ピーター・ドラッカー教授

「藤原さんからの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。 山根治ブログ2024年8月8日号https://yamaneosamu.blog.jp/archives/25242607.html)ら転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(93)です

 山根治さま

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公開メール(133)にあった、『Idealtypus的概念構成の認識論的定礎』━━ KantとWeber ━━を興味深く読み、長らく忘れていた上原専禄先生を思い出した。

 私が中学一年生の時の社会科の教師が、『漱石全集』の中から「硝子戸の中」や「倫敦塔」などがある巻を渡して、これを読み給えと言われ、彼とはその後も親しく付き合いを保った。高校生の終りか大学生の頃に、この三橋先生が上原の本を手渡し、これで歴史感覚を磨けと言われたが、大兄のと題する小論を読み、大兄の卒論がシュンペーターの経済発展論だと知り、懐かしい雰囲気を思い出した。

 上原専禄はウィーン大学に留学し、中欧の雰囲気を十分に湛え、一ツ橋での彼のゼミに入るためには、ギリシア語の素養が必要であり、独特な学風を持つことで知られていた。スイスとオーストリアには、アルプスの雄峰が聳え立ち、その西方の延長のフランス・アルプスは、若い私には聖地みたいなもので、いつかアタックしたいと憧れていた。

 しかも、シュンペーターの周期論が好きで、私も繰り返し愛読したものだが、ドラッカーの『Adventure of Bystander』が座右の書で、第一次大戦前後のウィーン学派の発想が好きだった。ただ、Bystanderの意味が分からず、江戸っ子風に反骨精神と理解して、アウトサイダーと考えたのは、コリン・ウィルソンの影響であり、『敗北の時代』や『アウトサイダー』の読みすぎだろう。

 この違いに気づかされたのは、ドラッカー博士に会ったお陰で、『【聞き書き】名人芸に挑む』にそのことを書いた通り、そこには微妙な違いがあって、成程と感心させられたものだ。ダイヤモンド社の斎藤さんと対談し、その記事の【休憩室】に書いたが、こんなエピソードがあって、私は言葉の意味を知ったので、還暦以後はアウトサイダーからバイスタンダーに転換した。

 「・・・この対談の中で触れているが、『傍観者の時代』という題名に斎藤さんも違和感を抱き異議を唱え、これが響きの悪い日本語と言い、適訳がないが「観察者」だったら、もっと売れたと述懐していた。私もBystanderに対して、正しい意味を知りたいと思い、色んな辞書にあたってみたのだが、「グループの状態の傍観者」とか「状況の全体像を把握する人」くらいしか、残念だが見附け出せなかった。

 それでも単なる観察者や傍観者ではなく、集団の周辺部に位置しているが、問題解決や意思決定をするに際して、貴重な洞察や助力を提供する、助力者や緊急支援者を思い当たった。ドラッカー博士に会った時に、『Adventure of a Bystander』は愛読書だが、日本語訳の『傍観者の時代』は、しっくり来ないと言ったら、丁寧に次のように説明して貰い、バイスタンダーの意味が明白になった。

 当時は用語のマネージメントさえ、未だ広く普及していなかったし、コンサルタントの役目や意味も未知数で、本の題名に顧問は不適切だから、苦肉の策で傍観者になったらしい。実は話の起源は『聖書』にあって、「善きサマリア人の法」に由来しており、これは欧米の法体系において、緊急の場合の誠実な行動や措置は、免責であるという話を説明してくれた。


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 若い頃は風来坊的だったから、私は登山に明け暮れており、北アルプスの穂高に入り浸りで、密教や巡礼に興味を抱いて、仏教関係の本は読んでいたが、キリスト教には関心がなかった。「だから、私はバイブルに不慣れで、新約の『ルカ伝』も未読だが、「善きサマリア人の法」についてはウイキペディアには次のように、物語りとして書いてあるから、以下にそれを引用する。

 <・・・ある人がエルサレムからエリコへ下る道でおいはぎに襲われた。おいはぎ達は服をはぎ取り金品を奪い、その上その人に大怪我をさせて置き去りにしてしまった。
 たまたま通りかかった祭司は、反対側を通り過ぎていった。同じように通りかかったレビ人も見て見ぬふりをした。しかし、あるサマリア人は彼を見て憐れに思い、傷の手当をして自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き介抱してやった。翌日、そのサマリア人は銀貨2枚を宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もし足りなければ帰りに私が払います。・・・>

 「それと共にドラッカー博士は、飛行機の中で急患が発生した時に、ドクター・コールが行われる例を引き、その時に支援を申し出る立場が、バイスタンダーの自分だと解説した。そして、博士の日本での体験によれば、日本人の性質は「善きサマリア人」で、だから彼は日本人が好きなのであり、そこがチャイニーズと違うと言って、あの柔和な微笑を浮かべたのである。

 私は彼の善良な微笑に見とれ、こんなバイスタンダーに愛されて、戦後の復興を成し遂げた日本の価値が、善良さと勤勉に支えられたと痛感し、日本人であることを誇りに思った。そして、その意味で私が歩んだ人生が、アウトサイダーよりバイスタンダーであり、ドラッカー博士の仲間に近いので、この時から私はガイア・ドクターを名乗って、対話や執筆活動を続けてきたのである。


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 『傍観者の時代』を読んだ私は、山で遭難して半身不随になった親類の伯爵が、第一次世界大戦前の社会主義に希望を託し、平和を希求していた話を読み、強い感銘を受けたのだった。しかも、フロイトやポランニとの交友の記録などは、ウィーンの上流ユダヤ人社会の雰囲気が、実に生き生きと描写していて、特にポランニ兄弟との付き合いで、カール・ポランニの『大転換』について触れた次の記述は、経済についての発想に影響を受けた。

 同じドイツ語圏に属しても、プロイセン的な北方ドイツより、地中海的なオーストリアの雰囲気の方が、私には波長があった関係で、カントやヘーゲル的な硬い発想よりも、ポランニやドラッカーに親しみを感じた。また、思想家としてのマルクスに対しては、『資本論』の経済学者より、エピクロスを論じた哲人肌に、より親しみを抱いた私は、経済学を詐欺の手口だと軽蔑し、余り親しみを抱かなかった。

 それにしても奇妙なもので、エネルギー問題を扱った関係で、メディアとは経済部の人と親しくなり、講演のテーマも経済関係が多く、いつの間にか仲間扱いされた。だが、私にはカネを巡る数値よりも、水のように動きまわって変わる、エネルギーとしての姿の方が、興味深く思われたために、経済学には余り親しめなかった。

 『アポロンのコンステレーション』に書いたが、ポアンカレ―を話題にしたお陰で、大学院での生活を体験したし、そのバックに『科学と仮説』があり、彼に導かれてサイエンスをする人間になった。その意味ではカントやデカルト抜きで、科学や哲学に接近して、数学の世界にも親しんだが、私は形にこだわる幾何学派に属し、ピタゴラスが尊敬する師匠である。

 幸運にも当時のグルノーブルには、東大の野崎先生が客員教授で、コンピュータ言語の研究をしており、彼とパイの話を中心にして、数学について議論して貰えた。浩瀚な『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を翻訳し、論理学に詳しい野崎さんを相手に、ギリシア文明について学べ、私は青春時代を有意義に過ごしたが、彼は詭弁学の大家でもあった。 

 しかも、嘘や誤魔化しをしないと誓い、秘密には直接触れないために、メタファーやメトニミイに親しみ、相似象の持つ秘密として、比率を知るためにフィボナッチ数列に慣れた。その行きつく先にあるのが、ポアンカレ予想だから、それを暗中模索していたら、ホロコスミックス理論が生まれ、ヒポクラテスの故郷のコス島に辿り着いた。

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/la93w.htm

 そこに導いたメンターは藤井尚治博士だし、彼に師事した結果としては、『間脳幻想』が誕生しており、医療の歴史に精通したお陰で、徳田虎雄を相手に気軽に付き合えた。確かに「生命だけは平等」だし、治療も予防も大切であり、クリニックに陣取る藤井さんは、大病院を展開した徳田に比べ、静と動の違いを持つ指導者だった。

 医師会の総帥の武見太郎は、藤井先生の患者であり、先生の提言に従っていたが、徳田虎雄は医師会と対決し、突破口を開く荒武者で、最後は筋肉が動かなくなった。藤井先生は最後まで元気で、「毒舌を守る会」まで誕生し、眠るような涅槃で終わったが、二つのタイプの医師と知り合い、私は人生で色んなことを学んでいる。

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 今はパリで五輪大会が開かれ、ポリコレで物議を醸すが、私のオリンピック体験を描いた、『Mountains of Dreams—-Once upon an Olympian Time』には、裏表紙とPostscriptに、次のような記述がある。Postscriptに書いたのは、ドラッカー博士への追悼で、彼から学んだことに関して、次の言葉を刻んでいるが、詳しい前後関係については、『【聞き書き】名人芸に挑む』の第一章を参照されたい。

 < Furthermore, in the area of economic theory, I was attracted to the innovation theory of Josef Schumpeter (1883-1950). In essays I wrote in criticism of economics, I combined Schumpeter’s theory with Derrida’s deconstruction theory, and added in the ideas of Peter Drucker (1909-2005).
 It was delightful that with only an hour’s drive by car I could meet the author of Adventures of a Bystander and taste Europe’s intellectual atmosphere.

 Californian pop culture does not suit a near sixty year-old who meditates part-time. But it has been my great pleasure to talk with intellectuals in Claremont and Pasadena who enjoy discussing Trevanian’s neat and deep expressions.

 In his novel ‘Shibumi’, Trevanian writes: “Shibumi is understanding, rather than knowledge. Eloquent silence. In demeanor, it is modesty without prudence. In art, where the spirit of shibumi takes the form of sabi, it is elegant simplicity, articulate brevity. In philosophy, where shibumi emerges as wabi, it is spiritual tranquility that is not passive; it is being without the angst of becoming.” Trevanian is very insightful, and I am very happy to exchange ideas about him with interesting people.
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 また、裏表紙には2007年の時点で、翌年の北京五輪を控えて、次の予言を小さく書き込んでいるが、その十年後の2018年には、不動産バブルが弾け始め、コロナ騒動を前にした形で、中国経済の崩壊が始まった。その名残は現在に続いており、ウクライナ戦争に続く形で、EV自動車の墓場の出現や、大洪水の発生に見るように、ゼウスの神の怒りは激しく、これからどんな形をとって、破断界が訪れるかは見当がつかない。

 <・・・The Beijing Olympics give the deja vu sensation of the 1936 Berlin Olympics and the 1980 Moscow Olympics. Nazi Germany and the Soviet Unions were military-oriented authoritarian regimes and nationalistic states like China is today. Both one-party undemocratic states collapsed and disappeared within ten years after their Olympic pageants. The history of the twentieth century teaches us that the Olympics are meant to be a coming-out party for emerging countries. The Olympic god Zeus does not accept Olympic festivities with authoritarians and warmongers. ・・・>

 次回は再び徳田虎雄について書くつもりだ。

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