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「藤原さんからの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。 山根治ブログ2024年5月27日号http://yamaneosamu.blog.jp/archives/24555103.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(88)です

 山根治さま

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 学位を取ってサウジで仕事し、フランスに戻り結婚した私は、カナダに渡り石油会社に勤め、早川聖氏に出会ったが、彼は横浜生まれの引退外交官で、興味深い秘話をたくさん聞いた。明治の横浜で生まれた彼は、貿易で財をなした豪商の息子で、横浜の太田町の屋敷で育ち、吉田茂の養父の隣家に住み、卒論にChristopher Marlowe論を書き、英語力で外務省に入った。

 彼が駐英書記官を拝命した直前に、日米関係が険悪になり、暗号解読の責任者として、極秘任務の担当になったが、その体験は貴重な資料だから、私は共著として何冊かを纏め出版した。この「聞き書き」体験が、私の対談人生の始まりで、暗号解読の仕事の話は、『インテリジェンス戦争の新時代』の中で、多くのエピソードと共に、貴重な証言の形で輝いている。

 十年近い聞き取り作業は、カセットで数十本に達したが、彼との出会いのお陰で情報力の訓練になり、私の歴史の検証に結ぶ形で、多くの秘史の記事が誕生した。 
 敗戦で外務省が機能停止になり、終戦連絡事務局に変ったので、彼は鈴木九万横浜支局長の部下として、横浜駐在の事務官を拝命し、興味深い経験を蓄積しているが、どれも秘史に属すタイプの情報だった。

 自殺し損なった東条英機を野戦病院に訪ね、天皇の見舞い品を届けた体験や、占領軍の重大な命令に驚愕し鈴木所長と対策を練った話は、第一次情報に属す逸品で、現代史懇話会の『史』に掲載した。占領軍からの「三布告」の話は、日本の運命に関わる命令で、GHQが対日政策として執行しようとした驚異的な内容の秘話であり、最初に英文を日本語にしたのは、担当した早川事務官だった。

 その内容は1):英語を日本の公用語にする、2):ドルの軍票をB円として通貨として使う、3):アメリカの軍法下(治外法権)に置く、であり、この得難い体験によって私の歴史感覚は鋭いものに鍛えられた。早川さんからの聞き書きは貴重な秘話の宝庫でもあり、その中の孝明天皇暗殺にまつわる話は、広橋真光伯爵からの伝聞だが、これを鹿島昇に教えたら喜び、『裏切られた三人の天皇』の中で役に立った。

 広橋真光は内務官僚として、戦後は千葉県知事をやった人だが、父親の広橋賢光は華族(名家)で、岩倉使節団のメンバーだったし、宮中に詳しい事情通であり、内務省の高級官僚として活躍した。早川さんの人脈は広く、戦後は役人を辞め天下りしジェトロに勤務してから、カナダで隠棲を楽しんでおり、甲斐文比古ドイツ大使始め、島津久大駐カナダ大使や、牛場信彦駐米大使などがポン友だった。

 しかも、カルガリー大学の聴講生として大学院で英文学を勉強するし、世界中を旅して歩くという具合で、こんな高等遊民に出会い親しく付き合って貰えたのは、三十代の私には実に得難い家庭教師だった。戦時中から敗戦後にかけて日本の政治の中枢に位置し、その先端で仕事をしていた人から、生きた体験談を聞くことは歴史教育として最高で、彼は吉田茂の部下で隣人でもあった。

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 吉田茂がクリスチャンであり、英国と深いつながりを持ち、それが日本の運命にとって実に意味深長であるかに関しては、幾つかの記事で論じたが、『日本の沈没と日本の崩壊』に要領良く纏めた記述がある。幾冊かの歴史書の記述と共に、早川さんの「聞き書き」を含め、それらを組み立てたものがこれから展開する記事だが、教科書に書いてないけれど、知っておくだけの価値は十分にある。

 <・・・吉田茂は横浜出身の元駐英大使で、敗戦直後の日本の政治において、ワンマン宰相として長期政権の首相として君臨し、元勲の大久保利通の外戚だが、その正体は謎に包まれている。吉田茂の養父の吉田健三は越前藩士の渡辺謙七の三男で、幕末に長崎で蘭学を学び英国に密行して留学し、帰国後は横浜の「英一番館」で働き、ジャーディン・マセソン商会の支配人になった。
 ジャーディン・マセソン商会は、広州を始め香港や上海を舞台に、アジア貿易で富を蓄積していた英国に本社を持つ貿易商社で、前身は東インド会社であり、アヘン戦争の主役の過去を持つ。坂本竜馬で知られたトーマス・グラバーも、この会社の長崎代理店に勤めていて、武器や船舶の取引を行い、「長州ファイブ」や薩摩の若者が英国留学するのを手伝っている。
 支配人を辞めた吉田健三は独立して貿易で財を成し、横浜の豪商として成功しており、土佐の民権活動家の竹内綱から養子として、引き取ったのが外交官から首相になった吉田茂だ。また、吉田の妻の雪子は牧野伸顕の長女で、米国で中学を出た牧野の役割は、天皇の補佐をする内大臣として、戦前の政治の背後で重要な役を演じ、その影響で吉田茂は首相になった。
 牧野伸顕は大久保利通の次男で、外交官から官僚政治家になり、文部大臣や農商務大臣を歴任した後で、枢密顧問官を経て宮中に仕え、戦前の歴史に影響を残している。吉田は英米協調路線を推進し、ヨハンセン・グループの背後で、東条内閣の打倒運動を支え終戦工作に協力しており、鹿児島の加冶屋町出身の牧野は右翼や軍部に狙われていた。・・・
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 吉田健三の巨大な財産は生糸の輸出貿易で作り、『日々新聞』の経営に参加したが、隣人の早川聖の父親はお茶の輸出で財を成し、『神奈川新聞』を起こし開港場の横浜の名士として君臨した。だから、息子の早川聖氏も外交官からジェトロのトロント支店長を経て、隠棲地のカルガリーで私に出会い、興味深い体験を物語ることで、門外不出の秘密の体験が活字として記録に残ったのである。

 早川さんを月に数度だが我が家に招いて晩餐を共にし、彼の体験談を録音したが、ある時シェクスピアが話題になり、文体からはChristopher Marloweでなく、シェクスピアの正体はオックスフォード伯爵だと論じた。私は英文学は苦手だがシェクスピアに別人がいて、フランシス・ベーコン説は知っていたが、オックスフォード伯爵の名は初耳だから当惑していたら、次の週に大学教授を連れて来た。

 ゼミ仲間だと紹介されたのが、ケンブリッジから来た研究者で、シェクスピアについて、話を聞かされたが珍紛漢紛で、私の実力不足のために、別人説の話にはとても至らず、非常に恥ずかしい思いを体験した。だが、Stratford –upon-Avonの町に訪問した日本人の話が出て、それが福田恒存の一行で珍道中だったとの話になり、早川さんが日本訳ではシェクスピアは味わえないと嘆息した。

 それから話題に花が咲き、賑やかな演劇論が始まり、ギリシアの古典における悲劇の意味論を理解できないために、日本語版の「三大悲劇」には意味不明の訳文が多く、ぶち壊しであると早川さんが嘆いた。ギリシア悲劇のChorus (Khoros)は劇の背景や要約を伝え、恐怖心などの心理効果を狙って、観客がどう反応するかを導く、代弁を解説する朗読だのに、それを理解せずに合唱をし始める。

 だから、福田恒存の演出では、朗読の代わりに合唱になり、日本版の舞台作りだからとても満足できるものでなく、「グローブ座」の雰囲気に程遠い、田舎芝居で終わるのだと実に辛辣な言葉が流れ出た。それを聞いて思い当たり、『文芸春秋』の誌上において福田恒存と森嶋通夫の二人が、防衛論や国防論を扱い熾烈な論争をしていたので、良いヒントを得たと私は考えた。

 私が小池百合子をからかった1980年代の日本を思えば、当時は保守と革新の形で、福田恒存と森嶋通夫の論客が論争を展開していたから、私はロンドンに国際電話をして、愚劣な防衛論より演劇論に変えろと、森嶋教授を声援した日が懐かしい。現在はオタク族が蔓延し報道番組までがエンタメ化し、芸人がコメンテーター役を演じ軽率な発言を撒き散らすが、四十年ほど前は教養ある人が誠実な態度で真剣に議論を行い、言論界には緊張が漲っていた。

 だが、中曽根バブルが弾けてデフレの三十五年が過ぎ、小泉と安倍のゾンビ政治で日本は暴政に踏み躙られ、腐敗した政治のために貧困と格差の支配が続き、亡国状態に陥ってしまった。そして、国政は支離滅裂であり、都政も大阪府政も伏魔殿で、腐敗は紊乱状態を呈し手の付けようがないし、都知事の学歴詐称事件が国際問題に発展しても、その犯罪性を誰も危惧しようとしない。

 投資経済の資本主義が終わり、投機経済からポンジ経済を経て、時代は大きな転換期を迎えパラダイムシフトが接近し、行く手にカタストロフが待ち構え、これからどうなるか不明である。中世から近代に移行した、エリザベス一世の時代に現在が相当しているなら、宗教戦争の混乱の次に来るのはウエストファリア条約か、海賊が跋扈する時代だろうが、歴史の相似象を思えば気が重くなる。17世紀と21世紀の冒頭は四百年の時間差があるが、これは八百年周期の半分だし、ゴンドラチェフの12回分で、何となく不吉だとはいえ似たような現象が見え隠れする。 

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 英国の歴史を学ぶ時には、時代の華がエリザベス一世の治世で、演劇のシェークスピアが活躍し、哲人フランシス・ベーコンが新時代の思想を展開して、北方のルネッサンスを謳歌した。また、日の沈まぬスペイン帝国には、私掠船団でアルマダ艦隊を撃滅し、海賊の全盛時代を確立しており、オランダから制海権を奪い植民地帝国の基盤を築き、近代の夜明けをパックス・ブリタニカに結び付けたと学ぶ。

 高校生時代に学んだ世界史で、英国の歴史が嫌になったのは、複雑なヘンリー八世の家系図が頭を混乱させただけでなく、エリザベスとメアリーの残酷な相克が、良く理解出来なかったからである。カトリックとプロテスタントが対立し、殺し合いをした時代性は、ヨーロッパ史の理解上のガンであり、エリザベスとメアリーが殺しあう悲惨な関係で争い、連合王国を作り上げる歴史には吐き気がした。

 しかも、エリザベスの父親ヘンリー八世が、妻との離婚をするために国教会を作って独立した話は、日本史の南北朝と同じで人間の醜さを象徴しており、それは阿修羅が支配する世界だ。ヘンリー八世には六人の妻がいて、最初の妻は兄の嫁の未亡人で、スペイン王フェルナンド五世の妹だが、二番目の妻アンはエリザベスの母であり、フランス王ルイ七世に嫁ぎ、三番目の妻のジェーン・シーモアはアンの女官で王に見初められたが、不品行な二人の兄を持っていた。
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 四番目の妻アンはジェーンの死後にヘンリー八世に嫁いだが、半年で離婚してスコットランドに戻り、五番目の妻キャサリンは三十一歳年上の王と十八歳で結婚し、不貞の罪で処刑されてしまった。六番目の妻キャサリンは二度の結婚歴を持つ寡婦で、老いて気難しいヘンリー八世に仕え、王の死後はトーマス・シモアと再婚したが、トーマスが当時十四歳だったエリザベスの処女を奪う、スキャンダルに巻き込まれた。

 しかも、エリザベス一世は処女王と呼ばれ、正式な結婚は生涯していないが、実は恋多い女性としての人生であり、気に入った若い貴族を相手に熱烈な恋愛関係を営み、それは歴史書にも記録されている。寵臣のRobert Dudley(1st Earl of Leicester)とその親密関係が有名だったが、幼馴染の彼を主馬頭に任命し、同じ生年月日のよしみもあり、わざわざ女王の寝室の隣に彼の寝室を設けたほどで、最愛の恋人として寵愛していた。
 
 また、33歳も若い廷臣Robert Devereux (2nd Earl of Essex)も女王の愛人として知られ、大蔵卿のRobert Cecil(1st Earl of Salisbury)に反抗して、クーデタ未遂罪で処刑されている。ヨーロッパ各国の王族から、彼女に結婚の申し込みがあり、メアリー一世の夫フェリペ二世や神聖ローマ帝国の三男とか、フランスのシャルル九世などより取り見取りだったが、彼女は求婚を断り続けた理由が「私は英国と結婚した」である。

 ここで愛人の捜索は打ち切り、話をシェークスピアに移し、彼の正体がフランシス・ベーコンで、ベーコン卿が偽名で作ったものが、シェークスピアの作品として発表されたという話に到達する。すると、この話は大飛躍を果たし、ベーコンがエリザベス一世の庶子で、彼女が28歳の時に生んだ子であり、ベーコンの実の父親は重臣のWilliam Cecil (Baron of Burghley)で、父とされているSir Nicholas Baconではない。

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 この説を主張しているのは評論家の副島隆彦であり、彼は『ヨーロッパの王と大思想家たちの真実』の中でこの説を披露しているが、出典を明示していないけれど、映画に詳しい彼らしい推察である。
 <・・・周りに愛人になる青年貴族たちが現れた。エリザベス一世は7-8人、青年貴族を次々に愛人にしている。この事実は今では隠されていない。Q. E. 一世を描いた映画の中にも、彼ら取り巻きが出てくる。海賊上がりのあのキャプテン・ドレークも愛人の一人だ。・・・一時は愛人にされたけれど、彼女に厭きられて捨てられた貴族が暴れだし、嫉妬に狂い反乱を起こそうとして、捕まえて処刑にされたりした。これがエリザベス女王の真実だ。・・・>

 副島の論証を詳述すれば、どうしても映画の引用になり、二次情報の印象が強いが、筋道としては興味深いので彼の考えの枠組みを示せば、以下のような筋書きになる。登場人物が錯雑としているために、分かり難い感じがするが、英国史では普通であるから、そのまま引用してみるけれども、面倒だと思う人は読み飛ばし、次に移って貰って結構である。

 <セシルはエリザベスの父親、ヘンリー八世を操り続けたトマス・クロムウェルに能力を認められて、這い上がった男だ。元は貴族ではなくて、ジェントリー(郷紳)階級だ。だから、庶民院(House of Commons)の議員でしかない。それでもプロテスタントとして、人文主義者の勢力としてエリザベス女王を支えて、横にべったりとくっついた。国王秘書長官として、それから死ぬまで大蔵卿をした。だから、国家の資金を全部握っていた。

 このウイリアム・セシルが、エリザベスの秘密警察長官であるウォルシンガム卿を忠実な部下にした。このウォルシンガム卿が、カトリック側のスパイで潜り込んできたカトリック神父たちを捕まえて、逆さ吊りの拷問にかけた。このシーンはエリザベス女王を描いた映画によく出てくる。・・・非情なウォルシンガム卿が、少年のころから育てたのがフランシス・ベイコンだ。だから、ベイコンは暗号で文章を書いたり、二重人格に成りきる訓練を受けている。だから、シェイクスピアという劇作家にも、成り代わることも出来たのだ。

 もとより、ベイコンはエリザベスとW.セシルが作った子供だ。だから、可愛いに決まっている。だから、エリザベスがその後何人もハンサムで格好の良い、貴族の男を愛人にして、”男女の愛”を謳歌するのをセシルは許していた。・・・エリザベスを守って女王にしたこのセシルたちが、その後の四十年の勝ち組なのだ。負け組になった代表がこのセシルによって処刑された、ジョン・ダドリー卿(john Dudley)だ。・・・十四歳のエリザベスを犯したトマス・シーモアが、余りにもあっけらかんとしてバカだったから、それを処分した実の兄のエド・シーモア陸軍卿を、さらに処刑したのがジョン・ダドリー卿だ。それを権力闘争で破って処刑し、セシル卿が権力を握った。・・・
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