北極星を背にして—老子の静けさに学ぶ朝

「お釈迦様は太陽を背負っていらっしゃるが、老子は何を背負っているのだろうか?」

ふと、そんな問いを投げかけられたとしたら、私はこう答えたい。

「老子は、北極星を背負っていらっしゃる」と。

北極星は、地球の自転軸を北に延ばした先、天の北極に近く、夜空にあってほとんど動かない星です。古来、航海や旅の道しるべとして、人々はこの星を頼りにしてきました。けれども、この星もまた永遠ではありません。地球の歳差運動によって、数千年ごとにその位置を変えていく運命にあります。

老子が背負う北極星とは、変わらぬようでいて、実はゆっくりと変化していくもの。そこに、人生の大いなる移ろいを重ねてみるのも、また一興ではないでしょうか。

赤子のこころに還る
さて、老子の『道徳経』第十章には、こんな一節があります。

営魄を安んじ、一を抱きて、能(よ)く離れること無からんか。氣を専らにし柔を致して、能く嬰児ならんか。

赤子のような心に立ち返ることができるだろうか——。老子の問いかけは、今の私たちにも深く響きます。

生まれたばかりの赤ん坊は、何ものにも囚われず、ただ在るがままに存在しています。そこには、分別も、欲も、恐れもありません。まさに「無垢」の境地。荘子が『斉物論』で語った「成心(せいしん)」—生まれながらに備わった心—もまた、この無垢の状態を指しているのでしょう。

けれども、私たちは成長するにつれ、社会や経験の中で、次第にその「元の心」から遠ざかっていきます。私は、その失われた「元の氣」に立ち返ることを「静寂」と呼びたいのです。

静寂とは、ただ音のない状態ではなく、心の奥底にある、揺るがぬ安らぎ。生活や人生の本質は、この静寂へと還っていく過程にこそあるのではないでしょうか。静寂を知ること、それが「智慧」なのだと、私は思うのです。

朝のひとときに
人は皆、それぞれに言葉にしがたい苦労を抱えています。だからこそ、朝の静けさの中で、そっと自分の「元の氣」に耳を澄ませてみませんか。

今日もまた、じっくりと腰を据え、大きな笑顔で歩み出しましょう。

感謝をこめて。

生彩ある人生