「藤原肇さんからのコメント・メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知ることができます。 山根治ブログ2024年11月19日号https://yamaneosamu.blog.jp/archives/26160312.html)から転載させていただきます。「人生は短く、人為は長く、機会は逃げやすく、実験は危険を伴い、論証はむずかしい。医師は正しと思うことをなすだけでなく、患者や看護人や外的状況に助けられることが必要である」“Life is short, and Art [of medicine] long; the crisis fleeting; experience perilous, and decision difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself, but also to make the patient, the attendants and the externals cooperate.” と例えられるアフォリズムがお二人の交流から伝わります。
コメント・メール(104)です

 山根治さま

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 衆議院総選挙が終わって売国奴の巣窟の自民党が惨敗し、裏金議員の多くが落選したが、反日邪教の統一教会と結んで、日本の誇りを叩き売った売国議員の大掃除は実現しなかった。政権与党の自民党総裁が、カルトの広告塔の役をし売国行為に励む以上は、国政が乱れ亡国に至るのであり、国賊の安倍チルドレンが落選して、サル以下になって当然だし、監獄に行っても当然だった。

 だが、検察は腰抜けになり果て、ウラ金や脱税が明白でも、犯罪で起訴する意欲もなく、犯罪議員を放置しているために、国会は汚職の鉄火場になり、議会制度は崩壊してしまい、日本は法治国家ではなくなっている。国賊の頭目だった安倍の後を継ぐ、萩生田や高市などの国賊は再選され、無傷なまま政界に復帰しており、今後も売国行為を実行して、日本の誇りや国益を損ない、国賊路線を推進しようと虎視眈々だ。

 それにしても、自公体制の崩壊が始まり、四半世紀続いたゾンビ政体が、これから雲散霧消への道に向かう転換点として、2024年10月の時点は、日本の戦後政治のKPI(戦略的分岐点)になった。それは戦後の世界史で1989年が、歴史の転換点として極めて重要な意味を持つように、目の前で進行中の出来事が、如何に重要かを知る上では、歴史感覚における叡智に関わっていた。

 20世紀には世界史上の大事件が二つ起き、一つは社会主義国家群の誕生で、もう一つはその体制の崩壊であり、歴史的実験の新体制が消滅したのが、世紀末に近い1989年だった。年頭に昭和天皇が崩御し昭和が終わり、続いて中国では天安門事件が起き、東中欧の共産圏ではドミノ式に政権が倒れて、ベルリンの壁が崩壊し、歴史的な事件の続発で、末世の襲来に地上は震撼した。

 この現代史の破断界に注目し、シンギュラリティとして捉え、そのドキュメンタリーをまとめ上げて、『1989年』の題で新書の形で、世に問うたのが竹内修司であり、その件は前々回の記事に書いた。歴史は繰り返すというより、韻を踏む性格を持つのだが、144年のほぼ四分の一である36年後の2024年に、KPI(戦略的分岐点)が位置し歴史が変わる点で、波動が持つ周期性は興味深い。

 1989年の激変を転機に歴史が急変し、社会主義体制の解体とソ連の崩壊で、冷戦構造が消滅したのであるが、そのインターメッツォ(間奏曲)として、1990年7月に湾岸危機が起き、イラク軍がクウェートに侵攻した。八年続いたイラク=イラン戦争で米国はイラクを軍事的に支持したが、戦費はイラクの負担であり、大量の負債を抱え込んだので、その債務処理に悪戦苦闘したことについて、国際世論は次のように報道した。

 <・・・イラクはその国家収入の大部分を石油収入に依存し、債務の返済及びイラン・イラク紛争の戦後復興の財源を確保するために、石油価格の高値維持を重視していた。だが、7月に入り原油価格はバレル18ドルから12ドルに下落した。イラクは価格下落はクウェートの過剰生産だと非難し、巨額債務の帳消しを求めたが、クウェートが根拠がないと反論したので、イラクの機甲師団はクウェートに攻め入った。・・・>

 これは表面的な観察であり、事件にはより深い原因があるのに、ジャーナリズムが好んで使う筆法だから、現場体験を持つ私は深堀りし、紛争の歴史的背景を描き、影響力を考えて『文芸春秋』に寄稿した。続いて紛争の原因には、クウェートの石油盗掘があり、それが軍事行動を生んだと分析し、その記事を大急ぎで送ったら、連載を頼んでいないと断られたが、それは前回に書いた通り非常識だった。

 しかも、湾岸戦争が始まる直前の89年末に、『湾岸危機』が出版されたが、僅か半年の期間に七編の記事を執筆したのは、驚くほどのエネルギーであり、今ではとても真似が出来ない。前回の記事に書いたことだが、1989年の仕事の量と質の充実は、偶然というよりも天命に近いもので、もし現場体験がなかったならば、これだけの内容は不可能であり、私のオイルマン人生における絶頂期を飾る仕事は残せなかった。

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 しかも、1980年代にピークオイルが訪れ、石油ビジネスが衰退するという、King Hubbert博士の仮説に対しては、天然ガスに移行した後で、最後は水素になると私は信じていた。だから、その点で実に楽天的であり、馬やT型フォードに乗り荒野を駆ける、カウボーイ的なワイルドキャッター(山師)の仲間で、牧歌的な気分に支配されたまま、新時代の到来を私は予想しなかった。

 だが、1970年代に本格化した集積回路は、フェアチャイルドからインテルを経て、シリコンバレーに繫栄をもたらし、その影響は太平洋を渡り、1980年代に半導体の問題で日米貿易摩擦が始まった。それを日米経済戦争と考え危険とは感じても、米国が日本を本気で敵国扱いすると予想せずに、私は迂闊にも傍観していたが、米国は本気で対日戦略を作り、本格的に日本潰しに取り組んだ。

 1982年には日立の社員がスパイ容疑で逮捕され、1987年にはDRAMで世界一の東芝が、ココム違反容疑で摘発されたが、プラザ合意に続いて攻略は続き、反日機運が盛り上がったのは、あの騒乱が続いた1989年だ。アメリカ人が製品を評価し愛用した、ソニーの盛田昭夫社長が血迷って、国粋タカ派の石原慎太郎と共著で、『Noと言える日本』と題した愚劣な本を出す過ちを犯し、アメリカ人たちを激昂させていた。

 石原慎太郎は挑発発言を繰り返し、顰蹙を買っていた政治家だが、盛田がこんな愚劣な男を相手にして、微妙な時にアメリカ人に向け、逆鱗に触れる行為を犯したのは大失敗だった。単細胞の石原は勢い余って、「日本がソ連に対し先進的な半導体を供給すれば、冷戦の軍事バランスを崩せる」と口を滑らし、言わずもがなの挑発をしたので、アメリカ人は激高して日本を敵視した。

 だから、米国はイニシアチブを発動し、日本に対し殲滅の大戦略として、それを「対日要望書」の体裁を取る形で、日本政府に突き付けたが、それを日本側は誤訳を試み、「日米構造協議」の名で胡麻化した。これは意味論的に言えば、正しくないだけでなく、意図的な欺瞞行為に属しており、詐欺に等しい不正だから、『小泉純一郎と日本の病理』の第四章に、私は次のような説明を書いた。

 <・・・アメリカの政治概念で「イニシアチブ“Initiative”が意味することは、「第1オーダーの戦略次元での対外政策」を指し示す。だから、アメリカは日本と「協議」するつもりで、SII(Structural lmpediment's lnitiative)を発動したわけではない。しかし、日本側は「日米構造協議」というインチキな役人言葉でごまかし、新聞もテレビも雑誌も単行本においても、横並びでその言葉を使用してしまったために、わけが分らなくなってしまった。
 それはdivisionを区画、株分け、割り算と訳して、軍事用語で師団であることを見落としていると、正確な概念が捉えられないのと同じで、大文字で書くInitiativeの戦略的な 意味が見失われてしまうのである。・・・日本経済を攻略するためにSIIを発動したと考えて、それを迎え撃つ戦略を構想すべきだが、政府や霞ヶ関に秀才型は多いのに、それを理解する人材がいなかったのは、ウソの逆噴射の恐さへの無知があった。・・・
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 世紀末にがあり、インターネットの普及と共に、 GOOGLE社の創業に続く形で、半導体の進歩が情報革命の本格化を促し、電子産業に優秀な人材が雪崩を打って押し寄せた。世紀末に還暦を迎えた私は、現場を離れて自由になり、旅に明け暮れる漂白人生を楽しんだが、時代遅れになるのを防ぎ、耄碌しないで生きるために、半導体について改めて学び直そうとした。

 学位を取った後で就職し、中東で水を掘った体験後に石油の重要性に目覚め、カナダに渡り石油開発会社に勤めて、資源探査衛星の写真を使い世界中の地質を調べ、構造解析をする仕事に従事した。写真解析のフィルターに異なる周波数の波動を使い、赤外線やX線を用いたので、装置に半導体が加わるから、電磁波特性を学ぶことが必要になり、半導体についての知識が増えていった。

 1979年に米国に移住し石油会社を作った話は、『地球発想の新時代』に書いたが、その間にシリコンバレーが発展し、1980年代の後半に砂漠好きな私は、パームスプリングスに家を買い、カリフォルニアの住民になった。当時はアップルの創業期でLisaは一万ドルもしたが、それでパソコンに親しみ、新時代の夜明けに遭遇し、ジャーナリストの仕事を通じて、半導体の進化を肌で感じ取った。

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 牧本次生博士は私より一歳年上だが、1959年に東大工学部を卒業し、日立に入り現場で鍛え上げて専務になってから、ソニーにスカウトされ顧問になり、「半導体のレジェンド」と呼ばれた人だ。彼は『Digital Nomad』や『日本半導体物語』を書き、それを読むと半導体の歴史が良く分かるので、若い世代にぜひと推薦するが、戦後の日本経済の発展に半導体が果たした役割が良く分かる。

 より大きな世界的な視野で半導体を捉え、現在と未来の産業界に半導体が如何に重要であるかを知るためには、Chris Miller博士の『半導体戦争』がお勧めで、500頁を超えるが内容は素晴らしい。良くもこれだけの仕事をと感嘆するが、産業史から地政学に至る領域まで書き込まれ、特に56頁にも及ぶ膨大な注は、著者の精力的な探究心と共に、タフな仕事ぶりには感嘆させられる。

 この本を読んだ読後感は、英国のSimon Singh博士が書いた、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』を読み、知的満足感に浸った時に共通し、これだけの本を読破したという満足感を味わえる。このような優れた啓蒙書に、青春時代に出会う僥倖は、人生を豊かにする案内役との遭遇に似て、セレンディピティが素晴らしく、地位やカネを得るよりも、遥かに強い幸福感を教えてくれる。

 それと同時に大切なのは、現場体験の持つ価値であり、それを体現した若い世代に、U-Tubeで活躍している「ものづくり太郎」がいて、未だ三十代の彼の生き様が、私には未来への希望の星に見える。彼に関しての情報には、「President on line」の記事に次のことが書いてあり、若い頃に自転車競技に興味を持ち、「Tour de France」に憧れ、フランスに出かけた体験を彼は持つ。

<   ●ものづくり太郎; (ブーステック代表取締役/製造業系YouTuber)
本名は永井夏男。1988年、愛知県尾張旭市生まれ。(株)製造業盛り上げ隊代表取締役。2012年に京都産業大学卒業後、大手認証機関に入社。電気用品安全法業務に携わった後、(株)ミスミグループ本社やパナソニックグループでFAや装置の拡販業務に携わる。20年から本格的にYouTuberとして活動を開始。製造業や関連する政治、経済、国際情勢に至るまで、さまざまな事象に関するテーマを平易な言葉と資料を交えて解説する動画が製造業関係者の間で話題。・・・
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 彼の最も貴重な体験として、IT技術の内製化では世界市場の六割を誇る、ミスミ・グループの現場で鍛え上げ、ものづくりのノウハウとして、独特の体験を積み重ねているが、彼の体験は次の動画で観察できる。全力を投入した体験でマッピング能力を鍛え、構想を模式図の形で表現して、全体像から緻密な部分まで、具体的に表現する能力が優れ、この分野ではパイオニア的存在である。ものづくり太郎、自己紹介 - YouTube

 現場における生産技術が如何に大切かは、彼が動画で強調しているが、ここまで熱心に解説できる日本人は少なく、工業高校や高専で学ぶ若者に、是非とも彼の動画を見て貰いたい。彼の動画は百近くもあり、それを見るだけで大変だが、それらを見て学ぶだけでも、普通の大学に行くのに比べ、遥かに価値あると思うのに、その点を指摘する人が少ないのは、実に惜しいことだと痛感する。これしかない!!これが日本の製造業が世界で勝ち抜く方法だ! - YouTube

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 前世紀の末の段階でDRAMでは、世界の八割も占有していたのに、日本の半導体産業が没落して市場から撤退した原因に、通産省の無能と政府の腰抜けぶりが大いに関係していた。この敗北の背景と理由には、政治家や財界人たちが売国的な動きをして、徹底的に国益を損なったために、無惨な結果を導いたのだが、それを次の番組で学ぶ必要がある。https://www.youtube.com/watch?v=-6_XAFQgLvw

 1990年末に世の中が大きく変わり、ゾンビ政治が日本に君臨し、その間に世界は成長を遂げていたが、半導体の製造能力で日本は台湾や韓国に比べても、遥かに引き離されてしまった。小泉や安倍が暴政を続け、自民党がカルトに支配され、腐敗して裏金騒ぎに終始し、マイナカードで迷走していた間に、世界はIT時代を迎えて、Chat GPTが活躍する時代になっていた。

 文章でもデザインでも、Chat GPTを利用すれば幾らでも書け、重要な判断まで下すようになり、シンギュラリティの到来が、取り沙汰されているのに、日本の半導体産業は元気がない。最近のニュースで凄いのは、CPUに代わってGPUが半導体の最先端で、NVIDIAの時価総額が世界一になり、テスラを追い抜いてしまい、目覚ましい技術力には思わず目を見張ってしまう。

 思い出すのは今から55年前の話だが、学位論文の中の図としてジュラ紀石灰岩層の三次元構造図の形で、私はテクトノグラムを描いており、それを作るのに遠近法を使い、何と二か月もの時間を費やしていた。当時そんな作業をする者は、世界に誰もいなかったから、論文審査の先生たちに絶賛されたが、コンピュータ・グラフィックを使えば、今なら一分もかからずに描けることだろう。
104-1 Tectonogram by hand (1)104-1 Tectonogram by hand (2)
  Tectonogram by hand   3D Structural Cross Section by Chat GPT

 そう考えた私は三日かけて、半世紀も昔に描いたテクトノグラムをChat GPTを使い、描く努力をしてみたが、どんなに苦労しても復元できず、単純な地質断面図しか描けなかった。自然は実に複雑であり、私が四年かけて現地調査して、二か月を費やして描いた複雑な自然の構造だから、GPUのない私のコンピュータには、とても描けないと思って安心した。
 
 私にはプログラム力がなく、どうして良いか分からないが、NTTが開発している光半導体が実現し、中学生でもプログラムが組め、簡単に動画で遊ぶ時代には、どんな図形化も可能になるだろう。かつてのNTTの技術陣がiModeを開発した時に、日本人が未来に希望を託し瞳を輝かせた時代があったが、それをガラパゴス化していた、実に残念な失敗の体験があった。

 今の日本に必要なことは政界の腐敗の影響を排し、折角生まれたIOWNを育て上げ、これから活躍する若い世代が、あのMaurits Escherを超えて、複雑な構造を立体図に描き、コンピュータ・グラフィックで遊ぶ、そんな時代を生み出して欲しい。光と重力を自由に使いまくることは、地上に楽園を築くことで、そんな時代の到来に向け、日本の若者が力を結集する日が、到来するようにと期待したい。
 https://www.youtube.com/watch?v=beRESv9zB5g&t=253s

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