米国史の真相とゾンビ政治の構造/山根治氏からの公開メール − (190)

「藤原さんへの公開メール」と題されたフリーランス・ジャーナリストーの藤原肇博士(1938年生)と会計士の山根治氏(1942年生)の対話記事を通じて、私たち読者は intelligence のエッセンスを知る機会を得ました。藤原博士によると、2025年2月20日(木)に『 山根治ブログ』がバンされたのは、 山根氏に届いた【ご利用停止のお知らせ】メールに記載された理由、すなわち【利用規約 第1.4条(禁止行為)およびlivedoor Blog ガイドライン(禁止事項) に該当していたため】とのことです。『山根治ブログ』が利用できない間、藤原博士はnoteの藤原肇 Hajime Fujiwarに寄稿なさっています。2025年7月5日号【No.121 】米国史の真相とゾンビ政治の構造/山根治氏からの公開メール − (190)から転載させていただきます。
【No.121】米国史の真相とゾンビ政治の構造/山根治氏からの公開メール − (190)

 移民国家である米国では、移民問題が常に国家の大きなイシューであり、特に不法移民を巡る決定権において、連邦政府と州政府の対立は根深く、共和党と民主党の対立の形で顕在化している。現在ロサンゼルスで起きている状況では、トランプ大統領が加州知事の承認なしに、海兵隊や州兵を投入して抗議デモを鎮圧しているが、この対立は歴史的に見ても、フェデラリズムの相克の形で、内戦としての南北戦争を生んでいる。

 その具体的な実例としては、奴隷解放を口実にした対立が、極限化した形で市民戦争を生み、米国人同士が70万人も殺し合い、南部と北部が死闘を展開したことで、歴史における記念碑を作っている。しかも、歴史の教科書において奴隷解放とされているが、その内実は産業革命の影響で、工業化が進む北部が英国商品の流入を防ぎ、関税政策を強化したい経済問題が大きな理由だった。

 それに対して南部諸州は綿花を生産し、資源を英国に輸出し経済活動を展開していたので、関税が少ない自由貿易を求めており、この利害の対立に基づいて、独立に踏み切る動機を持っていた。だから、本音としての経済的利害より、口実としての奴隷制度の廃止が、米国の近代史では主題扱いされていたから、日本で歴史教育を受けた私は、奴隷解放が南北戦争の原因だと信じていた。

 だが、米国に35年間ほど住み、中西部のカンサスと南部のテキサスに通算十年近く、西部の加州に25年住んで米国の歴史を知ると共に、知識人から多くのことを学び、アメリカ史の真相に迫る機会を得た。そして、南北戦争の真の原因としては、奴隷解放より経済的な利害の方が、対立の根本問題を構成していたのであり、資本主義の持つ生理現象に、問題の核心があると論じた学者や知識人が存在することを知った。

 南北戦争の実態としては、中央集権的なワシントン政府による、フェデラリズムを求めた北部に対して、各州が独立の州政府の下に緩い連合体を組織したい南部が、自治を求めて戦った内戦だった。南部の立場からすれば、合衆国などは希望しておらず、自由を謳歌し守りたかったのであり、中央集権を押し付ける北部から独立して、各州が自治で運営する南部連合が望ましく、大きな政府より小さな政府を作りたかった。

 しかも、その背景に経済構造の差があり、工業化が進み始め自分たちの利益のために、英国の安い公共製品に対し関税を掛けたい北部は、自由貿易を求める南部が憎い敵だという意識があった。また、アングロサクソンが主体の北部は、英国を追い出されてアメリカに新天地を求めた、自営業や所有地を持つ農民が多く、資本主義の精神と結ぶプロテスタントが、共和主義を信じ国作りを推進していた。

 だが、南部は荘園的でスペイン帝国の名残が強く、封建領主の雰囲気があったし、大土地制を持ち奴隷の労働に頼っており、多民族的なクレオール文化には、カトリックに近い貴族的な雰囲気が強い。だから、ある意味においては、フランス革命の大陸版が新世界で起き、それを共和派の知識人が奴隷解放と結びつけ飾り立てた傾向もあり、それが教科書に書かれ美化され信じられたとも言える。

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それを私に教えたのは、テキサスで石油会社を経営しRimland Exploration Inc.を作り、その時に副社長にしたJPであり、プロシア系のジャン・ピエールは、バージニア州レキシントンにあるWashington and Lee 大学の卒業だ。Washington と Leeという二人の名将軍の名を持つ、この南部の名門大学はHonor制で知られ、テキサスの石油王ハント家は、息子をこの大学に入れ厳しく躾けたことで有名だ。

 私はコンサルタント時代に、デンバーの中堅石油会社でJPと一緒に仕事をしたが、カンサス州での新規開発の計画に、三か月という短期間で二万ドル払うとスカウトされ、大企業を辞めた時に彼と知り合った。JPはLee将軍を尊敬しており、北軍のシャーマン将軍が暴虐だと嫌悪したので、その時に南北戦争の実態に関して彼から多くのことを学び、米国史の真相が通史と違い、帝国の相克史だと理解できた。

 計画が終了した段階で別のアメリカ人と組み、私はカンサス州のウイチタにFujiking石油会社とHartland掘削会社を作り、ベンチャー事業に乗り出したが、それは将来テキサスで石油開発をする下準備だった。米国が二十世紀の覇者になり、君臨したのはテキサス石油のお陰だし、フロンチアに挑む男が活躍する檜舞台として、テキサスは憧れの場所であり、そこで石油会社を経営し油田を見つけるのが私の夢だった。

 私が石油開発会社を経営し、五年ほど住んだウイチタは、リバータリアンの巣窟であり、小型飛行機生産のメッカであり、セスナやビーチを始めボーイングの戦闘機部門の他に、200社ほどの小さな石油会社があった。生産した石油は地元を仕切る、大手のコーク産業に売ったが、コーク一家はリバータリアンの総帥であり、周辺の経営者たちは共和党員だのに、中身はリバータリアンだと分かった。

 町には二つの大学があり、ウィチタ州立大学はフリーエンタプライズ思想の砦で、教養科目として全学生の必修だし、もう一つのフレンド大学がクーエーカ系の私立大学である。私は州立大学の図書館を利用して、多くの本を読みコピーを作ったし、頼まれて授業で講義までしたが、その時に使った図表は『無謀な挑戦』を書いた時に作り、それをリサで図面化したものである。

picture_経営効率の予想曲線

この模式図を作ったことで、その後の私の人生は激変し多くの人に知遇を受けたが、その時に知人から勧められた本の中に、歴史修正学派のものがあった。その中にコロンビア大学教授で「知の巨人」と呼ばれたCharles Beardの本で、彼は当時の奴隷解放説に対して、北部工業資本に対し南部綿花資本が持つ資本主義的な構造が、南北戦争の原因だと論じていた。

 Beard博士を敬愛した後藤新平は、関東大震災の復興計画に際して、Beard博士の知恵を借りているが、彼の慧眼に着目した点で後藤東京市長の能力は卓越し、Beardを通じて私は後藤新平について学んだ。そして、後藤の国家経営論には東インド会社の研究があって、それが台湾や満州での植民政策に反映したが、彼の構想力を生かし切れず軍国主義路線を突き進んだために、大日本帝国は滅亡したと理解できた。

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 カンサスに続く次の段階では、サンベルト攻略の機動部隊として、テキサス法人のリムランド石油開発を作り、本拠地のダラスに私が陣取って、戦略的に全体をとらえると共に、前進基地のアビリーンには副社長のJPを配置した。また、ミッドランドにランドマンを布陣し、鉱区の取得工作の橋頭堡にして、西部テキサスでのキャンペーンを始目、年来の夢の実現に挑んだが、これが「塞翁が馬」になるとは予想さえもしない誤算だった。

 テキサスでの事業は一本目の試掘がガッシャーで、豪雨の中で三日間も止められずに、噴出した石油が滝のように降り注ぎ、大当たりが不幸の原因になって、三年後には会社解散に導くトラブルメーカーだった。その時の情景については、『地球発想の新時代』の第三章に次の記事を書いており、土砂降りのお陰で火災にならなかったが、何百トンもの原油の流出で環境汚染は実に悲惨だった。

<・・・一本目の井戸を掘り始めたが、自分の手で体験した最初のガッシャーで、・・・その地区で三十年ぶりのガッシャーだという知らせに、周辺の鉱区に俄かランドマンや山師が殺到して、まるで昔の映画のストー リーを見ている感じでした。それにしても、こういった大騒ぎの中では地元の人が強く、われわれは振り回されて対応に追われただけで、騒ぎが終わった時には混乱と訴訟の山が、日産百二十バレル (約十七トン)の井戸と疲労困億ともども残りました。・・・あのガッシャーのファーガス第一号井には、その後、苦い経験がありました。環境汚染などの費用が高くかかったので、ペイアウトに四ヵ月もかかってしまい、第二号井戸を掘るころの生産量は半減して、安定生産状態で日産六十バレルくらいでした。それでも、この井戸は一日当たり二十万円程度の純益で、月に直すと五百万円くらいの利益です。そこで二号井戸を掘ったわけですが、含油層に届いた途端に物凄い音を立ててガスの噴出が起こり、しばらく経ってガスの出が弱まったときに、 一号井戸の出が悪くなって三分の一になってしまった。要するに、キャップガスが抜けて地下の圧力が低下してしまい、石油が地上に出て来ずに地下に残ってしまった。・・・>

 このガッシャーの後始末が大変で、現場の清掃だけではなく、噴油を止める作業のために、プルドーザーやトラックが現場を走り回って土地を荒らし、樹木を切り倒したせいもあり、損害賠償の訴訟が次々と起きた。新参の外来者が地元の裏庭で、思いがけない拾い物をすれば、ロクな結果を生まないのであり、テキサス版の「塞翁が馬」として、私には貴重な経験になり、人生におけるけじめを意識させた。

 石油発見の情報は利権と結びつき、スカウトと呼ぶプロがいるし、情報をめぐってスパイ的 な人間が横行して、ガッシャーがあったとなれば、鉱区権の値段が百倍も五百倍にもなり、 周辺鉱区の獲得のために狂乱状態が生まれる。鉱区の所有者を追いかけ殺気立ち、テキサスの油田地帯の傾向は、トラックの中にライフル銃を持っているし、銃を手にして言い争ったり、強制退去させたりするので、それが脅迫として訴訟の種にもなる。

 しかも、私有地への立入りは射殺の理由になり、皆が興奮しているときには、何が起きるかは見当がつかないし、プロシア精神に富むJPが、脅迫容疑で起訴されてしまい、二年続いた裁判は致命的で郡内に立ち入り禁止の判決が下った。そうなると機能がマヒしてしまい、この判決で事業を畳む破目になったが、その経過は『アスペの三奇人・交遊録』に、徳田虎雄の徳洲会に対応させて、次のような追想記の形で敗軍の将の感慨を述べているが、これは人生の区切りとして天の配剤だろう。

 法人は目的達成を目指す共同体であり、副社長に立ち入り禁止の判決が出て、新規開発がストップしてしまい、航行不能の船同然になったから、船が沈没する運命は必至であり、悪足掻きするのは見苦しい行為になる。だから、地元の弁護士事務所と交渉して、全責務を引き受けて貰う形で、油田と会社の総てを引き渡したのであり、他人の土地でのビジネスするのが、如何に大変かの教訓を学び私はテキサスから引き上げた。

何しろガッシャー後の三年は、十件に近い訴訟を担当して、時間的に私はヘトヘトだったし、莫大な訴訟費や賠償金の用立てのために、経営者としての苦難を味わい、持っていたエネルギーを使い果たしていた。私はアルピニストだから、山で死ぬ思いは沢山していたが、大地の女神のガイアを舞台にして、後始末の苦労にエネルギーを使うことに、うんざりした体験を通じて、欲望と結ぶビジネスに縁を切る決断が出来た。

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 構造地質学を専攻した私は、構造主義者の一員に属すし、カリフォルニアでのペパーダイン大学で総長顧問を務め、コンサルタントとして二股人生を試み、世界各地の大学の幹部を相手に、人材育成について議論を進めていた。事故の当時は天津にいたが、そこは周恩来が卒業した南開大学で、学長を相手に義論を試み、次の北京大学に向かう直前のホテルに、石油発見の連絡が届いたが、まさか「塞翁が馬」になるとは予想せず、それほど当時の私は自己満足的だった。

 米国で待望の夢を実現した私は、試掘の井戸から石油が出た吉報に、すっかり有頂天になってしまい、中国を蔑視していた様子が当時の著書の記述の中に、驕慢さの痕跡として残っている。後になって振り返れば若気の至りだが、上り坂の人間は遠目が効かなくなる時があり、石油発見の知らせに満足し舞い上がったことで、次に破綻を招き寄せたにしても、「勝って兜の緒を締めろ」は名言である。

 南開大学の学長との面会は、彼の隣に政治委員が座り会見内容を監視していたので、こんな不自由な統制社会の未来に希望がないと感じたから、その後の経済発展が有りうると予想もしなかった。また、北京大学で学長に会った後で、図書館長から『楚辞』を貰った私は、『アメリカ人、中国人、ロシア人と付き合う法』を寄贈したが、その後の胡錦涛時代に経済力が大躍進し、GDPで中国が日本に迫るなどとは、予想さえも出来なかった。

 私は中国の古典が大好きで、春秋から戦国時代にかけて、諸子百家の著書は愛読したが、始皇帝以降のチャイナは帝国であり、学ぶものは少ないと考えたから、簡略字体の中国文化に馴染めなかった。だから、田中首相に贈ったと言われて、記念に貰った『楚辞』も簡略体だったから、読めない以上は荷物になると判断し、屑籠に放り込んで旅を続けたが、海岸での夕食に正装で臨んだという、W,S, Maugham風の偏見があったようだ。

 それほど私の目線は高く中国の国力を蔑視したし、米国から見た日本や中国が劣って見えたのは、支配していた欺瞞情報が酷く、その典型が石油の詐欺話で、1990年代はホラ話が蔓延していた。それが奥菜秀次のインタビュー記事で、『捏造ジャーナリスト・落合信彦』の第四章に、朝日新聞の記事の引用があり、それは朝日の青木ロス支局長が、テキサスに行って現地取材し、ファーガス井戸のある油田に触れて、それを冒頭部に引用した本からだ。



 サンチアゴ老人の海の話は、魚を相手に格闘した物語で、彼は最後に魚ではなく獅子を夢見たが、大地を司るガイアの世界で石油まみれになり、ジャーナリストに転じたために、私の後半生はダンテの『神曲』に似てしまった。二十一世紀になると同時に、極大化を呈し始めた拝金主義が、小泉から安倍にと続く形でゾンビ政治の蔓延を招き、観察と評価が苦痛に満ちた地獄めぐりで、日本の社会の劣化は見るに堪えなくなった。なを、ダンテの『神曲』の地獄図は、『ゾンビ政治とポンジ経済の劇場』の表紙に、ワルプルギュスの魔女の図とともに利用した。



ゾンビ政治とポンジ経済の劇場

 こんな古い話を取り上げたのは、現在も似たようなヨタ話が、至るとこで蔓延しているし、それで荒稼ぎしている連中がいて、解説者やインフルエンサーとしてのさばり、中には政治家や大臣になっていたりする。原子力発電やワクチンでも、そうした手合いが横行するし、大衆はコロリとそれに騙されて、オレオレ詐欺の例で分るように、気が付いた時は手遅れでペテン師がこの世の春を謳歌し、バカは死んでも治らない状態だ。

国賊の安倍が国葬されるし、学歴詐称の小池百合子が都知事として君臨して、ハニートラップの橋下徹でも大阪の市長や府知事になり、政治は狂い魑魅魍魎のお花畑が、日本の至る所で賑わっている。しかも、参議院の選挙が公示されても、次期首相候補の顔ぶれとして、石破、高市、石原、野田という具合に、倫理も知識も小1以下のレベルの手合いが、バカ面を並べている現状は悲劇である。

ヘミングウェーが描いた老人の死闘が、巨大な魚相手の戦いだったのに、詐欺師や官僚を相手に闘う山根さんは、権力の横暴と対決したのであり、しかも、冤罪による収監された体験までしている。そんなことを思っていたら、シンクロニシティだろうが、山根さんからのメールが届いたので、以下にそれをURLの形で貼り付けながら、今日は霊能者たちが騒ぎたてた7月5日であり、米国では独立記念日に何が起きたかが気になる。

藤原肇さんへの公開メール − (190)
冠省 私(山根治)を被告人とする名誉毀損事件の第二回公判が令和7年7月1日、松江地裁でありました。証人・〇〇〇〇が出廷し、嘘の証言をした場合には罰せられることがある旨、芹澤俊明裁判官から注意を受けた後、仲島れな検事による主尋問に。次いで私(山根治)の弁護人による反対尋問に移りました。

私(山根治)が用意した反対尋問要旨に従って、弁護士が“無実の罪を創り上げ、山根を2度にわたって社会的に抹殺した証人・〇〇〇〇の動機を明らかにするために、以下の質問をする。冤罪の捏造が行われた背景を明らかにするための質問である。”旨の前置きをするや否や、直ちに仲島れな検事から“異議あり。主尋問とは無関係である。”旨、異議の申し立てがあり、弁護人の意見を聴くことなく芹澤俊明裁判官が異議を認めたために弁護人の質問は撤回することになりました。

その後芹澤俊明裁判官の許可を得て私(山根治)が証人・〇〇〇〇に対して質問することに。ところが、私(山根治)が証人・〇〇〇〇に“『冤罪を創る人々−国家暴力装置の現場から』(山根治著書アマゾン電子版)のエッセンスが、“冤罪を証明する定理(山根定理)”であることについてお尋ねします“ と切り出すや否や、またしても仲島れな検事から“異議あり。主尋問とは無関係である。”旨のヒステリックな異議の申し立てがありましたが、私(山根治)はそれを無視して証人・〇〇〇〇に対して質問を続けていたところ法廷内が不穏な雰囲気になりましたので、芹澤俊明裁判官が10分間の休憩を宣告。

休憩時間中、久保秀平書記官と弁護人が何やらヒソヒソ話をしていましたが、私は事情を了解しましたので質問の撤回を了承。
結局、私(山根治)を証人喚問し、改めて主尋問を弁護側が行うことになりまし
た。第三回公判は9月2日10時と決定され、私(山根治)が証人として出廷し、弁護側主尋問(40分)がなされることになりました。
〇〇〇〇弁護士は、第二回公判廷で、数々の嘘の証言をいたしましたので、私は〇〇〇〇の嘘の証言について、弁護人から主尋問を受けることになります。末尾に、撤回することになった「証人〇〇〇〇に対する反対尋問30分」と題する反対尋問要旨を公表(パブリック・アナウンスメント)いたします。尚、この反対尋問要旨は、第二回公判終了後に法廷で久保秀平書記官に手交しています。
「証人〇〇〇〇に対する反対尋問30分」
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