な政治家と官僚
ブレーカー: 日本人は語学力に劣等感を持っており、交渉を進める担当責任者を択ぶに際して、言葉を上手にしゃべる能力を持つものが、有利な交渉をすると誤解している。
言葉をしゃべる能力が決め手でないことは、沈黙の提督と言われた加藤全権が、大局をとらえて決断する能力を発揮して、ワシントンで尊敬を集めた事実が証明している。
藤原: 加藤提督は原敬首相に見識と統率力を評価され、フランスのド・ボン提督も「かくも偉大なステーツマンで外交官でもあり、同時に卓越した船乗りの加藤提督を持つことは、国境と民族を越えた世界の海軍共通の誇りである」と称賛している。
誠実で責任感の強い人材は無言でしゃべり、眼力を備えたリーダーとして尊敬される。卓越した人物はすべてに勝る国の宝ですね。
ブレーカー:(前略) 加藤全権代表の沈黙は言うことの欠如ではなく、沈思黙考を背景にした決意を物語っており、指導者としての重みを伝えていたのでしょう。
藤原: 現在はあらゆる人間が発言しているが、次々と絶え間なく続く現代のおしゃべりは、空虚な思想と軽率な態度を示すに過ぎないし、思索と結び付いた沈黙はおしゃべりより雄弁だと言える。
ブレーカー: 昔の日本の代表には寡黙タイプのサムライがいて、人柄の上にそれが明白に浮かび上がっていたが、今時の日本の官僚は発言する内容がなくて、仕方なしに落ち込む沈黙と睡眠が目立つ。逆に、弁明するための熱心なおしゃべりも多いが、アメリカ人にとって重要なのは「言葉ではなく行動」だし、議論の場において論理の明晰さがキイです。(後略)(106-107 pp.)
日本自立の基本条件とは
(前略)
藤原: 自信や指導性の裏づけを保証するために、日本人は何をすべきだと考えますか?
ブレーカー: まず、政治家がしなければならないことは、自分を代表にした国民からの信頼の確保で、その基礎には自分は納税者である選挙民の利益のために、全力を尽くしているという意識が必要です。
藤原: でも、日本の政治家や官僚はお上意識に毒されて、官尊民卑のエリート意識で凝り固まっており、まったくその対極に位置している・・・・・・(笑)。
ブレーカー: 知っていますよ。だが、役人は民衆の奉仕者という精神が、近代社会の政治には不可欠であり、アメリカ人はそれが民主主義だと信じている。(後略)(110 p.)
マイケル・ブレーカー(1940年カリフォルニア生まれ) 南カリフォルニア大学卒業・コロンビア大学で日本の政治外交を専攻した政治学博士/コロンビア大学東アジア研究所の主任研究員/ジョージタウン戦略国際問題研究センター(CSIS)の日本研究部長/ワシントンのアメリカ平和研究所のフェロー。
著作として日本の国際交渉態度の研究を扱った、『根まわし、かきまわし、あとまわし』(サイマル出版会)が日本語に訳されている。その他に英語による論文多数。(前掲書 95p.)
(追記)
本書の副題は「経済破綻の本質と再生への処方箋」(DECONSTRUCTION AND RECONSTRUCT A GASPING JAPAN)となっているが、「gasp」には「求めてあえぐ、息を切らす、恐怖であえぐ、息が止まる」の意があると同時に、インターネット略(internet slang)の「gasp」は「 Go away, silly person! 消えうせろ、ばか!」の意で使われる。『G.A.S.P!! -Fighters’ NEXTream-』(ガスプ ファイターズ ネクストリーム:1998年発売/ニンテンドウ64/対戦格闘/コナミ株式会社)はその好例。(以上)
(追記2)
残念なことですが、準公人としての岸田裕子氏(1964年8月生)から私たち日本の民衆に向けてジル・バイデン合衆国大統領夫人(1951年 6月生:Dr. の尊称使用を求める人物※)との懇談等の成果についての報告はありませんでした。日本の外務省には配偶者外交の成果を自国民にいかにコミットさせるかという知識・見識・胆識を持っていただきと願っています。そのためにはこの手の配偶者外交の目的をはっきりと持つ必要があります。外務省が記載している「かつてない程親密かつ固い絆で結ばれていることを示すもの」との報告は、「gasp」と評価されても仕方ありません。
(追記3)
※ジル・バイデン氏が持つのは職業学位Ed.D.で研究学位Ph.D.とは別物。「教育リーダーシッププログラム」などの課程を置いている大学院で授与されている。日本では広島大学大学院教育学研究科博士後期課程人間科学専攻が、教職課程担当教員養成プログラムとしてEd.D.プログラムを設けており、同研究科で授与する、博士(教育学)の学位をEd.D.学位として位置づけている。彼女がデラウェア大学からEd.D.を授与されたのは2007年1月、55歳の時でした。論文名は『Student retention at the community college: Meeting students' needs』。低所得層の子らや若者への教育に関する知識・見識・胆識(行動力)ある人物です。(以上)
岸田裕子総理大臣夫人による米国訪問 外務省 令和5年4月14日
4月16日から18日まで、岸田裕子内閣総理大臣夫人が、米国を訪問する予定です。
訪問中、岸田総理大臣夫人は、ジル・バイデン米国大統領夫人と懇談等を行うほか、日米の友好・親善や文化交流の促進のため、関連施設の訪問や関係者と意見交換等を行う予定です。
今回の訪問は、バイデン大統領夫人からの招待によるものであり、岸田総理大臣夫人は同大統領夫人の賓客として迎えられる予定です。
我が国の総理大臣夫人が、米国大統領夫人の招待を受けて単独で米国を訪問するのは初めてのことであり、日米両国が、かつてない程親密かつ固い絆で結ばれていることを示すものです。今回の訪問を通じ、日米間の友好・親善の一層の促進が期待されます。https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_005837.htmlより転載
Visit to the United States of America by Mrs. KISHIDA Yuko, the Spouse of the Prime Minister of Japan April 14, 2023
From 16 to 18 April, Mrs. KISHIDA Yuko, the spouse of Prime Minister, is scheduled to visit the United States of America.
1.During her visit, Mrs. Kishida is scheduled to meet with the U.S. First Lady, Dr. Jill Biden. In order to promote friendship, goodwill and cultural exchanges between Japan and the U.S., Mrs. Kishida is also scheduled to visit related facilities and exchange views with peoples concerned.
2.This visit is at the invitation of First Lady Dr. Biden, and Mrs. Kishida will be her guest of honor.
3.This will be the first time that the spouse of the Prime Minister of Japan will make a solo visit to the U.S. at the invitation of the First Lady of the President of the U.S. It demonstrates the unprecedented close and firm ties between Japan and the U.S. It is expected that this visit will further promote the friendship and goodwill between the two countries. https://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_001371.htmlより転載
岸田首相夫人 ホワイトハウスでバイデン大統領夫人と懇談
(NHK 2023年4月18日 11時00分)
岸田総理大臣の妻、裕子夫人がアメリカのバイデン大統領の妻、ジル夫人の招待で17日、ホワイトハウスを訪れて懇談しました。
日本の総理大臣夫人が、アメリカの大統領夫人の招待を受けて単独で訪問するのは初めてだということです。
外務省によりますと、懇談は裕子夫人がたてたお茶を飲みながら行われ、そのあとバイデン大統領とも面会したということです。
さらに両夫人は、日米両国の友好を記念してホワイトハウスの庭に桜の植樹を行い、ジル夫人は「この木を植えることは両国の友好が末永く続くことの象徴です」と話していました。
外務省によりますと、裕子夫人はジル夫人に対し、5月開かれるG7広島サミットで、岸田総理大臣とともにバイデン大統領夫妻を迎えることを期待していると伝えたということです。
このほか、裕子夫人は、ワシントンにある名門ハワード大学も訪れ、日本語を学ぶ大学生14人と交流しました。
官房長官「日米友好親善の一層促進に資する訪問」
松野官房長官は閣議のあとの記者会見で、「わが国の総理大臣夫人が、アメリカの大統領夫人の招待を受け、単独でアメリカを訪問するのは初めてで、日米両国がかつてないほど、親密かつ、固いきずなで結ばれていることを示すものだ。日米間の友好親善の一層の促進に資する訪問だった」と述べました。
防衛費5年間で大幅増の43兆円、実際は60兆円近くに膨張 そのわけは…
(東京新聞 2022年12月31日 06時00分)
政府が2023〜27年度の5年間の次期計画で打ち出した防衛費の大幅増に関し、実際の規模は60兆円近くに膨れ上がることが分かった。政府は5年間の規模を43兆円としているが、それ以外にも、期間中に新規契約する装備品購入費で28年度以降にローンで支払う額が16兆5000億円あるためだ。保有を決めた敵基地攻撃能力(反撃能力)向けのミサイルや戦闘機などの高額兵器を一気に増やすことが影響しており、防衛費のさらなる膨張や予算の硬直化につながる恐れがある。 (川田篤志)
◆28年度以降のローン支払いが16兆5000億円にも
5年間で43兆円という金額は、政府が今月に閣議決定した安全保障関連文書の一つ「防衛力整備計画」で示した。現計画の1.6倍近い大幅増となる。内訳は自衛隊員の給与や食費など「人件・糧食費」11兆円、新たなローン契約額のうち27年度までの支払額27兆円、22年度までに契約したローンの残額5兆円となっている。
5年間に組む新たなローンの総額は、現計画の17兆円から43兆5000億円へ2.5倍にはね上がる。27年度までに支払う27兆円を差し引くと、16兆5000億円が28年度以降のローン払いで、政府が5年間の規模とする43兆円と合わせれば、59兆5000億円になる計算だ。
国の予算は、その年の支出はその年の収入や借金を充てる単年度主義が原則だが、高額な装備品や大型公共事業は1年で賄えないため「後年度負担」と呼ばれる分割でのローン払いが認められている。安倍政権はこの仕組みを使って、米国製兵器の購入を大幅に拡大させ、岸田政権も「防衛力の抜本強化」を掲げてその流れを加速させた。
積み残しの16兆5000億円は28年度以降に返済を迫られ、仮に28年度から5年間の防衛費が同規模の43兆円とすれば、4割弱をローン払いが占めることになる。その場合、新たに必要となる装備品購入にしわ寄せがいくが、防衛省の担当者は「試算では大丈夫だ」と主張する。
◆財務省「通常あり得ない」 防衛省、全体像示さず
一方、予算を査定する財務省幹部は「これだけ期間外のローン払いが膨らむのは異例で、通常はあり得ない」と懸念。防衛費の次期計画の上限額を前提とせずに、必要性を精査して圧縮していくべきだと訴える。
防衛省がホームページで公表する防衛力整備計画は30日時点で、16兆5000億円に関する記述がなく、国民に説明責任を果たそうという姿勢は見えない。
一橋大の佐藤主光もとひろ教授(財政学)はローンが重荷となり「次の計画で新しく買うべき装備品が買えなくなる可能性がある。そうでなければ年間の防衛費が国内総生産(GDP)比2%を超えて膨張する恐れもある」と指摘。ローンの財源や年1兆円強の増税方針について「政府は国民に全体像を丁寧に説明すべきだ」としている。
(追記)2021年5月30日
「夫婦揃って親バカ」裕子夫人は翔太郎氏の更迭を認めなかったと報道…“権力の私物化”に批判殺到
(女性自身 2023年5月30日 14時1分)
「昨年の行動が公的な立場である政務秘書官として不適切であり、けじめをつけるため交代させることとした」
5月29日、岸田文雄首相(65)の長男・翔太郎首相秘書官(32)が6月1日付で辞職すると発表された。岸田首相は記者団に対し冒頭のように語り、「任命責任は私自身にあり、重く受け止めている」と続けた。
翔太郎氏をめぐっては、5月24日に『文春オンライン』が22年末に首相官邸で忘年会を開いていたと報道。岸田家の親族が集まり、絨毯に寝そべる写真などが掲載された。当初岸田首相は更迭を否定していたが、世論がおさまることはなく、結局更迭となった。
「22年10月に首相秘書官に就任した翔太郎氏ですが、22年12月には翔太郎氏が民放記者に情報を漏らしているという疑惑が報じられました。今年1月には海外訪問の際に公用車で観光地を巡っていたという報道も。『税金で海外旅行に行っているのか』とネットでは批判が噴出していましたが、それでも翔太郎氏は辞職とはなりませんでした」(政治部記者)
これには、岸田首相の妻で翔太郎氏の母である裕子夫人(58)の意向が関わっているという。
「5月29日、『SmartFLASH』に掲載された記事によると、度重なる疑惑や不適切行動を受け、岸田首相は翔太郎氏の適正に疑念を抱くようになったといいます。しかしそれでも翔太郎氏が秘書官であり続けたのは、裕子夫人が翔太郎氏の更迭を認めなかったからだというのです」(前出・政治部記者)
世論を顧みず、息子の立場を守ろうとしてきたという裕子夫人。SNS上では、4月には夫人が全額公費で訪米外交したことを引き合いに出し、彼女を批判する声も続出している。
《そういえば裕子夫人も私人の設定なのに何故か公費でアメリカ訪問してたよな。岸田一家はみんなして公私混同の私物化か。もう岸田は責任取って辞めろとしか。》
《夫婦揃っての “異次元“ 親バカだったか…。》
《これじゃあ岸田家による権力の私物化じゃないですか。妻は政治に関係ないのに。しかもそれがこれまで通ってきたことが終わってる。》
《公費で米国行ったり、首相周辺の人事に影響力行使したりもうこれ首相夫人って公人ってことだよね?一般人にそんな権限無いもん》
子どもが幼い頃は“ワンオペ育児”をしていたという裕子夫人。手塩にかけて育てた翔太郎氏の将来を過度に案じる気持ちは、“親バカ”と顰蹙を買う結果になってしまった。
岸田首相「誠に遺憾、厳しく注意」 長男の公邸忘年会
(日本経済新聞 2023年5月25日 14:20 (2023年5月25日 21:15更新))
岸田文雄首相は25日、首相官邸で記者団に長男で首相秘書官の翔太郎氏を「厳しく注意をした」と語った。翔太郎氏は首相公邸で親族と忘年会を開き、賓客を招く場所などで写真撮影したと報じられた。「国民の皆さんの不信を買うようなことなら誠に遺憾だ」と述べた。
「緊張感を持って対応してもらいたい」とも発言した。更迭には直接言及しなかった。
松野博一官房長官は25日の記者会見で「報道にあるような行為は適切さを欠く」と言及した。「今後このようなことがないよう適切な使用、管理を徹底する」と強調した。
「年末の親族の来訪時のものであり、首相も私的な居住スペースにおける食事の場に一部顔を出し、あいさつした」と説明した。
「首相公邸は首相やその家族が居住する施設だが、首相の迎賓機能、執務機能を有する公的な施設だ」と触れた。翔太郎氏に関し「一層の緊張感を持って職務に当たっていく」と話した。
多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
原武史 放送大学 教授
(別の視点) 岸田派すなわち宏池会をつくった元首相の池田勇人は、公私の区別に厳格な政治家だった。池田は週末や休日になると決まって箱根の仙石原にあった別邸(近藤別荘)を訪れたが、ここを完全に私的な空間とし、家族だけの時間を過ごした。大臣や官僚、政策ブレーンらとはすぐ近くの箱根観光ホテルで会うようにした。ところがいまではオフの時間を東京とは別の場所で過ごすという習慣自体がなくなり、年末の休みに首相の一族が永田町の公邸で公然と「忘年会」を開くまでになっている。なぜ戦後政治はここまで変質してしまったのか。その一因がいわゆる世襲政治にあることは確かだが、きちんとした検証が必要ではなかろうか。2023年5月26日 9:11
コメント